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86:その日、最強モテ親父が生まれた

 翌朝、ヘザーとクライヴはベイツ・ホテルのレストランにいた。

 アーチャー氏が戻ってくるまではさすがに村を離れられない、となったため一泊したのだ。


 調査初日にここで朝食を摂った際、クライヴは二日酔いと睡眠不足で瀕死の状態であった。

 しかし昨夜は、アーチャー氏の生還を確認後にヘザーと一緒にぐっすり眠ったため、健やかそのものの様子だ。もちろん表情は、相も変わらず真夜中がぴったりの暗いものだが。


「たしかに旨いな」

 陰気顔でベーコンポテトパイを口に含んだクライヴが、わずかに目を見開く。スタンリーお勧めのパイは、彼の口にも合ったらしい。

 向かいで同じメニューを食べているヘザーも、にんまりする。

「だろ? よかったな、無事食えてさ」

「夜遅くまで解放されなかった、アーチャー氏に感謝しかない」

「気持ちは分かるけどさ、ちょっとは同情してやれよ」


 薄情丸出しの感想に、ヘザーも表面上は困り顔でいさめた。とはいえ、彼女も一切哀れに思っていないのだが。

 感想としては「ざまぁみろ」一択である。


 手慣れた品のある仕草で、ナイフを使ってパイを切り分けていたヘザーの手が、不意に止まる。

「あのオッサン、これからどうなんのかな」

「今後は警察や裁判所の範疇はんちゅうだ。俺たちに出来ることはもう、何もない」

 しんみりとこぼれた呟きに、クライヴも付け合わせのサラダを飲み込んで淡白に応じる。


「でもさぁ……あの呪い……ふへっ」

「君も思い切り面白がっているだろう」

 ヘザーは途中まで殊勝しゅしょうな声音だったが、最後の最後で笑いがまろび出てしまい、クライヴも呆れたジト目になった。


 悪びれず、ヘザーも口角を片方上げてニヤリ。

「そりゃな。だってオレやアンタが呪われたワケじゃないし」

「まあ、それもそうか」

 納得だ、とクライヴも広い肩をすくめる。


 魔女イーディスから返品されたアーチャー氏の呪いが何なのか、ヘザーたちは無論、警察官たちも興味津々かつ戦々恐々であった。

 なにせ彼女を処刑した連中への呪いが「常時発情しているのに、家畜相手でないと発散できない」という、非常に見苦しいものだったのだ。下手をすれば自分たちにも、何かしらのとばっちりがあるかもしれない。


 残念ながらその予感は、割と当たっていた。

 今度はアーチャー氏が、常時発情される側に回ったのだ。

 しかし今度の呪いは守備範囲が広く、彼はその辺のハトやカラス、あるいは野良犬にまでムラムラされている有様であった。

 どうやら人間以外を等しく引き寄せる、究極のモテ体質になってしまったようだ。

 結果、オンボロ警察署の裏に潜むゴキブリやネズミにまで愛されてしまい、取り調べ中に色々と騒動もあったらしい。


 らしい、とヘザーが推定しか出来ないのには理由がある。

 彼女も警察署までアーチャー氏の様子を見に行ったものの、先に取調室に入ったクライヴから

「あれは絶対に見ない方がいい。夢に見るぞ」

と目隠しされたためだ。

 しかしアーチャー氏と、警察官らしき男性の悲鳴はしっかり聞こえていたので、今も余計に気になっている次第だ。


 なお大人しく逮捕され、素直に事情聴取にも応じている、実行犯ことティモシーへの呪いは現状特に見当たらないようだ。むしろ父の末路を聞いて

「人間、諦めが肝心ですよね……」

と、締めくくりにふさわしい感想を漏らしたぐらいである。

 さすがの魔女も、プライドをへし折られて呆然自失状態の若造にまで、死体蹴りじみた追い打ちをかける趣味はなかったらしい。


「ティモシーの方は、ちゃんと性根入れ替えれるといいな」

「そうだな」

 オッサンは更生以前に今後が不透明過ぎるため、二人はそういう結論で落ち着くこととした。

 今にして思えば、クライヴに吹きかけられたものが惚れ薬だけでよかった……のかもしれない。かなりの結果論であるが。


 紅茶を飲んだクライヴが、少しばかりうなだれた。

「これでスタンリーとも縁が切れると思うと、正直ホッとしている」

 オカルト馬鹿で魔女の末裔という、オカルト大嫌いな彼にとっては天敵のようなスタンリーに対し、今も苦手意識が拭えないらしい。


「そう、だといいなぁ」

 が、『霊媒探偵ライダー』の大ファンだったヘザーは十数年後の二人を知っているため、生ぬるい同意を放つことしかできなかった。

 当作におけるスタンリーは、ライダーの頼りになる友人および情報屋である一方、豪快キャラの余波でトラブルも引き起こしがちなのだ。


 きっと今後も、クライヴとパイレーツ風医師との腐れ縁は続くだろう、と心の中で合掌する。


「よっ、ご両人。ここのパイは気に入ったか?」

 そこでなんともタイミングよく、パイレーツ医師当人がレストランに顔を出した。

 ヘザーも気安い仕草で手を上げる。

「よぅ、先生。ティナは一緒じゃねぇの?」

「それがティナに追い出されてしまったんだ。『スタンリー様がいらっしゃると、朝のお掃除が終わりませんよぅ』とな」


 案外似ているティナを真似た喋り方に、ヘザーは呑気にケラケラと笑った。

 一方のクライヴが露骨に眉をひそめているものの、もちろんスタンリーは一切気にせず。ガンガン彼に近づいて、近くの無人のテーブルから椅子を引き寄せてそのままクライヴの真横に座る。

 メンタルが強すぎる。


「……近いのだが」

 椅子に座ったままのクライヴが身じろぎすると、スタンリーも体を傾けて更に距離を詰めた。

「改めて礼を言いに来たんだ。ついでにハグぐらいさせてくれないか」

「謝礼は受け取り済みだ。抱擁など要るわけないだろう」

 舌打ちしそうな勢いで断固拒否するクライヴだったが、こういう反応を予測していたのか、スタンリーはにんまりしている。


「なら仕方がない。代わりにヘザー嬢と――」

 そう言って彼が立ち上がろうとするや否や、行かせてたまるかとばかりに、素早くクライヴが抱きついた。顔は苦虫を口中に頬張っているかのような、えげつない代物であるが。


 スタンリーは満足そうな顔で、不承不承と自分を抱きしめるクライヴの背中に腕を回している。

 そしてその光景を、向かいのヘザーは温度のない眼差しでずっと観察していた。自分は今、何を見せられているのだろう、という疑問だけを抱きつつ。

「アンタら、割とキモいんだけど」


 おそらく二人の今後の友情も、スタンリーのこの強引さによって成立するのだろうな、ということだけは理解した。

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