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#009

 視界が真っ白になる。

 ほんの、瞬きする間に。

 眼前の光景が入れ替わった。

 わたしは、屋敷の外塀のそばに立っていた。

 父に何度か連れていってもらった場所だ。

『転移』は、術者が一度でも「直接訪れた場所」であれば、どこにでも任意に瞬間移動できるという、強力な魔法。

 ゲーム「ロマ星」でも、ルナちゃんは終盤にこの魔法を修得して、RPGパートでの移動時間短縮、ノベルゲームパートでは様々な事件解決のために活用していた。

 ただ、なにせわたしは、この世界に転生して以来、ほとんど屋敷の外へ出たことがなかった。

 現時点では『転移』を用いても、この外塀沿い、屋敷の周りほんの十数メートルという範囲までしか移動できない。

 それでも――屋敷の外へ抜け出せさえすれば、あとはどうにでもなる。

 時期は晩春。

 日はとうに暮れて、あたりは真っ暗。

 寒くも暑くもない。空もよく晴れて、見上げれば頭上一面、それはもう見事な星空が広がっている。

 目にも綾なす、とはこのことだろうか。とにかく綺麗で壮大な星々のきらめきに、わたしは一瞬、圧倒されたように見入ってしまった。

 この星空の下に、わたしの「最推し」たちが、いま息をしている。確かに生きている。

 そう思えば、俄然、テンションも上がるというもの。

 わたしは鼻息荒く、新たな呪文を詠唱した。

『身体強化』

 わたしの全身が、ぱぁぁ、と青く輝いた。これもゲームで修得できる魔法のひとつ。

 ゲームと違って、自分のレベルやステータスなどを、数字で直接把握することはできないようだ。

 けれど、この魔法で、確かに自分の全身が大幅に強化されたという実感はある。

 いまなら、どこまででも走って行けそう。

 わたしは地面を蹴って、塀のそばを離れ、暗い夜の森へと駆け出した。

 さあ、行こう。

 はじめての、お出かけだ。






 付近の地形は、あらかじめ地図を参照して、すべて把握済み。

 現在地は屋敷の南東、領都リュカへと続く街道の外れの森林地帯。

 ここからもう少し街道を離れて、森をまっすぐ南下すれば、屋敷からみて最も近いモンスター生息域に入れるはず。

 三歳児の足で、こんな夜の森の中を進むのは、あまりに無謀。普通ならば。

 いまのわたしは『身体強化』で全身の能力を大幅に底上げしている。

 さらに『気配察知』『暗視』『危険回避』などの補助魔法をも重ねがけして、昼の平地を駆けるも同様に、木々の間をすり抜け、まさに飛ぶように移動している。時速二十キロぐらいだろうか。

 そのまま三十分も森の中を突っ切り、駆け続けた頃――。

 唐突に、森の木々の彼方、左右前方に気配を感じた。

 人間の気配じゃない。

 わたしの本能が告げてる――人間ではない、むしろ人間とは根本的に相容れない、おぞましい何か。

 そういう気配が複数、わたしを待ち受けていた。

 行手に、鬱蒼とした木々の幹が連なって、壁のように視界を遮っている。

 その向こう側。

 木々の陰から、ゆっくり姿を現したのは、四足歩行の大型獣。その一群。

 数は……四頭。まるでわたしを半包囲するように、あらかじめ左右に分かれて待ち構えていたらしい。

 低い唸り声が複数、森のしじまを破って、わたしの耳へ届いてくる。

 わたしは足を止め、身構えた。

 墨を流し込んだような真っ暗闇のなかに、うごめく四つの影――わたしは『暗視』魔法の効果で、その姿をはっきりと視界に捉えている。

 でっかい犬……のように見えるけど、そんな可愛いものじゃない。

 この近辺に棲息する、ブロスターウルフの群れだろう。わが家にあったモンスター分布図にも記載されていた。

 蔵書のモンスター図鑑によれば、森林の特定領域に定住する、狼によく似た姿の中型モンスター。

 中型といっても、野生の狼よりふた回りほど身体が大きく、三歳児のわたしからすれば、小山にもひとしい巨体だ。身体能力や獰猛さも狼以上。しかも、そこそこ知能が高く、連携して狩りを行うこともある。

 ゲーム内で、冒険者組合による危険度指定はランク「中」だったと記憶している。このランクは最上の「災害」から最低の「無害」まで六段階あり、ブロスターウルフは上から三番目。熟練の冒険者でなければ太刀打ちできない、かなり強力なモンスターと位置づけられていた。

 四頭のブロスターウルフは、敵意を隠そうともせず、牙を剥いて、身をかがめ、じりじり距離を詰めてきていた。

 でも、正直、まるで怖いと思えない。ゲームで何度も見た雑魚モンスターだからというのもあるけれど、なにより。

 このときを、わたしはずっと待っていた。修得した攻撃魔法を、実際に試す機会を。

 また、この世界でモンスターを倒したら、ゲームと同じように強くなれるのか、ならないのか。つまり経験値とレベルとステータス。そういうシステムが、この世界には存在しているのか、いないのか。

 そのあたりの疑問を、実地に検証する機会でもある。いちいち怖がってなどいられない。

 ブロスターウルフ四頭のうち、二頭が左右に大きく回りこんだ。おそらく、わたしの退路を断とうとしている。

 そうする間に、残りの二頭が、同時に地面を蹴って、こちらへ飛びかかってきた。

 ……あれ?

 なんか、すごく遅い……?

 二頭とも、まるで水の中をもがきながら、ゆっくりゆっくり、近寄ってきているように見える。

 とにかく迎撃。

 わたしは、余裕をもって右手を前に突き出し、無詠唱で魔法を発動させた。

『迅雷』

 途端、わたしの掌から、青白い光が閃く。

 二頭のブロスターウルフは、真正面から青い閃光になぎ倒され、ばたばたと、その場に倒れ込んだ。

 焦げ臭い。

 二頭の背中から、ぷしゅううー、と、白い煙が立ちのぼっていた。

 それはいいんだけど……。

 私が魔法を放った直後、ブロスターウルフだけじゃなく、その背後の木々、十数本まとめて、一斉に幹がへし折れ、盛大な煙をあげて、まるで踏まれた雑草のように、ばっさばっさと倒れていった。

 ……おかしい。『迅雷』って、わたしが知ってる攻撃魔法では一番威力が弱いやつなのに。

 ただ、ゲームのブロスターウルフには特効で、しかも無詠唱で素早く使用可能ということで、使ってみたんだけど……こんな威力は想定外。

 モンスターは倒したけど、とくに身体に変化などは起きていない。まだ経験値が足りなくてレベルアップできないのか、それとも、そもそもそんなシステムは存在しないのか。

 などと考えているところへ、残りの二頭が、わたしを挟み撃ちにするように、左右から突進してきた。

 ……やっぱり遅い。

 わたしは、まず右側の個体へ、もう一度『迅雷』を放った。

 ほとばしる蒼い雷。直撃を浴びたブロスターウルフは、その場にパタンと倒れ込んだ。ついでにその後ろの木々も、さながら巨人の棍棒で横薙ぎにでもされたように、ドザザザッ! と一斉に倒れてゆく。

 続いて、左側へと向き直り――あ、これちょっと、魔法は間に合わない感じだ。もうすぐそばまで来てる。

(噛まれる――)

 わたしは、ほぼ反射的に、左手を振り上げ、迫り来るブロスターウルフの鼻面を。

 引っぱたいた。

「ヴォフン」

 なんとも不気味な声をあげて、ブロスターウルフの巨体が宙を舞い、十メートルも彼方へすっ飛び、地面に落ち転がった。

 ブロスターウルフは、わずかに四肢を痙攣させて、それきり動かなくなった。死んだらしい。

 ……え?

 いまわたし、素手で、叩いただけ……だよね?

 それで、あのでっかいモンスターが吹っ飛んで、死んだ?

 え? もしかして、わたし、もう既に、素手でモンスターを殴り殺せるぐらい強かったりする……? 三歳児なのに?

 あ、そうか。

 これって『身体強化』を掛けてるからだ。その恩恵で腕力も物凄く強くなってるんだろう。たぶん。

 ……とか考えていると。

 突然、わたしの全身が、キラキラと黄金色に輝きはじめた。

 同時に、体中に、ぐんぐんと活力がみなぎってきた。今までにない新しい力が、身体の奥底に宿って、燃えはじめているような、不思議な感覚。でも不快じゃない。心地いい。

 ……これって。

 いまのモンスター討伐で、経験値がたまって、レベルアップしたってことかな?


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