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#018


 深い深い、眠りの底。

 わたしは、何もない真っ白な空間に、ただ浮かんでいた。

 これは、そういう夢なんだろう、と朧気な意識のなかで、なんとなく思っていた。

 声が、聞こえる。

 誰の声だろう?

(いまのところ、順調に進行しているようで、なによりです)

(付与した加護も、問題なく機能していますね)

(どんな加護を?)

(言語習得、記憶力強化、病原体全般への耐性。あと二、三、細かい環境耐性を)

(感染症による乳幼児死亡率、高いですからねえ。あの世界)

(いきなり一人でモンスター狩りをやりはじめたときは、どうなることかと思いましたけど)

(それも、三歳で……あれはヒヤヒヤものでしたよ)

(さいわい、システムは正常に稼動しているようです。具体的なステータスまでは参照できませんが、彼女にとっては、大きな強みになるはずです)

(彼女が自発的に力を求めるなら、それに越したことはありません。いずれ、彼女には、ルナの代わりを務めてもらうのですから)

(やはり、そうなりますか)

(あの世界に、月の聖女なんて存在しませんからね)

(ルナになりたいわけじゃない……本人はそう言っていましたけど。我々としては、なってもらわなければ困るのです。さもなければ、あの世界は……)

 ふと。

 わたしの意識が、水の中の泡のように、急に浮き上がりはじめた。

 真っ白い空間から、星々きらめく夜空へ。

 さらにその先、光あふれる出口へ――。

(シャレアさま。シャレアさま、起きてください)

 声が、きこえる。

「朝ですよ。もう起きるお時間ですよ。シャレアさま」

 ゆっくりと目を開く。

 ぼやけた視界の真ん中で、使用人のエイミが、「お目覚めですね。おはようございます」と、微笑んだ。

 夢を見ていたらしい。どんな夢だったか、まったく憶えてないけど。やけに知った声が、まざっていた気がする。

 ……そうだ。昨夜は、あれから結局、かなり遅くまで、領館の書庫で『応用魔術大全』第一巻を読みふけっていたんだ。

 あんなに細かい文字がびっしり詰まった難解そうな書物なのに、内容が、とにかく興味深くて、面白くて。

 気付けばもう夜明け近く。

 わたしは慌てて本を元の位置に戻し、『転移』でこの部屋に戻ると、すべての補助魔法を切り、着替えてベッドへ飛び込んだ。

 そして現在に至る。

 まだちょっと寝足りないけど、そうは言ってられない。

「おはよ、エイミ」

 わたしはいつも通り、元気に飛び起き、パジャマを脱ぎ捨てた。

「シャレアさま、今日のおぐしは、どうなさいます?」

「んー、いつもの」

「はい。いつものですね」

 わたしの髪はけっこう長い。前髪は、きちんと切り揃えているけど。

 エイミが、その髪にしっかり櫛を通して、手際よく、大きな三つ編みにしてくれる。

 あとは普段着をささっと着込んで、準備完了。

 窓の外では、ガラガラと車輪の音が響いている。

 どうやら父がリュカから戻ってきたみたいだ。あれからも、徹夜で働いてたんだろうか。お疲れ様。






 一階へ降りるとすぐ、母や家令のルーシャンさんたちと一緒に玄関先へ赴き、父を出迎えた。

「やあ、今帰ったよ。シャレア、帰りの馬車は大丈夫だったかい?」

 父は、まず真っ先に、わたしに訊いてきた。なにせリュカまでの往路で、わたしは完全にグロッキーになっていたから、心配だったんだろうな。

 わたしは笑顔でお返事してみせた。

「うん、へーきだったよ。おかえりなさい、パパ」

「そうか、そうか。さすがシャレアだ」

 父は、嬉しそうに、わたしを抱きあげた。

「お帰りなさい、あなた。大変だったようですね?」

 母が声をかけると、父は少々表情をあらためた。

「そうだな。大変だったよ。詳しいことは、食後に話そう」

 ……ほどなく。

 食堂にて、家族揃って朝食。

 今朝のメニューは、ロールパン、ゆで卵、豆を煮込んだスープ。

 わが家では、毎朝、母みずから厨房に立って、家族のぶんの料理をしている。昼食もそう。夕食だけは料理人に任せている。

 肝心の味は……なにせ、わたしの前世は日本人。その味覚からすると、けっして不味くはないけど、少々物足りなさは感じる。

 調味料はほぼ塩のみ。王都やその近辺では、それなりに豊富なスパイス類が流通してるそうだけど、この近辺だと、胡椒が高値で取引きされている程度。

 これでも庶民の一般的な食事からすれば、かなり豪勢なのだそう。

 この国の庶民にとって、小麦は本来、粥にして食べるもので、パンは贅沢品らしい。鶏卵も野菜も滅多には口に入らず、お肉なんてそれこそ特別な日にしか食べられないご馳走だとか。

 もっとも、伯爵家以上の上級貴族は、もっと贅沢三昧な食卓らしいので、貴族というくくりで見れば、わが家は随分つつましい部類になる。これが良いことか悪いことか、今のわたしには、なんともいえない。

 ただ、目の前のごはんを、感謝して、いただく。わたしにできることは、それだけだ。

 ――食後。

「リュカに、モンスターが?」

 父が昨夜の事態を語ると、母は目を丸くしていた。

「ああ。それも、アースジャイアントがね。私もさすがに驚いたよ」

「え。それってあの、全裸の」

「そう、全裸の」

「そんな、あの全裸が」

 なんでこの夫婦、全裸で通じ合ってるの。確かに、そうとしか言いようがない外見だったけど。せめて腰布ぐらい付けててほしかった。

「他に、イナゴブリンが三、四十くらい、いたかな」

「あ、それって、変異相ゴブリンとかいうやつね?」

「そうなんだ。普通のゴブリンと違って、放火癖のある、厄介な連中だよ」

 なにそれ。

 あのとき外壁が燃やされてたのって、壁を焼き落として町に侵入するのが目的だと、わたしは思ってたけど。

 そうじゃなくて、放火自体が目的だったってこと? そんな生態のモンスターって、ありなの?

 モンスターについては、図鑑で読んで、それなりに詳しくなってたつもりだったけど。

 まだまだ、わたしは理解が浅いようだ。モンスター界隈も、意外と奥が深いのかも……。

「ハイハットを襲ったモンスターの群れが、街道を迂回して、リュカまで押し寄せてきたみたいだね。逆に、ハイハットのほうは手遅れだった。討伐部隊が辿り着いた頃には、村は完全に焼け落ちてしまっていたそうだよ」

 とは父の解説。

 ようするに、父が送り込んだ討伐戦力と、ちょうど入れ違いに、ハイハットからモンスターが攻めてきた、と。

「昨夜、リュカに来た連中は、私がどうにかしておいたが、また後続がないとも限らない。そもそも、なぜモンスターが襲ってきたのか、その原因も不明のままだからね。早急に調査する必要がある。悪いけど、ひと眠りしたら、またリュカへ戻るよ」

 父は、ほんの少し疲労の残る顔つきに、強いて、笑みを浮かべてみせた。これは渋い……! ダンディーな、漢の笑みだ。

「わかりました。どうか家のことは気にせず、あなたは領主の務めを果たしてください」

 母が、力強く微笑む。こちらは肝っ玉母さんの磐石な安定感。この母あれば、後顧に憂い無し。そんな確信を抱かせてくれる眼差しだ。

 しばし、食卓ごしに見つめ合う夫婦をよそに、わたしはひそかに今夜の予定を立てていた。

 ……今夜は『転移』で、リュカの町中へ行ってみよう。

 書庫で『応用魔術大全』を読むのもいいけど、いまは他にも、色々気になってることがあるから。

 できれば、そちらを先に片付けてしまいたい。主に、わたしの読書時間の安寧を確保するために。


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