二歳になった。
優しい両親の愛情を受けて、わたしは、それはもう、すくすくと成長した。
いまでは、屋敷の中なら、ある程度、自由に歩きまわれるようになった。
天気の良い日には、両親が庭に連れ出してくれる。
澄み切った青空の下。
庭の木々は、豊かな枝葉を青々とざわめかせ、木漏れ日が目にもまばゆい。
狭い庭園の中ではあるが――この世界は、こんなにも美しいのかと、心の中で感動していた。
さすがに、まだ屋敷の外に出たことはない。来客も滅多にない。よほど田舎なのだろう。
たまに出入りの商人が来るぐらいで、それも忙しいのか、仕事を済ますとさっさと帰ってしまう。
屋敷の外の話を聞いてみたいと思っているのだけど、なかなか機会がつかめなかった。
雨の日は読書。もっぱら家の書庫に入れてもらって、家に代々蓄えられてきた蔵書を、片っ端から読み漁った。
子供向けの物語本もそれなりにあったが、伝記物や歴史書が大半だった。
ここにある本の多くは、がっしりした革表紙、白い上等な紙に、高品質な活版印刷。製本もしっかりしている。
この世界の文明の水準も、これである程度、推測できるというもの。
とくに文字など教わったりはしていない。日本語ではなく、まったく未知の言語でありながら、なぜか直感的に理解できた。
転生時に与えられた加護……とかだろうか? ともあれ、読み書きで苦労することはほとんどなかった。
「シャレアは凄いな。その年で、もう本が読めるなんて。本は面白いかい?」
「おもしろいよー!」
わたしは、笑顔で答えた。
実際、ここにある本は興味深いものが多かった。
「そうか。今度、ミーレスに頼んで、新しい物語本を持ってこさせよう」
時折、父とはそんな会話をする。たぶん子供用の絵本でも読んでいると思っているのだろう。ミーレスというのは出入りの商人だ。本も売ってくれるらしい。
既に、書庫にある史書のたぐいには全て目を通して、内容も
父の見た目は、金髪碧眼痩身のナイスミドル。一児の父とはいえ、まだ十分若々しく、いかにも有能そうな雰囲気がある。
ただ、実際に父が仕事をしているところは、まだ見たことがない。
子爵で領主だし、政務とかあるはずだけど……と思っていたら、いまは育児に専念するため当面休業中で、政庁には領主代理を置いてるんだとか。うちのパパ、イクメンだった。
母は、ちょっと線の細い父親とは対照的に、腰が太く、足が太く、首も太い、どっしりした、肝っ玉母さんだった。
だらしなく肥満しているのではない。むしろ筋肉。筋肉が太い。柔道の重量級選手のイメージが近いだろうか。手足もがっしりとして、実際かなり力が強い。
屋敷には使用人もそこそこいるのに、家事の大部分を自分でやらなきゃ気がすまないそうで。あまり貴族の令夫人らしからぬ、ちょっと忙しない人である。
使用人たちから、それとなく聞き取った情報によれば……父は、代々続くアルカポーネ子爵家の跡取り。母は騎士家の三女。
結婚するには少々厳しい身分差だったが、父が母にベタ惚れして、周囲を説得して回り、どうにか結婚まで漕ぎ着けたのだとか。
いい話だ。こんな身近に、こうも尊いカップルがあるなんて。
実際、夫婦仲も円満だ。見てるこっちがちょっと恥ずかしくなるぐらいには。だから娘の目の前でフレンチキスはどうなのお二人さん。
「そういえば、あなた。聞きましたか」
「なにをだい?」
夕食後。
暖炉のある居間にて、一家団欒のひととき。
大きなソファの真ん中に、母がどっしりと座って、左腕にわたしを抱き、右腕で父の腰元をがっしりホールドしながら、話題を振っている。その右腕からは、最愛の夫を掴んで離さぬという、強い意思を感じる。
でもちょっと締め付けすぎじゃないかなあ。父の腰骨、折れなきゃいいけど。その父のほうは、たいそう幸せそうな顔してるから、あれでいいのか。
母は時々、馬に乗って、どこかへお出かけしている。おそらく近隣のママ友……とか、そんな感じの人たちと会って、噂話を仕入れたりしてるんだろうな。
「ほら、先月、王都で、ルードビッヒ殿下の四歳祝いがあったでしょう?」
母がそう語ったとき。
わたしの耳が、ピクリ! と動いた。ルードビッヒという名前に反応して。
「ああ。まだ詳しいことは聞いてないが、何かあったのかい?」
父がうなずく。
ルードビッヒ。
……ルードビッヒ!
その名は、わたしの記憶に、このうえなく強烈に刻み込まれている。
フレイア王国第三王子、ルードビッヒ・アウェイク。
忘れるわけがない。
かの「ロマ星」における、わたしの「最推し」キャラこそ、そのルードビッヒなのだから。
(本当に、この世界にいたんだ!)
わたしは、声にこそ出さないが、すっかり興奮していた。
母が、くすくす微笑みながら言う。
「それがね、今年はポーラ様もおいでになられて、初めて、お二人ご一緒のお祝いパーティーになったんですって」
「ほう、ポーラ様が。それはさぞかし、賑やかなパーティーになったのだろうね」
「ええ。パーティーは大盛況で、陛下もたいそうご機嫌だったそうよ。それに、お二人はとても仲がよくて、まだお小さいのに、もう夫婦みたいだって、すっかり王都中の噂になってるんですって」
おお、ポーラの名前まで出てきた!
公爵令嬢ポーラ・スタンレー。
ルードビッヒと同年同日同時刻に誕生したという、金髪縦ロール美少女令嬢。「ロマ星」においては、きわめて重要な役どころを務めるキャラクター。
そんなポーラは、ルードビッヒと並んで、わたしのもう一人の「最推し」キャラでもある。
ルードビッヒとポーラ。
同年同日に生まれた幼馴染みで、ずっと仲むつまじい恋人たち。
この二人こそが――わたしの「ロマ星」最推しカップルだ。
そんな「最推し」「最尊」カップルな二人の名を、ここで聞くことができようとは。
彼らは、わたしより二つ年上。ということは、いずれわたしが王立学園に入るときには、二人はまだ最上級生として在学中のはずである。
父と母は、もうルードビッヒたちの話題から離れて、近隣の噂話など、他愛の無い夫婦の会話をしている。
そんな父母をよそに、わたしのテンションはとどまるところを知らず上がり続けていた。
彼ら「ロマ星」のキャラクターたちが、この世界に間違いなく実在していることが、確定した。
ということは。
いつか、あの「最推し」二人の姿を。
この目で直接、見られる機会が来るかもしれない――!