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#005

 二歳になった。

 優しい両親の愛情を受けて、わたしは、それはもう、すくすくと成長した。

 いまでは、屋敷の中なら、ある程度、自由に歩きまわれるようになった。

 天気の良い日には、両親が庭に連れ出してくれる。

 澄み切った青空の下。

 庭の木々は、豊かな枝葉を青々とざわめかせ、木漏れ日が目にもまばゆい。

 狭い庭園の中ではあるが――この世界は、こんなにも美しいのかと、心の中で感動していた。

 さすがに、まだ屋敷の外に出たことはない。来客も滅多にない。よほど田舎なのだろう。

 たまに出入りの商人が来るぐらいで、それも忙しいのか、仕事を済ますとさっさと帰ってしまう。

 屋敷の外の話を聞いてみたいと思っているのだけど、なかなか機会がつかめなかった。

 雨の日は読書。もっぱら家の書庫に入れてもらって、家に代々蓄えられてきた蔵書を、片っ端から読み漁った。

 子供向けの物語本もそれなりにあったが、伝記物や歴史書が大半だった。

 ここにある本の多くは、がっしりした革表紙、白い上等な紙に、高品質な活版印刷。製本もしっかりしている。

 この世界の文明の水準も、これである程度、推測できるというもの。

 とくに文字など教わったりはしていない。日本語ではなく、まったく未知の言語でありながら、なぜか直感的に理解できた。

 転生時に与えられた加護……とかだろうか? ともあれ、読み書きで苦労することはほとんどなかった。

「シャレアは凄いな。その年で、もう本が読めるなんて。本は面白いかい?」

「おもしろいよー!」

 わたしは、笑顔で答えた。

 実際、ここにある本は興味深いものが多かった。

「そうか。今度、ミーレスに頼んで、新しい物語本を持ってこさせよう」

 時折、父とはそんな会話をする。たぶん子供用の絵本でも読んでいると思っているのだろう。ミーレスというのは出入りの商人だ。本も売ってくれるらしい。

 既に、書庫にある史書のたぐいには全て目を通して、内容もそらんじている……なんて、わざわざ自分から言う必要はない。そんな二歳児、ドン引きされることうけあいだし。

 父の見た目は、金髪碧眼痩身のナイスミドル。一児の父とはいえ、まだ十分若々しく、いかにも有能そうな雰囲気がある。

 ただ、実際に父が仕事をしているところは、まだ見たことがない。

 子爵で領主だし、政務とかあるはずだけど……と思っていたら、いまは育児に専念するため当面休業中で、政庁には領主代理を置いてるんだとか。うちのパパ、イクメンだった。






 母は、ちょっと線の細い父親とは対照的に、腰が太く、足が太く、首も太い、どっしりした、肝っ玉母さんだった。

 だらしなく肥満しているのではない。むしろ筋肉。筋肉が太い。柔道の重量級選手のイメージが近いだろうか。手足もがっしりとして、実際かなり力が強い。

 屋敷には使用人もそこそこいるのに、家事の大部分を自分でやらなきゃ気がすまないそうで。あまり貴族の令夫人らしからぬ、ちょっと忙しない人である。

 使用人たちから、それとなく聞き取った情報によれば……父は、代々続くアルカポーネ子爵家の跡取り。母は騎士家の三女。

 結婚するには少々厳しい身分差だったが、父が母にベタ惚れして、周囲を説得して回り、どうにか結婚まで漕ぎ着けたのだとか。

 いい話だ。こんな身近に、こうも尊いカップルがあるなんて。

 実際、夫婦仲も円満だ。見てるこっちがちょっと恥ずかしくなるぐらいには。だから娘の目の前でフレンチキスはどうなのお二人さん。

「そういえば、あなた。聞きましたか」

「なにをだい?」

 夕食後。

 暖炉のある居間にて、一家団欒のひととき。

 大きなソファの真ん中に、母がどっしりと座って、左腕にわたしを抱き、右腕で父の腰元をがっしりホールドしながら、話題を振っている。その右腕からは、最愛の夫を掴んで離さぬという、強い意思を感じる。

 でもちょっと締め付けすぎじゃないかなあ。父の腰骨、折れなきゃいいけど。その父のほうは、たいそう幸せそうな顔してるから、あれでいいのか。

 母は時々、馬に乗って、どこかへお出かけしている。おそらく近隣のママ友……とか、そんな感じの人たちと会って、噂話を仕入れたりしてるんだろうな。

「ほら、先月、王都で、ルードビッヒ殿下の四歳祝いがあったでしょう?」

 母がそう語ったとき。

 わたしの耳が、ピクリ! と動いた。ルードビッヒという名前に反応して。

「ああ。まだ詳しいことは聞いてないが、何かあったのかい?」

 父がうなずく。

 ルードビッヒ。

 ……ルードビッヒ!

 その名は、わたしの記憶に、このうえなく強烈に刻み込まれている。

 フレイア王国第三王子、ルードビッヒ・アウェイク。

 忘れるわけがない。

 かの「ロマ星」における、わたしの「最推し」キャラこそ、そのルードビッヒなのだから。

(本当に、この世界にいたんだ!)

 わたしは、声にこそ出さないが、すっかり興奮していた。

 母が、くすくす微笑みながら言う。

「それがね、今年はポーラ様もおいでになられて、初めて、お二人ご一緒のお祝いパーティーになったんですって」

「ほう、ポーラ様が。それはさぞかし、賑やかなパーティーになったのだろうね」

「ええ。パーティーは大盛況で、陛下もたいそうご機嫌だったそうよ。それに、お二人はとても仲がよくて、まだお小さいのに、もう夫婦みたいだって、すっかり王都中の噂になってるんですって」

 おお、ポーラの名前まで出てきた!

 公爵令嬢ポーラ・スタンレー。

 ルードビッヒと同年同日同時刻に誕生したという、金髪縦ロール美少女令嬢。「ロマ星」においては、きわめて重要な役どころを務めるキャラクター。

 そんなポーラは、ルードビッヒと並んで、わたしのもう一人の「最推し」キャラでもある。

 ルードビッヒとポーラ。

 同年同日に生まれた幼馴染みで、ずっと仲むつまじい恋人たち。

 この二人こそが――わたしの「ロマ星」最推しカップルだ。

 そんな「最推し」「最尊」カップルな二人の名を、ここで聞くことができようとは。

 彼らは、わたしより二つ年上。ということは、いずれわたしが王立学園に入るときには、二人はまだ最上級生として在学中のはずである。

 父と母は、もうルードビッヒたちの話題から離れて、近隣の噂話など、他愛の無い夫婦の会話をしている。

 そんな父母をよそに、わたしのテンションはとどまるところを知らず上がり続けていた。

 彼ら「ロマ星」のキャラクターたちが、この世界に間違いなく実在していることが、確定した。

 ということは。

 いつか、あの「最推し」二人の姿を。

 この目で直接、見られる機会が来るかもしれない――!


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