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おまけ5:大きいからね、仕方ないよね(中編)

 ぽかんとしつつも、クライヴのクソ真面目な自我がダニエルの指摘を検証し始める。

 そうすると思いがけず、心当たりがまろび出てきたのだ。


 彼は疲れが溜まるとヘザーを抱きしめて、ソファないしベッドに倒れ込みたい衝動に駆られることが多い。

 実際、五回に一回ぐらいは、彼女を巻き込んで仮眠を取っている。その度に彼女から

「急に無言でしがみつくな。そして倒れるな。こえぇよ」

と怒られているが。


 しかも彼女を抱きしめたがるのは別に、昼寝に限ったことではない。

 夜もほぼ毎回、ヘザーを覆い隠すようにすっぽり両腕で抱きしめて就寝し――朝になると何故か、彼女の豊かな胸元に顔を埋めているのだ。我ながら、その間の己の挙動が謎である。


 ヘザーからも

「オレのおっぱいがデカくてフワフワで、触り心地最高なのはオレも認めるよ? オレも枕にしてぇもん。でもな、枕じゃねぇから。人体だから。通気性ねぇから。そこで窒息死だけは、マジで止めろよ」

と、何度か呆れられている。


 このような愚行を繰り返した結果、ヘザーからは「オッパイ星人」なる、不名誉極まりない称号もたまわっていた。

 ただそもそもクライヴは、女性の胸にさほど強い関心を持つタイプではなかった。

 大きかろうが小さかろうが、当人が健康ならいいだろうという雑な考えだったのだ。


 ここまで執着するのは恐らく、その持ち主がヘザーだからであり――と自己弁護を始めてすぐ、「これではヘザーの胸だけ凝視容疑の、裏付けにしかならない」と察した。

 やはり自分は真っ黒、有罪であろう。今すぐティモシーが収監されている刑務所に、自分もぶち込まれるべきだ。


 クライヴが己のやらかしに気付いた後、真っ先に浮かんだのはヘザーへの罪悪感であった。

 自分は彼女に、どれだけ無礼で不躾ぶしつけな視線を注いでいたことか。

 せめて彼女自身は、婚約者の愚かしさに気付かずじまいであって欲しい。


 クライヴは真っ青になってダニエルを見つめ、乾ききった喉から声を絞り出した。

「あの、兄上……この事はヘザーには……」

 半分に割ったスコーンへたっぷりのベリージャムを載せていたダニエルは、のほほんと小首をかしげる。

「ん? ああ、安心していいよ。彼女も怒っているわけじゃなかったから」

「え」

「むしろ、最近胸ばかり見てくるから、適度に休憩を取らせてやって欲しい、というお願いがあったくらいでね」


 ダニエルの言葉の後半は、クライヴの耳には入って来なかった。彼の脳内に占めるのは、被害者本人はとっくの昔にご存知だったという恐るべき真実ばかり。

 ティモシーの些細ささいな違和感から、彼に狙いを定めていた彼女である。婚約者の露骨な奇行など、勘付いていて当然であろう。


 真っ青になって震える弟の姿に、いつも微笑のダニエルもさすがに困惑顔となった。

「あー……クライヴ、大丈夫かい? 泡でも吹きそうだけど……少し仮眠でも取るかい?」

 仮眠を提案された瞬間、ヘザーの胸を枕代わりにしていたこれまでが蘇り、冷や汗も湧き出る。

「いいえッ! 結構です!」

「いやいや、酷い顔色だよ? 無理せず休んで!」


 ダニエルもまさか、うっかりおっぱい鑑賞事案がここまでクライヴを追い詰めているなどと、思いもしなかった。

 なにせ二人は結婚秒読みの婚約者同士であり、ヤることもしっかりヤっている間柄である。

 根掘り葉掘り聞かずとも、色事に縁遠かった弟の態度から一目瞭然いちもくりょうぜんだ。


 ヘザー当人もこの奇癖を

「おっぱいガン見し始めると、机でぶっ倒れるみたいに寝落ちするまで秒読みだから、マジで心配なんだよなぁ」

と彼の体調を推しはかる、便利な計測器扱いをしていたぐらいなのだ。


 むしろダニエルはこの後にぼそりと呟かれた、

「ま、オレ以外のおっぱいガン見してたら、前歯全部折るけどな」

の方が怖かった。思わず五臓六腑ごぞうろっぷが縮んだもの。

 あれは確実に、勢い余って奥歯も折るつもりの声だ。


 なのでクライヴ本人も「やっちゃった。他所よそでは気を付けよう」と照れる程度の反応だろう、とたかくくっていたのだ。


 兄弟間の温度差によって、空気が硬直した瞬間だった。

 書斎の扉がリズミカルに叩かれ、ダニエルの返事も半ばでそれが開かれたのは。

「なあ、なんか手伝うことあるか?」

 入室したのは、披露宴用らしい深い森色のドレスをまとったヘザーだった。


 ぎこちない空気が少し和らぎ、ダニエルもほっと息を吐く。

「料理の手配も、出席者の最終確認も終わったよ。後は会場のデザインぐらいだから、何とかなるかな。それより素敵なドレスだね」

「へへ、だろ?」


 落ち着いた色合いだが、彼女の溌剌はつらつさに負けぬよう金糸の刺繍が鮮やかに、大きく開いた胸元や裾を縁取っている。

 また晩夏という季節に合わせ、随所にレースも取り入れて涼し気な印象も与えていた。


 ソファの上で硬直したままのクライヴへと向き直って、ヘザーはサテン生地の裾をちょいと持ち上げる。

「ヘ、ヘザー……」

 視線がかち合い、クライヴはビクリと身を強張らせた。

「どう? 似合ってる?」

 深い色と彼女の白い肌のコントラストが美しく、ほんのり頬を染めてはにかむ立ち姿は、愛らしいの一言に尽きた。


 クライヴだって即座に、とても似合っていると褒めちぎりたかったのに。

 最初に視線が縫い付けられたのが、見事な谷間を形成するたわわな胸元だったことに気付いてしまったのだ。


(もう駄目だ。死のう)

 そう決意するや否や、クライヴは早かった。

 真っ青な無表情のまま立ち上がると、大股で机に近づく。その横に飾られていた大きな陶器の壺へ、保身ゼロの全力頭突きをかましたのだ。


 無惨に青磁の粉砕される音が、部屋中に響き渡る。半拍遅れで、ヘザーとダニエルが悲鳴を上げて飛び上がった。

「何やってんだよ、クライヴ!」

「壺に恨みでも!?」

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