せっかく父に連れられて、初めてリュカの町を訪れたのに、この緊急事態。
当然、のんびり町を観光していられる場合じゃない。
父は領館で陣頭指揮を執らなければならない。領主さまだしね。
ハイハットからリュカまでは、馬車で半刻もかからない近距離。
リュカがモンスターに襲われる可能性も、皆無ではない。
そんなわけで、わたしは、すぐに馬車で送り返されることになった。
正しい判断だと思う。この状況で、なんの役にも立たない領主の娘をあやしながらお仕事なんて、職員の方々にしても、たまったものじゃないだろう。
でも。
「あのね、パパ。ひとつだけ、おねがい、きいてほしいの」
屋敷に帰るのは仕方ないけれど、最低限度の目的だけは果たしておきたい、とわたしは考えていた。
それは。
「しょこに、つれてって」
「うん? 書庫?」
「そー、しょこ」
ここリュカの領館には、大きな書庫があり、蔵書も豊富だと、父はたびたび自慢していた。
ならばぜひ、そこだけは行っておきたい。
さすがに短時間ですべての蔵書に目を通すなんてことはできないけれど、一度でも書庫の中に入ることができれば、その後は『転移』魔法でいつでも訪れることができる。
夜中にこっそり寝室から領館の書庫へ転移することも可能だろう。
ここの書庫ならば、屋敷にはなかったダンジョン関連の資料もあるかもしれない。それを探すのも目的のひとつだ。
父はうなずいた。
「わかった、連れていこう。面白そうな本があったら、持って行ってもいいからね」
「ほんと? やったー」
わたしは喜んで両手を挙げ、バンザイのポーズになった。
……これに限ったことでもないけど、わたしはべつに、幼児の演技をしてるわけじゃない。
自分では常々、ごく自然に振舞ってるつもりなのに、なぜか口調はたどたどしくなり、仕草やリアクションは幼児そのものになる。どんな理屈でそんなギャップが生じるのか、自分でもわからない。
身体が成長すれば、このへんは、また変わってくるんだろうと思う。
父が両手をのばし、バンザイしてるわたしの腰を持って、ひょいっと抱きかかえた。
「諸君は、各自の仕事に取り掛かってくれたまえ。私もすぐに戻る」
父は、職員の人たちにそう声をかけると、わたしを胸に抱えて、執務室を出た。
廊下に人影は見当たらない。
ただ、父に抱えられて通り過ぎた、いくつかの部屋のドアの向こうからは、慌ただしい会話が聞こえてきていた。
ハイハットの事態に、様々な部署が対処をはじめているのだろうなと、なんとなく予想はつく。
父も、あまり、のんびりとはしていられないはずだ。
わたしも、書庫に一度入るという目的さえ達したなら、あとは適当なおみやげの本を見繕って、さっさと屋敷へ帰るべきだろう。父の邪魔にならないように。
「さあ、ここだよ」
少し古びた、両開きの立派な大扉。その先に広がっていたのは……。
暗く、入り組んだ、迷宮のような空間。
狭いわけじゃない。床面積はかなりのもの。わが家の書庫の五、六倍ぐらいはありそう。
また、左右の壁面には、大きな窓が開いており、天井近くにも採光窓が並んでいる。昼間の室内全体としては、照明不足というわけでもない。
広い空間でありながら、ところ狭しと並ぶ、巨大な本棚の整然たる列。
本棚と本棚の間は、人ひとり通るのがやっとというスペースしかない。
おかげで外光が床まで届かない。それで、さながら洞窟か地下迷宮かというような、薄暗く窮屈な雰囲気になってしまっている。
「どうだい、広いだろう。わがアルカポーネ領で、これだけ本が置いてある場所は、他にはないだろうね」
「うん、すごい! ひろい! 本もいっぱい!」
わたしがうなずくと、父もなんだか嬉しそうに微笑んだ。
「よし。シャレアが好きそうな本は……そうだな……」
父は、私を抱えたまま、ゆっくり書庫内に足を踏み入れた。それだけで、木張りの床が、ギシギシ軋んでいる。
ここに並んでいるのは、ひとつひとつが巨大な木製棚。それを隙間なく連結して、両面二十列ぐらい、部屋の奥のほうまで整列している。
本棚の重量だけで相当なものだろう。さらに、そこにぎっしりと本が収まっている。よく床が抜けないものだ。
父が書庫の奥へと歩いてゆく間、わたしは左右の棚をちらちら見ていた。
居並ぶ背表紙が、どれもこれも光り輝いて見える。伝記、史書、神話、物語、思想、随筆、学術……興味深い題名のオンパレード。様々な分野の論文集まである。
なかでも、特に気になる背表紙が。
『応用魔術大全』という。それも一冊じゃない。本棚ひとつ埋めつくす冊数。何十巻あるのこれ。
わたしは、屋敷にあった魔術書の内容を完全に諳んじて、数多くの魔法を修得済み。実地ではまだ試せてない魔法も多いけど。
ただ、魔法は使えても、その上手な活用法ということになると、あまり自信はない。
ゲームと違って、ボタンをポチっとすれば自動的に望む効果が得られる、というような単純なものではないからだ。
かろうじて『認識阻害』の魔法については、自分なりに工夫をこらし、多少使いこなせるようになった。「おでかけ」の保険として、どうしても必要なことだったから。
けど、他の魔法は、まだまだ使いこなせていない。
おそらく『応用魔術大全』は、そんなわたしが、いま最優先で学ぶべき事柄……魔法の実際的運用について、詳しく記されているに違いない。
あれは、欲しい。
読みたい……。
しかし今は、その衝動をグッと抑え込んだ。
後で読める! またここに来れば読める! それまでの辛抱! と自分に言い聞かせて。
そんなわたしの様子に、父はとくに何も気付くことなく、さっさと奥のほうの棚へ歩み寄った。
「さて、どうかな? このへんにある本なら、シャレアも楽しめるんじゃないか?」
そこに並んでいたのは、いかにも素朴な装丁の子供向け絵本たち。確かに、四歳児が読むなら、本来はこれくらいが相応だろう。
『百回泣いた赤鬼』
『しあわせをよぶ火の鳥』
『赤い頭巾と狼狩り』
百回も泣かされる赤鬼さん、かわいそう……。
結局、それらの絵本を、何冊か持ち帰ることにした。これはこれで面白そうだしね。