かつて父が母に惚れこんで身分差婚を成し遂げた、というのは以前にも聞いていたのだけど。
その決め手が筋肉とは想定外。ゲームの「ロマ星」に、こんな逸話は存在しなかった。事実はゲームより奇なり。色々な愛があるものだな。
母の全力ノロケ話は楽しい内容だった。同時に、いくつか重要な示唆も得られた。
わたしのこの身に宿る魔力、魔法の才能は、おそらく父譲りのもの。娘は男親に似るというし。ただ受け継いだばかりでなく、さらに増幅されているようにも感じる。
それと、わが家の蔵書に魔術書が多く含まれている理由にも納得がいった。
昔から屋敷にあったのか、それとも父が収集したものなのか、そこまではわからないけれど、かつての父も、わたしと同じように、あれらを熟読して、数々の魔法を修得していったのだろうな。
そして、リュカの領館の書庫に並んでいた『応用魔術大全』数十巻。
そもそもこんな片田舎の政庁に、あんな専門書が置かれているのも不思議な話。多分、もとは父の持ち物だったのだろう。
若き日の父が、冒険者の魔法使いとなり、各地で活躍した裏には、ああいう優れた教本の存在があったというわけだ。
これはもう、わたしも絶対、あれを読むしかない。将来、わが最推しのカップルを守り抜くために必要な力を、きっとあの本は与えてくれるはずだから。
ただ、さすがに巻数が多い。読破には相当な日数がかかりそう。
時間は有限。もう、今夜からでも読みはじめるべきじゃないか?
そうと決めれば、あとは実行あるのみ。
久々の、夜のおでかけだ!
その夜。
いつものように、母におやすみの挨拶をして寝室に入り、ベッドへ。
いつものように、エイミが蝋燭を消し、一礼して去る。
待つことしばし……付近に物音もなし。
わたしは、ぱっと飛び起きて、『暗視』の魔法を詠唱、発動させた。暗闇でも一定の視界を確保できる補助魔法の一種だ。
パジャマを脱ぎ捨て、ベッドの下から赤いワンピースを引っ張り出し、素早く着替える。
以前、レッドデビルなんて変な異名が付いてしまったワンピースは、もうサイズが合わなくなって、古着入れにしまい込んでいる。これは最近、また新しく父に買ってもらったやつ。
後ろ腰に大きなリボンが付いてて、デザインはより可愛らしく。ちょっとだけ丈が短く、裾が広い。そのぶん動きやすくて、お気に入りのお出かけ服だ。
靴をはき、すっかり身支度を済ませると、例によって、大きなクッションを、ぼふんっとベッドに載せる。
『認識阻害』
このクッションをわたしだと誤認させる、身代わりの魔法だ。これも使うのは久しぶり。
さらに念のため事前に『身体強化』『気配察知』なども自身にかけておく。
準備はすべて整った。さあ出発だ。
満を持して『転移』魔法を詠唱する。
足元の床に、光り輝く魔法陣が出現し、その光が、わたしの全身を包み込む。
視界が漂白され――瞬時に、見覚えのある場所へ、再実体化を果たした。
見渡す限り、どっちを向いても、ずらり連なる本棚の列。
ここはもう、領館内の書庫。
さっそく『応用魔術大全』を手に取るときが来た……!
と、思ったのだけど。
ドアの向こうが、ばたばたと騒がしい。
複数の足音が、付近の廊下を駆けずり回っている。
呼び交わされる声。
「おい、領主さまはどちらに?」
「いま、外へ出られました!」
「ええっ、おひとりで?」
「止めたんですよ! ですが、大丈夫だから、って――」
んん? 父が、一人で外へ?
何が起こってるんだろう?
真っ暗な書庫。
けれど、開いてる窓の外が、ぼんやりと明るい。こんな夜更け、町の灯りというわけではないだろうし……。
そっと、窓のそばへ歩み寄る。
けれど悲しいかな、四歳児の背丈。窓はわたしの頭より高いところにある。
こんなときは。
呪文詠唱。
『浮遊』
高レベル魔法のひとつ、読んで字のごとく、宙に浮く魔法。
まだ一度も使ったことはなかったのだけど、うまく発動できたみたいだ。
魔法の効果によって、わたしの身体は、その場で、真上にふわりと浮きあがった。よし、これで窓の外が見られ……。
浮き上がった身体は、宙にとどまることなく、まっすぐ天井へと向かい。
そのまま、ごんっ、と、天井に頭を打ち付けてしまった。
「へぐぅ」
つい変な声が出た。
……あ、これ駄目だ。
発動はできても、制御ができない。『身体強化』を掛けてなかったら、首の骨が折れてたかも。危ない。
わたしは慌てて魔法の効果を切った。
天井から、手近な本棚の上へ、お腹から無様に落っこちた。
頑丈な大型棚の天板は、四歳児の体重を、小揺るぎもせず受け止めてくれた。
ちょっと失敗したけど、結果的に、高い位置には移動できたので、ここはセーフってことで。
よく考えたら、『身体強化』が掛かっている状態なのだから、今のわたしなら、ちょいとジャンプして、窓に取り付くこともできたはず。わざわざ慣れない魔法なんて使う必要なかった。反省。
気を取り直し、あらためて窓の外をうかがってみると。
割と近く、夜闇の中に、オレンジ色の大きな光がちらちら揺れているのが見えた。
あれは、火?
もしかして火事かな? と思ったけど、どうも、ただの火事じゃないみたい。
巨大な人影のようなものが、火光をバックに、うろうろ歩き回っている様子がはっきりと見えていた。
明らかに人間じゃない。
かなり大きな人型モンスターが、町のすぐ近くで、暴れてるみたいだ……。