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#012


 父の胸に抱かれたまま、領館の内部へ。

 玄関ホールは意外と狭く、その奥も、やけにゴチャゴチャした印象。

 色々と専門部署があり、細かく区画が分かれているのが、その理由のようだ。

 ……前世で稀に見かけた、古い木造アパートに似た雰囲気。

 玄関の脇に受付窓口があるんだけど、これもアパートの管理人室みたいに見えるし。

「さて、まずは宿直室へ行こうか。あそこにベッドがあるから――」

 と、随員を引き連れて奥へ向かいかける父。とりあえずベッドでわたしを休ませよう、ということらしい。

 でも。

 その前に、どうしても、急いで済ませておきたいことがある。

「パパ。あのね」

 わたしは、父の耳元に、誰にも聞こえないよう、そっと小声で、あることをささやいた。

 父は、ハッと気付いたように、足を止めた。

「そうだね。すぐ行こう。……ああ、諸君は、先に執務室へ行ってくれ」

 と、父は背後の職員の方々へ声をかけると、さっさと廊下を進んで、角を曲がったところで、ゆっくりとわたしを床へ降ろした。

「さ、ここだよ。行っておいで。待っててあげるから」

「いってくるー!」

 わたしは、大急ぎで、トイレへ駆け込んだ。






 まだ馬車にダンパーもサスペンションも付いてない、この世界。

 なのに、おトイレ事情は進んでいて、水洗式が普及している。

 屋敷もそうだったし、この領館のおトイレもきっちり水洗。お掃除も行き届いていてピッカピカだ。

 まず、急いで、用を済ませた。

 それから、馬車旅で受けたダメージを回復するために、『治癒』の魔法を使った。

 魔法の発動と同時に、ぱぁっ、と、一瞬、わたしの全身が白く輝く。これを誰にも見られないよう、トイレに入る必要があったのだ。

 光が収まったとき……わたしの身体の節々に残っていた痛みや疲労感は、きれいさっぱり消えて無くなっていた。

 以前読んだ魔術書には、『治癒』魔法の効果は、ちょっとした怪我を塞いだり、わずかに疲労を回復する程度だと書いてあったのだけど。

 いま実際に使ってみると、効果は絶大だった。これ多分、かなり酷い怪我とかでも治っちゃうんじゃないだろうか。まだそういう状況になったことがないので試してないけど。

 モンスター狩りでレベルが上がったことで、魔法の威力も向上しているのかもしれない。

 わたしはすっかり元気になって、トイレを出た。

「おお。早かったね」

 父は律儀に廊下で待ってくれていた。

「パパ。わたし、げんきだから、ねなくても、だいじょーぶだよ」

「そうかい? じゃあ、パパの仕事場を見せてあげようか」

「うん、みたい!」

 そんなわけで、宿直室には向かわず、わたしは再び父の胸に抱かれて、廊下を抜け、階段をのぼった。

 二階の長い廊下の突き当たり。

 両開きのドアの向こう、広々とした空間へと踏み込む。

 さきほど立ち分かれた職員の方々が、壁際に居並んで、わたしたちを迎えてくれた。

「ここが、パパの執務室だよ。いつもここでお仕事をしているんだ」

「ほぇー」

 父がにこやかに告げる。

 わたしは、素直に感嘆の声をあげていた。

 壁や床は、よく磨かれた板張り。面積はざっと三十畳相当というところ。

 窓は大きく開かれて、陽の光をしっかり採りこんでいる。

 広い室内、まず目につくのは、奥に鎮座する、ばかでっかい木製デスク。父の執務机だろう。

 その手前には、ソファとローテーブルの応接セット。かなり立派なつくりになっている。来客との面談用かな。

 出入口から向かって左側の壁沿いに、鉄製の棚が並んで、資料らしき紙の束がぎっしりと押し込まれていた。

 贅沢な調度のたぐいは一切見当たらない。天井に掛かっているのも、シャンデリアなんかじゃなくて、ただの燭台だし。

 質実剛健。田舎領主の執務室とはこういうものなのか。あるいは、父の性格によるものか。そこらへんはよくわからないけど。

「さて、パパはこれから、やりかけの仕事を片付けるから、そこに座って待っててくれるかい?」

「うん、いーよ!」

「よし、すぐに終わらせるからね」

 父はわたしを応接セットのソファにポフンと座らせ、そのまま悠然と執務机についてペンを握ると、なにか書き物をはじめた。

「まず、ラクミヤくん」

「はい」

「サインは済んだ。持っていきたまえ」

「承知しました」

「次、アスミス」

「はい」

「サインはしておいたが、まだこの件は本決まりではない。先方と、いま一度、よく話し合い、詳細を詰めたまえ」

「はっ、仰せの通りに」

「では次。ラークくん、必要な署名はこれでいいのだね?」

「はい、ありがとうございます」

 こんな具合に、次から次へと紙をめくって、さらさらと書き続けながら、待機していた職員を呼び寄せ、決済した書類を手渡していく。

 父が働いてるところ、初めて見た。ああしていると、すごく有能な経営者っぽい……。

 そんな父の姿に、ちょっと見惚れていると。

 廊下のほうから、新たな足音が響いてきた。

 ドアがノックされる。

「入りたまえ」

 父の声に応じて、ドアが開かれた。さっき玄関先で、ちらと見かけた人だ。

 若い女性職員。手に紙の束のようなものをたずさえている。

 あれはもしや……。

「どうした、マリシアくん」

「こちらをごらんください」

「新聞か。どれ」

 あ、やっぱあれ、新聞か。この世界にも新聞はあるんだな。

 屋敷には、新聞のたぐいはまったく置かれてなかったけど、ゲームの「ロマ星」では、学園の教職員らが街のスタンドで新聞を買って読む、というシーンが何度か描かれていた。

「……これは」

 その新聞の一面に目を通した途端、少しだけ、父の顔色が変わった。

「きみたちは、もう知っていたのか?」

 と、周囲を眺め渡す父。

「はい。第一報は、早馬で、今朝のうちに届いておりました」

 職員さんの一人が、落ち着き払って応えた。

「すでに我々のほうで、必要な対応は始めております。ただ、領兵の動員については、我々の権限では決定できませんので、これは領主さまのご裁可を待たねばと。そういう状況です」

「そうか、それでみんな、わざわざ待機していてくれたのか」

「はい。いかがなさいますか?」

「すぐに始めよう。諸君、急いで必要な書類を持ってきてくれたまえ」

「はっ!」

 たちまち慌ただしい反応を見せる職員さんたち。

 いったい何が起こっているのか。

「ねー、パパ」

 と、わたしは声をあげた。

「それ、なあに? わたしも、よみたい」

 途端に、室内の目が、一斉にわたしに向けられた。

「あー、シャレア……」

 父は、わずかに落ち着きを取り戻した様子で、穏やかに告げてきた。

「これは新聞といってね。シャレアには、ちょっと難しいかもしれないよ。それでも読むかい?」

 デスクごしに、父が訊いてきた。職員の方々は、まるで珍獣でも見るような眼差しを、わたしに向けてきている。

 新聞に興味を持つ幼児って、そんな珍しいだろうか?

「うん、しんぶん、よんでみたいの!」

 ここは無難に、そう応えておく。

「そうか。マリシアくん、これを」

「はい」

 すぐに、女性職員のマリシアさんが、父のデスクからわたしのもとへ、新聞を持ってきてくれた。

 その一面記事の見出し。

『ハイハットにモンスターの大群が出現、住民に被害も』

 んー?

 ハイハットって、たしかこの領都の近くの村で……ダンジョンがある山のふもと、だったような。

 これ、もしかして、かなり非常事態なのでは?


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