――なお、日本人である高田は知らなかったのだが。
『フロム・ジ・アビス』ならびに『霊媒探偵ライダー』の監督であるフーパー氏は生前、アメリカで開催されたサブカルチャーイベントこと、コミコンに参加したことがあった。
それは『フロム・ジ・アビス』が、アカデミー賞を受賞後のイベントであった。
その際に催されたファンとのトークショーにおいて、彼は一般客からのこんな質問に答えていた。
「あなたの初監督作である『霊媒探偵ライダー』の主人公ライダーの、奥様について教えて下さい」
「マニアックな作品の、マニアックな質問だね! どうぞどうぞ!」
お気に入り作を話題に挙げられ、フーパー監督ははしゃいでいた。
質問者は少しはにかみつつ、こう尋ねた。
「奥様は作中で、声やシルエットでの出演ばかりで一切顔が映りませんでした。これはどうしてです?」
そう。何度かライダー夫人は画面に登場しているのだが、その顔はいつも見えないのだ。
ある時は逆光になっていたり、またある時は前方の植木鉢が邪魔をしていたり。
一方で彼の子供たち――息子と娘は、普通に顔出しをしている。ちなみにどちらも、かなり可愛い。
この徹底した「意地でも奥様を映さない」ぶりは、ファンの間でも語り草となっていた。
たしかに何故なんだろう、と他の客からも同意の声が漏れ聞こえる中、フーパー監督はふっくらした顔を緩ませた。
「やっぱり気になるよね」
「ええ、そりゃもう」
「あれは色々理由があってね――ライダー夫人には、絶世の美女という設定があったんだ。でも当時の予算じゃあ、理想の俳優に出会えなくて……」
頭をかいた彼へ、他の客が質問を重ねた。
「なら、ライダーは独身の設定にすればよかったのでは?」
「うん、それも考えていたさ。でもある日、イメージボードの中のライダーが僕に怒鳴り散らして来てね」
破天荒で
「彼はなんて?」
「俺の愛する妻と子供をなかったことにしたら、容赦しないからな!って。こんなの、応じるしかないだろう?」
いかにもライダーが言いそうな、創造主への遠慮ゼロな
その波が引いた後、最初の質問者が追加で尋ねた。
「ちなみに、ライダー夫人はどんな女性なんですか?」
フーパー監督はにっこり微笑んだ。
「黒髪の、それはそれは女神のように美しい孤児院育ちの元シスターさ」
その人物像に、『フロム・ジ・アビス』を鑑賞済みのファンはにわかにどよめいた。
あるファンは「これは偶然だろうか?」と、首を傾げる。
また別の者は「きっと両作には、スタジオの意向によって分断された深い関係性があるに違いない」と推測し。
はたまた「いやいや。単に監督がシスター好きなだけだろう。別作品でも、シスターがヒロインの映画を撮っていたもの」と、邪推を笑い飛ばす人物もいた。
にっこり笑ったままの監督は、そのどよめきの全てに対して、正しいとも誤りとも言わなかった。
曰く
「そこはご想像にお任せするよ。ただ一つ言えるのは、ライダーはとても愛妻家だということだね」
だそうだ。