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#019


 日暮れ。

 父は昼過ぎに再び馬車で屋敷を出発して、不在。

 夕食は母と二人でいただいた。

 今夜のメニューは、ロールパン、鴨肉と野菜のシチュー、それに干し林檎。

 我が家の料理のバリエーションは乏しい。今夜で三日連続の鴨肉シチュー。料理人の手抜きというわけではなく、田舎の下級貴族の普段の食卓とは、大体そういうものらしい。

 味は全然悪くない。むしろお肉が口に入るだけでも、ありがたい。

 けど、しいて言えば、内陸部だからか、魚介類がまったく食卓にのぼらないのが、前世日本人としては、ちょっぴり寂しい。王都では魚料理のメニューも豊富にあるらしい。

 食後は入浴。わたし一人でもお風呂には入れるって、近頃は言ってるんだけど。

「でもシャレアさま、まだお背中、上手に洗えないでしょう?」

 と、結局エイミに髪と身体をしっかり洗ってもらうことになる。その間、わたしは、されるがまま。

 エイミはなんだか楽しそうだし、わたしも気持ちいいから、まだ当分、これはこれでいいかなって。

 入浴が済んだら、幼児はもう寝る時間。

 もちろん、わたしは今夜眠らない。そのために、しっかりお昼寝しておいたから。

 例によって『認識阻害』をかけたクッションを身代わりに置き、赤いワンピースを着込み、靴をはく。

 入浴後の夜の「おでかけ」は、昼間と違って、どうしても髪はストレートのままになる。これはもう仕方ない。

 たいして邪魔にはならないし、これはこれで、けっこう可愛い見ためになるから、あまり気にしていない。

 念のため『身体強化』『暗視』『気配察知』を、あらかじめ重ね掛けしておいて……と。

 あらためて詠唱する。

『転移』

 発動する魔法陣の輝き。

 一瞬の後、わたしはリュカの町に立っていた。






 場所は、南門の内側、壁沿いの路地。

 昨日、馬車で南門のあたりを通りかかったとき、ちょうど人通りの無さそうな、うら寂しい路地の一角が目に入っていた。

 あそこなら人目に付かず転移できそうだと、ひそかに目星を付けておいた場所だ。

 周囲は真っ暗。街灯もなければ、人家の灯りも見えない。ただ、『暗視』のおかげで、ここがどういう場所なのかは、はっきり見えている。

 ここは町の外壁に沿って設けられた倉庫区画。おそらく、町や領地内の物資を一時的に集積、保管しておくための木造の倉庫。それが五棟、外壁沿いにずらりと並んでいる。

 案の定、人の気配はまったくない。昼間はともかく、夜は町の南北の門も閉ざされてしまい、荷車の出入りもなくなるため、倉庫の付近はほぼ無人になるみたい。

 少数の警備兵くらいは常駐しているかもしれないけど、もし巡回などで接近して来たら、わたしの『気配察知』に引っかかるから、避けることは容易だ。

 この南門あたりは静かなものだけど、反対側の北門は、いまどうなっているだろう。

 昨夜、全裸ことアースジャイアントをはじめとするモンスターの襲撃があったのは、その北門のほう。

 おそらく今頃はハイハットの避難民を受け入れている最中だと思う。

 それはそれで気になるけど、今夜、わたしの目的は別にある。

 とある実験も兼ねて、今日は町中を散策してみるつもりだ。その後に、覗いてみたい場所もある。

 そっと詠唱を始める。同時に、あるイメージを、強く念じつつ。

 わたしは、自分自身に向けて『認識阻害』の魔法を使用した。

 ぱぁっ、と、わたしの全身が一瞬光り輝く。

 次の瞬間――。

 とくに変化はない。

 ただし、自分の手や足元を見ようとしても、なにも見えない。何も無い、ように見えてしまう。

(うまくいった!)

 わたしは、内心で躍り上がっていた。実験成功、かな?

 いまのわたしは、誰の目にも、姿が見えない状態。

 実際に消えてしまっているわけではなく、人間の五感に干渉し、わたしの肉体や気配、立てる物音などが、誰にも認識されない状態になっている。

 擬似的な透明人間、というべきだろうか。

 実は、昨夜……書庫で読んだ『応用魔術大全』第一巻は、まさに『認識阻害』の様々な応用方法について詳しく書かれていた。

 そのなかに、自分自身の姿を消す方法、というのがあった。

 多少、制限もあるのだけど、うまく使いこなせれば、こっそり隠れて、どこへでも行けるようになる。これは絶対に修得すべきだと、具体的な方法の記述を懸命に読み込み、記憶しておいた。

 それをいま実践してみた。

 見事成功した……はず。

 けれど、わたし自身だけでなく、他の人たちの認識をも、正しく騙せているかどうか。

 これを試してみないと、まだ成功したとは言い切れない。

 わたしは、路地を歩き、倉庫区画を抜けて、大通りへと出た。

 とうに夜更け。

 大通りといっても、町はもう眠りに沈んでいるかのように静まりかえっている。通行人の姿も見えない。

 南を振り仰げば、彼方に、ぴったり閉ざされた大きな鉄の門がそびえている。

 門扉の左右に、かがり火が煌々と揺らめき、その両脇にひとつずつ、人の影が佇んでいるのが見えた。門を守る当番兵さん……門衛だろう。

 ――よし。

 わたしは意を決して、閉ざされた南門へと、ゆっくり歩を進めていった。

 もし彼らに、わたしの接近が気付かれるようなら、この応用魔法は、失敗ということになる。

 ちょっとドキドキしながら、右側に立つ門衛さんのそばまで、歩み寄ってみた。

「おや」

 突如、門衛さんが、わたしのほうへ顔を向けてきた。ギョッとするわたし。

 えっ? あれ? 失敗?

 内心、大いに慌てた。

 けれど。

 わたしの背後から、ささっ、と小さい黒い影が地面を駆け抜けた。

「やあ、よく来たな」

「にゃああ」

 門衛さんは、その場にしゃがみ込んで、駆け寄ってきた黒猫へ手をのばし、頭を撫ではじめた。

 ……びっくりした。門衛さんが見てたのは、猫だった。それも、お互い、顔見知りの仲良しさんらしい。

 一方、わたしの存在は、門衛さんにまったく気付かれていない様子。

 応用魔法、成功だ。


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