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87:きっと墓場も悪くない

 急にハグをおねだりしたスタンリーだったが、わざわざセクハラ目的だけでレストランを訪れたのではない。

「そうだ。館長の今後も決まったから、そのことを知らせたくてな」

「先に言えよ」

 呆れ顔のヘザーにうながされつつ、我慢の限界を超えたクライヴから突き放されたスタンリーが手短に報告した。


 ウィリアムの宿った絵は、ジョンが引き取ることになったという。順当な結論であろう。

 また再び空席になった館長職を、ウィリアムとセットでジョンが継ぐことになったらしい。無職の飲んだくれから、まさかの役職付きへの立身出世である。


「館長直々に、鍛えてくれるそうだ。ジョンもさすがに『結婚するのに無職はまずいだろ』と、案外張り切っていたよ」

「アイツ単純だな」

 ダイアンの気持ちを知った途端、たった一晩でコロリとほだされてしまった若人の行く末に、二人はにんまり笑い合う。


 なおそのダイアンはと言うと、教師を続けつつ作家業も続けるつもりだという。

「今度はお前さんらをモデルに、魔女の出て来る探偵小説を書きたいそうだ。なので許可しておいたぞ」

 胸を張り、スタンリーがそう言い添える。

「なんでアンタが許可出してんだよ。オレらのお父さんか」

「こんな奇人の父親は要らん」

 呆れ顔のヘザーに対し、クライヴは心底不本意そうであった。


 この二年後にダイアンの探偵小説は無事出版されたものの、実際の事件よりエロもグロも八割増になっていた。

 ついでに死者も、五人ぐらい増えていたため

「コレ書いたのが、血まみれのチンピラで貧血起こしてた美人って、誰が思うんだよ」

「作者の正体は切り裂きジャック、の方が腑に落ちるな」

と、ヘザーとクライヴは若干引くことになる。

 ただ、それは少し先の未来の話である。


 当事者たちの今後の方向性を報告し終え、スタンリーはニッと笑った。

「お前さんらには、本当に感謝してるよ。また何かあったら、宜しく頼む」

「未来永劫、貴殿に何も無いことを心から祈ろう」

「まあまあ。事務所にお得意さんができるのは、いいコトだろ?」

 クライヴは冷淡に拒絶したものの、メタ的視点を持つヘザーはその限りでない。

 スタンリーへ朗らかに笑い返して、クライヴをなだめる。


 そうして彼とも別れ、朝食を食べ終えたのちに二人もホテルを後にした。

 クライヴの車に荷物を詰め込み、行きと同様に羊の群れと遭遇しつつも、穏やかな草原地帯の合間の、無舗装の道を進む。


 平和な道中でふと、助手席のヘザーが長いため息を一つ吐いた。

「なんだかんだで楽しかったけど、帰った後のコト考えるとマジ憂鬱」

「何故だ?」

「だってさ、荷ほどき面倒だろ」

 そう言って、ヘザーが待ち受ける雑事に唇を尖らせていると、クライヴが意外そうに片眉を持ち上げた。


「驚いた。君でも悲観的な思考をすることがあるんだな」

「そりゃ、たまには。ホテルだとベッドメイクもご飯も、至れり尽くせりだったじゃん? セルフの生活逆戻りなんだぜ、ちょっとは悲観しちゃうだろ」


 おまけにまだ、便利な家電製品もない時代だ。案外ヘザーの負担は大きい。

 もっとも彼女に甘いクライヴからは、メイドの雇用も提案され (そしてヘザー本人が、本業にまだ余裕があるからと遠慮していた)、現在は色々と手伝ってもらってもいる。

 同時代の平民主婦と比べて、かなり楽をさせてもらっているのも事実であるが。


 皿洗いや洗濯等々を分担しているクライヴも、彼女の発言に思うところがあったらしい。たしかに、と小さく呟く。

「ホテル生活は、結果的には快適だったな」

 貴族のお坊ちゃんとしては少しばかり物悲しい気付きに、束の間ヘザーも同情の目を向ける。


「アンタはアニキのトコに戻ったら、お気楽生活送れると思うけど?」

「それは御免だ。君には申し訳ないが、今の生活の方が気に入っている」

 が、すぐさま拒否の言葉があった。嬉しい理由と共に。

 たちまちヘザーの頬が熱くなる。


「……なら、別にいいけど」

「ただ近々、兄上のところにも顔を出さねばならないがな」

「ん? なんで?」

「君と婚約を――ひいては結婚をするんだ。家長に報告するのは当然だろう?」

 きょとん顔のヘザーに対し、クライヴはごくごく平坦な口調であった。


 しかしその口元は、どこか嬉しそうに緩んでいる。

 結婚という単語に目を丸くしていたヘザーの全身が、じわじわと赤く染まっていった。


「いや、クライヴ、それは、さすがに、気が早いってか……」

「早くはないだろう。俺は事前に、人生丸ごと貰い受けると宣言したはずだ」

「そりゃそうだけど、まだ二日しか経ってないってか――」

「二日ではない」


 モニョモニョと口答えするヘザーの言葉を、クライヴが被せるように否定する。

「いやいや、一昨日じゃん。オレがアンタと初めてヤッたの」

 ヘザーのダイレクト過ぎるワードチョイスに、クライヴは喉の奥からうめいた。

「……確かに、君と肉体関係を持ったのは、一昨日が初めてではあるが……その、もっと言い方があるだろう」


「えーっ。肉体関係ってのも、それはそれでエロい言い方じゃね? 体の付き合いだけっぽいし」

「あ、揚げ足を取らなくていいから! とにかく、俺は君を事務所に誘った時から、結婚したいと思っていたんだ! 昨日今日、突然君に恋したわけではないし、体より心が欲しいに決まっているだろう!」


 茶々入れに業を煮やしたクライヴの宣言により、ヘザーは目を見開いてしばし固まる。

 ぶっちゃけた当人もいたたまれなくなったのか、赤い顔で前をにらんだまま黙りこくる。

 車内にしばし、むず痒い沈黙が流れた。


 ヘザーだって、それとなく気づいてはいたのだ。

 このクソ真面目な男が、彼女の身の振りを案じているだけなら、同居なんて提案するはずがないと。本来ならどこか、別の住居と仕事先を紹介して終わるはずだ。


 よって私欲と私情が混じって――いや、私欲と私情しかないことなど、誘いを受けた時から気付いていた。なにせ「用心棒も兼ねてほしい」などと、頓珍漢とんちんかんなことも言われていたのだ。

 だが言われたヘザーの方も、彼のことを憎からず思っていたから誘いに乗ったのだ。

 きっと、屋敷の裏庭で再会した時にはすでに、彼に惹かれていたのだと思う。


 とはいえ。こうして改めて口にされると、気恥ずかしさで嫌な汗が出てしまう。

 不必要なまでに焦ったヘザーはへどもどと、何故かクライヴを思いとどまらせようと必死になった。


「で、でもっ……だって、ほら、結婚って、人生の墓場とかさ、そういうコト言うじゃん! あ、あんまり、楽しくないとかさ、我慢ばっかとかさ、ヤな話ばっか聞くし! オレ、アンタに後悔してほしくないし!」

 泡を食った様子で、つっかえながら主張する彼女の様子に、クライヴはかえって冷静さを取り戻す。


 眉間の皺を緩ませて、小さく息を吐いた。

「実家が悪魔の根城だったんだ。今更、自宅が墓場になった程度で動じるわけがないだろう」

「……ガイコツ出てきたら、めちゃくちゃビビるじゃん」

 ヘザーからの不信の視線にも、淡々と返す。

「今回の墓場は比喩ひゆ表現だろう。死霊がいないなら、何も問題はない。何より――」


 再度羊の往来に巻き込まれ、車を一時停車させたクライヴは、ヘザーへと向き直った。

「君と一緒なら、例え墓場でも楽しく暮らせるはずだ」

 先ほどのいたたまれなさの名残りで、まだ顔は赤いものの。

 いつになく真摯しんしな森色の瞳には、嘘やおためごかしなど一切なく。ヘザーは彼が本当に、自分との未来を望んでくれているのだと察した。


 そして惚れた相手にこんな表情でこんなことを言われ、無反応でいられるヘザーの乙女スイッチではない。

 一斉点灯によって潤んだ藤色の瞳をついと伏せ、口元を両手で隠した彼女はこくこくと、小さくうなずいた。

「……オレも、結婚するなら、クライヴがいい……かな」


 ささやき声での同意であったが、隣のクライヴにはしっかり聞こえたので。

 彼の大きな手が、うつむくヘザーの赤い頬からあごをそっと撫でる。同時に彼の顔も寄せられた。

 この白昼堂々、羊に囲まれた状況で何をやろうとしているんだ、とヘザーは抗弁したかったのだが。


「ヘザー、ずっと傍にいさせてくれ」

 艶のある声でそう懇願されたら、断固拒否する気概も失せたので。

「ん……いいよ」

 仕方がないな、とヘザーの冷静な部分は呆れつつ、乙女な部分は恥じらいながらも大喜びで、彼からの少し強引なキスを受け入れた。


 もしも二人の暮らしが気に入らない墓場と化した場合には、自分のアーメンビームで更地に戻せばいいだけだ。

 その後はクライヴのゴリラ筋肉で、魔女イーディスのような馬鹿でかい墓室も建てられるだろう。

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