帰りの馬車へ乗り込む前に。
わたしは再度トイレへ入り、こっそりと『身体強化』の魔法を自分にかけておいた。
直後、父を領館に残して、使用人の方々とともに、慌ただしく馬車で出発。
相変わらず客車内の振動は殺人的だったけど、誰かに抱っこしてもらわなくても、全然平気だった。
おかげで車窓から、外の風景を眺める余裕すらあった。
といっても、見えるものは、うねる地形に麦畑と草原、遠くにかすむ森林くらい……人家もろくにない。
今更ながら、本当に僻地だな。わがアルカポーネ子爵領は。
「まあ、もう馬車に慣れられたのですね。さすがはシャレアお嬢様」
と、普段わたしと一番近しい使用人の女の子が、目を丸くして感心していた。エイミという平民の娘で、わたしが乳児の頃からずっと専属のお世話係をつとめてくれている。
天然のお世話好きらしく、時間さえあれば、いつでもどこまでも、わたしに付きっ切りでお世話をしようとする。わたしにとっては、単独行動の妨げになるため、ちょっと厄介な存在でもあるのだけど、エイミに悪気は一切なく、善性の塊みたいな女子なので、そこは何も言えない。
いま、あらためて気付いたのは……。
三歳になってから、わたしは何度も「おでかけ」してモンスターを討伐し、四歳になった今では、ずいぶんとレベルも上がっている。
けれど、肉体的にはさほど強くなっておらず、魔力だけが伸び続けているみたいだ。
実際、往路では地獄のような馬車の振動に全身痛めつけられた。素の肉体の強度は、まだまだ年齢相応でしかない。
いまはまったくダメージを感じない。それぐらい、わたしの『身体強化』に高い効果があるということだろう。
そういえば、初めての「おでかけ」のとき、モンスターを素手でぶっ飛ばしたことがあった。あのときもわたしは『身体強化』を使っていた。まさに効果絶大。
便利な魔法だけど、使いどころはよく考えなければ。
四歳児に不相応な身体能力を周囲に見られたりすれば、大騒ぎになる。エイミにも無闇に怪しまれないよう、慎重に振る舞わないと。
ガタゴト揺れる車内で、わたしはひそかに、心を戒めた。
わたしは今後も、目立つ気はない。ひっそりこっそり、陰から、推しを応援する立場でいたいから。
屋敷へ帰りついた頃には、もう日が暮れかかっていた。
エイミに手を引かれて馬車を降りると、母が玄関先で迎えてくれた。
がっしりした両腕をのばし、嬉しそうにわたしを抱き上げながらも、予定より早い帰宅であること、なにより父がいないことに怪訝な表情を浮かべる母。
使用人の方々の説明を受けると、母は納得げにうなずいた。
「そう。なら、明日には帰ってくるわね」
ハイハットの異常事態、それに父が対処すべく陣頭指揮を執っていること。普通はそんな話を聞けば、少しは不安がったり心配したりしそうなものだけど、この母は、そうではないようだ。
むしろ、わたしのほうを案じるように、母は笑ってみせた。
「大丈夫よ、シャレア。パパはすっごく強いからね。モンスターなんか、ぜんぶやっつけてくれるんだから」
「そーなの?」
「そうよ。なんたって、パパは大魔法使いだからね。この世で一番頼りになる、最高のパパなのよ」
え、それ初耳。
父が大魔法使い?
「ママ、そこ、くわしく!」
っと、つい口調がおかしくなった。
だって、父が魔法を使えることは以前にも聞いてたけど、実際に使ってるところは、今まで一度も見たことなかったし。
「ふふふ。いいわよ。詳しく話してあげましょう」
それから、みんなで屋敷へ戻り、夕食の卓をかこみながら、父と母の昔話を聞いた。
結婚の経緯なんかは、以前にも聞いたことがあったのだけど、それ以前の、もっと若い頃の二人の話は、この夜、初めて耳にすることになった。
「パパはねえ、魔法大学を卒業して冒険者になった人だったの。私も冒険者でね。魔法は全然だったけど、剣の腕前には自信があったわ。私たちは王都の冒険者組合で初めて出会って、パーティーを組んだのよ」
二人の出会いは、どちらかといえば、お互い、印象は悪かったそうで。
「ひょろひょろのモヤシ男、っていうのが、初対面の印象だったわね。あっちはあっちで、私のこと、筋肉お化けとか、失礼なことを言ってくれてね。あやうくその場で殺し合いになるところだったわ」
どんな出会いなの……。
最初は険悪、っていうのは、恋愛物じゃよくあるパターンだけど。
「でもね、すぐに仲良くなったのよ。パーティーを組むのは乗り気じゃなかったけど、たまたま他に人がいなくて、やむなく一緒にダンジョンに潜ることになってね。でねっ、そこで、パパは指先ひとつで、物凄い炎を操って、私より何倍も大きいモンスターを、跡形も残さずに燃やし尽くしちゃったの。もうね、すっごくカッコよくって。この人、すごい! って思っちゃったわ」
ほうほう。父の攻撃魔法の威力、それほどとは。
「でね、私も負けてられない! と思ってね、ちょっと張り切って前に出て、どんどんモンスターを斬りまくったの。そしたらねえ、パパ、なんていったと思う?」
「えー? なんていったのー?」
「それがね。『きれいな筋肉だ』だって」
それ褒めてるのかな……いや褒めてるんだろうな一応……。
「それでねっ、その後も、あちこちのダンジョンに潜って、一緒にモンスターを狩りまくったの。パパはいつでも凄い魔法で、どんなモンスターでも一発で倒してくれたわ。私だって頑張ったけど、やっぱりパパには敵わなかったわね。でもパパは、いつも私を褒めてくれてね。もっとキミの筋肉が見たい! とかいって。照れるじゃない、そんなの」
この母、なんだかウットリした顔で、もう語る語る。当時の父って、よほど素敵だったんだろうな。わたしも見てみたかったかも。
「お付き合いをするようになって、はじめて、パパが子爵家の跡取りだって知ったのよ。私は、そんなに高い身分の家じゃなかったから、結婚は難しいかもって思ってたんだけど、そこはパパが頑張って、あっちこっちに頭を下げて回ってくれてね。私たちは冒険者を引退して、結婚することになったの」
父は子爵家嫡男、母はたしか騎士家の三女だっけ。身分差婚って尊いよね。わたしの大好物のひとつです。
「あの人ったらね、『きみの筋肉で私を包んでほしい!』ですって。そんなプロポーズって、ある? 私は嬉しかったから、即オーケーしたけどね」
母は、にこにこ微笑みながら、そう馴れ初め話を締めくくった。
……ねえ、なんでそんな筋肉推しなの、うちのパパ。そういう性癖なの?