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#008

 三歳になった。

 強くなろうと決意したあの夜から、わたしは一層読書と勉学に励んだ。なにせ、まだ一人で外出もできない身なので。

 わたしの精神は、普通の幼児より少し丈夫にできているようで、長時間の読書でも集中を切らすことがない。

 これも、アナーヒター様……あの天国の神様たちの加護なのだろうか?

 ともあれ、三歳までに、家の蔵書は一冊残さず読破していた。

 お金はないが、伝統だけはあるアルカポーネ子爵家。

 その書庫には、いわゆる魔術書のたぐいも数多く蔵されていた。魔法の教本である。当然、それらも全部読み終えている。

 この世界には魔法が存在する。ゲームでもルナちゃんをはじめ、多くのキャラが強力な攻撃魔法や治癒魔法、補助魔法を使いこなしていた。

 さいわいなことに、それらゲームで見かけた魔法について、わが家の魔術書は全て網羅していた。

 魔法を使うには素質がいる。先天的な才能であり、世間全般では、魔法が使えない人のほうが多い……と、これは使用人たちが話していたことだ。我が家の場合、父は魔法が使えるけど、母はまったく使えないのだとか。

 わたしは、いまや、ゲーム内で使用可能だった魔法について、すべて修得している。

 火や雷を飛ばす攻撃魔法、怪我や状態異常を癒す回復魔法などが主だけど、さすがに、まだ実際に試す機会はなかった。

 わたしが修得した魔法のなかには、補助魔法といわれる特殊なものが数多くあって……これをうまく組み合わせれば、面白いことができそうだ。

 三歳になったわたしは、身体もどんどん大きくなっている。伸び盛りだ。

 つい先日、はじめて父に屋敷の外へ連れ出してもらった。といっても、門を出て、屋敷の周囲をちょっと散歩したぐらいだけど。

 屋敷の外、森と平原しかない。街道はあるけど、舗装もされておらず、森の彼方は草原か麦畑。地形のアップダウンも激しく、どの方角を見ても、地面が波打ち、うねりまくっている。ろくな民家の一軒も見当たらず、街道を歩く人影もない。

 一応、この近辺の地形は、書庫にあった地図でだいたい把握していたつもりだったけど。

 実際この眼で見ると、想像以上の僻地だった……。

 アルカポーネ子爵領の領都リュカは、ここから馬車で二時間ほどの距離という。

「リュカは小さいけど、いい町なんだよ。来年には、おまえも連れていってあげよう」

 と父は言う。三歳児に馬車での移動はまだ早い、という判断だろうか。ちょっと過保護な気もするけど、それだけ大事にされてるんだなという実感もある。

 ところで、屋敷の門から出て北西の方角、かなり遠くに、大きな山がそびえていた。

「ああ、あのお山が気になるかい? あれはザグロス山だよ。今日みたいに天気のいい日には、はっきり見えるね。ふもとの森に高い塔が建っていて、魔女が住んでいる、なんて噂もあるよ」

 父は、小さなわたしを抱きかかえながら、上機嫌で教えてくれた。

「まじょ?」

「ああ。でも人の命を操る、悪い魔女だとも聞くね。どのみち、隣りの国だから、私たちがあそこに近付く機会はないだろうさ」

「そっかー」

 わたしは、うなずいてみせながら、内心、少々複雑な気分にとらわれていた。

 ザグロス山の麓。高い塔に住む魔女。

 間違いない、「ロマ星」における最大の敵、北塔の魔女のことだ。やはりこれも実在していた。

 噂話だというけど、そんな魔女の噂がある時点で、もうポーラの破滅フラグの一方は立ってしまっているも同然。

 ルードビッヒが死ねば、ポーラは魔女のもとに向かい、破滅の運命を辿ることになる。

 そうはさせない。

 強くなって、ルードビッヒを守り抜く。それがポーラの破滅フラグをへし折ることにもなるはずだ。

 そのために。

 このときわたしは、ひそかに、ある計画を立てて、実行に移そうとしていた。

 三歳になって、わたしは両親と一緒に寝ることはなくなった。今は専用の寝室でひとりで寝ている。

 父は育児休暇を終えて、リュカの町で政務を再開していた。屋敷には週に二日ほどいるだけで、リュカの領館で寝泊まりする日が多い。帰ってきたときは、全力でわたしにベッタリだけど。

 母もだいたい似たようなもの。ただ、以前ほどには、わたしに構わなくなっている。わたしって普段おとなしいので、手がかからない子だと思われてるのだろう。

 一方、使用人の方々は、以前からそうだったけど、わたしの行動に絶えず目を光らせている。

 監視というほど大袈裟なものでもないけど、屋敷の中であっても、ちょっとした段差や、タンスの角など、小さな危険はどこにでも潜んでいる。

 万一そういうところで、わたしが怪我でもすると、彼らが叱責を受けるのだ。そういうことにならぬよう、彼らは常にわたしをしっかり見守っている。

 そんな具合で、三歳児となった今でも、自由に行動するのは、なかなか難しい。

 まして勝手に屋敷の外へ出るなど、許されるわけもなし。

 そこで、補助魔法の出番というわけだ。

 ――夜。

 わたしはいつもの通り、母におやすみの挨拶をして、ベッドに入った。

 使用人の女の子が、そっと寝室の蝋燭の火を消し、部屋を出て行く。これまた、いつも通り。

 でも今夜、わたしは眠らない。

 今日は昼間のうち、あえて書庫で昼寝して、体力を温存しておいた。

 部屋の外にも、人の気配はない――。

 わたしは、むくりと起き出すと、パジャマを脱ぎ捨て、あらかじめベッドの下に置いておいた子供服をもそもそと着込んだ。

 先日、父がリュカの町で買ってきてくれた、かわいらしい赤いワンピースだ。さすがにパジャマ姿で外に出るのはどうかと思うので。

 靴をはき、身だしなみを整えると、部屋の隅に転がっていた大きなクッションを運んで、ぼすんっ、とベッドの上に置いた。

 わたしはおもむろに、小声で呪文詠唱をはじめた。

『認識阻害』

 魔法の効果が発動する。ベッド上のクッションが一瞬、ぱぁっと輝いた。

「成功、っと」

 いま、ベッドの上には、パジャマ姿のわたしが、普通に寝転がっている。ように見える。

 もちろん実際にそこにあるのは大きなクッションであり、本物のわたしは、ベッドのそばに立っている。

 これは補助魔法の一種、『認識阻害』という魔法。魔力によって人間の五感をあざむく術を、クッションに設置している。

 具体的には、誰の目にも、クッションがわたしの寝姿に見えるように、人間の認識を阻害し、誤解させている。そういう効果を持つ魔法だ。

 このとおり、術者のわたし本人の認識すら歪ませてしまうほど強力な魔法だ。視覚だけでなく触覚や嗅覚すら騙せてしまうので、もし直接触れられても、それだけで簡単にバレることはない。

 どんな認識を相手にもたらすか、そこは事前にしっかりとイメージを練っておく必要がある。今回だと、パジャマ姿のわたし、というイメージをしっかりと脳裏に思い描いてから、それを対象物に投射するような感じだ。

 漬物石やクッションをわたしに化けさせることはできても、わたしの知らない物体に化けさせるのは無理。そういう欠点はある。

 効果のオンオフは任意に可能。時間制限のようなものもない。

 ただ、わたし自身の魔力が切れれば、認識阻害の効果も切れる。

 また、わたしより魔力が高い相手には、見破られてしまうおそれがある。

 とにかく、これで偽装完了。母や使用人たちが夜中に部屋を見に来ても、これならわたしが不在だとすぐにバレることもないだろう。

 次は――。

 再び、魔法の詠唱をはじめる。こちらは『認識阻害』より数段高度な魔法だ。

 呪文が長く、消費魔力も凄まじい。おそらく今のわたしの魔力では、せいぜい日に二度、三度くらいしか使えないだろう――。

 けれど、これを使うことで、自由な外出が可能になる。

 最大の切り札だ。

 足元の床に、ぼうっ、と金色の光が浮かび、わたしの周りを、ぐるりと取り囲んだ。

 光る魔法陣が、わたしの足元に構築されている。

 いよいよ発動。

『転移』

 次の瞬間。

 魔法陣の輝きに呑まれるように、わたしの姿は、その場から、影も残さず消え去った。


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