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85:恋バナ大好き魔女と、オカルト大好き医師

 どこか不穏だった魔女の笑顔から、ほんの少し毒っ気が抜けた。代わりに優しい色が混ざる。

「わたくしを呼び出した、あの幼気いたいけな乙女の恋路の未来も、どうやら定まったようだな」

 視線の先に気付いたヘザーも、まあな、と同意。


「色々あったけど、ハッピーエンドっぽいぜ」

「それは何よりだ」

「あれ? 破談をお願いされてたのに、アンタそれでいいんだ?」

「わたくしは、恋に悩む者の味方だ。当人が幸せであれば、それで十分さ」

「ふうん」


 ――と、納得しかけたところでヘザーはハッとなる。

「いやいや、それより! アンタ昨日、コイツに何しやがったんだよ?」

 この機会を逃してたまるか、と慌てて自分にくっつくクライヴを指さした。

「あのピンクのもやもやしたヤツ、何だったワケ? やっぱヤベェおクスリ的なヤツ?」

 昨日の凶行を蒸し返され、クライヴは無言で周囲の森を眺めている。ザ・遠い目で。


 二人を見比べたイーディスは、何故か誇らしげに腕を組んだ。

「ああ、あれは本能に正直になる作用や、独占欲の増す作用のある――早い話が、惚れ薬の一種だな」

 あっさり軽やかに言われ、ヘザーは憤慨した。

「はぁ!? ナニしてくれてんのッ? オレ、めちゃくちゃ大変な目に遭ったんですけど!」

「だろうな。何せわたくしの魔術と薬は強力だからな」

「なんで偉そうなんだよ! この色気と無縁の石頭に、余計なコトすんじゃねぇよ!」

 恋人から「色気と無縁」と断言され、クライヴはがくりとうなだれる。


 怒れるヘザーと落ち込むクライヴを、イーディスはますます愉快そうに見ていた。

「だからこそ、だ。どうにも一歩踏み出せずにいる様子だったので、少しばかり手助けしたのよ――おかげで、前進があっただろう? 昨日とは、そなたたちのまとう空気が異なっている」

 くるり、とイーディスが指先――昨日切り落とされた腕も再生したらしい――で、空中に円を描く。


 歴戦の魔女には、一晩で色々あったことが丸分かりらしい。たまらず、ヘザーの白い頬もうっすら赤らんだ。

「いや、まあ、そりゃそうだけど……ってか、ひょっとして……アレって嫌がらせじゃなくて、丸ごと善意、だったり?」

「そうだが。言ったであろう、恋に悩む者の味方だと」

 何をいまさら、と言いたげにイーディスは両手を広げた。


 どうやら昨日の謎気体もとい惚れ薬は、なんとも煮え切らなさそうな男だ、と即座に看破したイーディスによる恋のアシストであったらしい。ありがた迷惑な話だ。

 そもそも、自分の腕を切り落とした男の応援をするなんて――人が好過ぎるのではないか。

 束の間頭痛に襲われ、ヘザーは側頭部を押さえてうめく。


 いらぬお節介によりあわや犯罪者となりかけたクライヴは、思い切りのしかめっ面だ。

「厚意だけはありがたいが……あの薬は金輪際、使わない方がいいかと思う」

「わたくしは恋に狂う堅物が好きなので、それは困ったな」


 心底残念そうなイーディスに、クライヴの渋面もますます苦み走ったものになる。

「なんという悪趣味な」

「わたくしは、人の恋の話が大好きだからね。趣味と実益も兼ねていると思って、大目に見ておくれ」

 見てたまるか、とクライヴは反論しようとしたが。


「何せわたくし自身が、幸薄い恋しか知らぬのでな――おまけに、あの子も見守れず仕舞いだ。あの子に似た眼差しの乙女を見かけるとつい、お節介も焼きたくなるのさ」

 彼女の表情が物憂げに代わったため、言えずに終わった。


 あの子とはきっと、娘のことであろう。

 夫と早くに死別したことや、本人も拷問の末に処刑されたことを掘り返されると、あまり強くも言い返せない。


 ――いや。

「ならば小生から、娘さんのその後をお教えしよう!」

 イーディスの嘆きにも一切怯まない猛者もさこと、彼女の熱烈な大ファンがいた。一瞬悲しそうに、大破した別荘の壁面を見つめつつ、スタンリーが大股で外へ出てきたのだ。

 突然の海賊風の大男の登場に、イーディスも呆気に取られていた。なお彼女の触手で簀巻すまきにされているアーチャー氏は、喚き疲れてぐったりとしている。静かで何よりだ。


 ヘザーとクライヴもぽかん、と横に立った彼をただ見上げた。

 スタンリーは両手を広げて胸を張り、威風堂々と場を仕切った。

「娘さんはお前さんの死後、さる夫婦の養女になったよ。代々医者をしている家系でな。そこには一歳違いの一人息子もいたんだが、夫婦はとにかくお人よしだった。そのため、たった一人の肉親を亡くした、幼い彼女を放っておけなかったんだそうだ」

 まるで見てきたかのように、スタンリーは細かに語る。


「その息子と娘さんは年齢を重ね、義兄妹から恋人の関係に代わっていった。その頃には、お前さんが彼女に教えていた薬草の知識も手伝って、養父母の営む病院は評判になり、主都へ移住することになったようだ」


 どこかで聞いた話に似ているな、とヘザーは薄っすら考えた。

「娘さん夫婦に代替わりしても、病院は変わらず人気でな。そのまま領主様ご一家の目にも留まり――今でも彼女の子孫は、伯爵家の主治医を務めているというわけだ」

 二ッと不敵に笑い、スタンリーはそう締めくくった。

 話の帰結に、ヘザーとクライヴが目をむいて固まる。


 彼が何を言わんとしているのか分からず、イーディスだけが訝しげだ。

「そなた、随分と詳しいのだな?」

「ああ。なにせ小生のご先祖の話だからな」

「え――」

 驚き呟いた彼女を見つめ、スタンリーが右目を覆う眼帯を外した。


 イーディスを見つめ返す瞳は、彼女と同じ真っ赤な光彩をしていた。

 じっと自分を見つめる偉大な先祖に、スタンリーはあごひげを撫でてはにかむ。

「色々と訊かれて面倒なので、普段は隠しているんだが。我が家系ではこうして時折、赤い目の子供が生まれるんだ」

「それ、は」

 自身と、そして娘が受けた苦労を思い出したのだろう。イーディスの表情が歪む。


 しかしスタンリーは、晴れ晴れと自信満々なままだ。

「赤い目の子は利発だ、と我が家では言われているからな。小生が生まれた時も、親戚一同から大層喜ばれたらしいぞ」

 だから、と彼はお人よしで優秀な町医者の顔になって続ける。


「お前さんの娘さんも、きっと養父母からも旦那からも、愛されていたんだろうさ」

 彼の断言に、イーディスはそっと自分の体を抱きしめた。そして視線を落とす。

「……あの子は、不幸ではなかったのだね?」

「まあ、それなりに色々と苦労はあっただろうが。小生の家では、仲睦まじい子だくさん夫婦だった、と伝わっているな」


 彼の言葉を噛みしめるように、イーディスはしばし黙りこくった。

「……よかった」

 沈黙の末に紡がれたのは、たったそれだけの感想であったが。

 その時に彼女の浮かべた笑顔は、たしかに聖女の呼び名にふさわしい、慈愛に満ちた優しいものだった。


 ――なお、それはそれとして。

「あのぉ……」

 今までぐったりと黙りこくっていたアーチャー氏が、媚びた声でイーディスを呼んだ。

 途端に無表情になった彼女が、ちらりと簀巻きにしている氏を見る。

「なんだ?」

「ご息女様のその後もお知りになれたことですし、ここは一つ恩赦おんしゃなどを……」

 手が自由であれば、両手でスリスリとごまを擦っていそうな、露骨なへりくだりようである。

 ヘザーたちも、魔女同様にスン……と表情をかき消した。


 冷めきった空気に気付いていないのか、はたまた気付かぬふりをしているのか。

 どちらが正しいのかは分からないが、無表情に囲まれた彼だけが、宙で縛られたままヘラヘラと愛想笑いを浮かべている。必死過ぎて、いっそ哀れみすら覚える始末だ。


 だが、この程度で情に流されるほど、死霊の内面はエモーショナルではないので。

「仕置きもきちんと為さねば、魔女の異名がすたるだろう」

「えっ」

 赤い目を細めたイーディスが、冷笑を浮かべた。途端、アーチャー氏が怯え顔に戻る。


「なに、命は取らぬ。わたくしは、そなたの息子と違って無益な殺生は好かんからな」

「あ、ええっと、では……」

「むしろ生き地獄を味わわせるのが醍醐味だろうて」

「いっ、嫌です!」

 がむしゃらに再度もがき出した彼を見て、束の間心底楽しそうに笑ったイーディスが、右手を掲げる。


「そう急くな」

 その一言と共に、パチンと指を鳴らす。途端、二人の姿が掻き消えた。

 残されたのはヘザーたちと、未だ地面に転がってひんひん泣いているゴロツキ連中ばかり。


「あーあ、お持ち帰りされちゃった。かわいそ」

 ヘザーは全く同情心が感じられない、平坦な口調でそれだけ呟いた。

 淡泊すぎるその棒読みっぷりに、クライヴとスタンリーがひっそり笑いをこらえる。


 アーチャー氏が顔面蒼白の五体満足で返品されたのは、その日の夜であった。

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