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81:婚約者の秘密

「その本は?」

 村長が、目を瞬かせて尋ねる。

「ある新人作家の出した小説で、スタンリー医師付きのメイドによると主都や他領でも人気のようです」

 彼へ視線を移したクライヴは、静かに答えて本の表紙を一つ撫でる。

「内容は、魔女伝説の残る農村出身の青年が、馴染めない地元を出奔しゅっぽんしてロンドンで喧嘩に明け暮れるというものだが――何処かで聞いた話に似ているとは思いませんか?」

「は、はい……」


 答えた村長がちらり、と隣のジョンを見た。当の本人は目配せする父を不思議そうに見返して、数秒遅れでハッとする。

「え、あ……あーっ、俺のことか!」

「ああ。主人公ジャンの外見的特徴も、君に酷似している」

「でも俺、そんな本知らないんですけど……」

 さすがのジョンも、薄気味悪さに顔を青ざめさせる。父である村長も、似たりよったりの怯えた表情だ。


 テーブルに置いた本の表紙を人差し指でトントンと叩きながら、クライヴは片方の眉を持ち上げた。

「知らなくて当然だろう。作者は無断でこの本を執筆し、出版したのだから――そうだろう、ダイアン嬢?」

 無表情のダイアンの肩だけが、ピクリとわずかに跳ねる。

「え……」

 呆けた声を上げ、ジョンは彼女へ顔を向けた。しかしダイアンはそれに反応しない。

 目すら合わせず、ただただテーブルをにらみ続ける無言の婚約者に、ジョンの怯え顔が怒りに染まっていった。


「ダイアン、これ……ほんとにお前が書いたのかよ?」

「……」

「なんで黙ってんだよ! お前も俺のこと、笑い者にしてたのかよ!」

「ちがっ……」

 くしゃりと歪んだ顔が、勢いよく持ち上がる。

 しかし彼女の弁明を待たず、ジョンは叫んだ。


「俺が逮捕された時、言ってたよな! 『あなたは要領が悪いけど、根っこは優しい』って、あの時励ましてくれたよな! なのにずっと裏で、笑ってたのかよ! 晒し者にされてるのに気付かない、大馬鹿野郎だって!」

 上ずった声での糾弾に、ダイアンはかすかに震えている。それでも必死に首を振る彼女を、ジョンも羞恥と怒りに染まった涙目でねめつけ――

「ちげぇよ、タコ」

 なおも叫ぼうとする彼を、頬杖をついたヘザーがのんびりと制した。しかし口は相変わらず悪い。


 思わぬ横槍に、ジョンの気勢が削がれる。そこへ、ヘザーは気のない口調で続けた。

「ダイアンはたぶん、お前を嫌いじゃねぇし、バカにもしてねぇよ。むしろその逆だと思うよ」

「逆……?」

「おう。なあ、クライヴ?」

 頬杖を止めて、背を反らせたヘザーが隣のクライヴを仰ぎ見る。

 彼も平常運転のジト目で見返し、一つコクリ。


「先程拝読したが、作中において主人公ジャンは終始、非常に魅力的なアウトローとして描かれている」

「そ。女の子にもめっちゃモテるしな。もちろんケンカも、クソ強いってワケ」

 腰に手を当て、ヘザーはにんまり。

「おまけに美男子ともされており、女性読者が多いのも頷ける内容だ。君を軽んじて嫌悪しているならば、ここまで好意的な描写はあり得ないだろう」

 ふ、とクライヴの口元も緩んだ。

 初めての彼の好意的な態度と言葉に、ジョンも目を丸くした。


「え、じゃあ、俺……ダイアンに嫌われてなくて……逆に好かれてる、とか?」

 自分を指さしての、馬鹿面での疑問にダイアンはたちまち真っ赤になる。そのまま両手で顔を覆い、しおしおとうなだれた。

 どんな答えよりも分かりやすい反応だ。ジョンは口もあんぐりと開ける。

「え、嘘だろ? お前だって、いつも、俺にあれこれ文句言ってさ……」


「……そうでもしないと、話せないのよ。お説教にかこつけないと、とても恥ずかしくて……」

 くぐもった声が、そう弁明する。

「とても、恥ずかしくてェッ?」

 ジョンがひっくり返った声で、オウム返し。ダイアンと自分の間に、羞恥の概念が立ちはだかっているなどと、思いもしなかったのだろう。


「だって初恋、なんですもの……私だってあなたがどうしようもない馬鹿だって、分かっているわ」

「おい」

「でも……それでも私にとって、あなたは憧れの、王子様なの……」

 いつかのクライヴのような、越冬した蚊に似た弱々しい調子である。


 目をむいたまま固まったジョンに代わって、身を乗り出したヘザーが優しくダイアンに問いかけた。

「で、好きで仕方ねぇから、コイツの小説を書いたんだよな?」

「ええ……元々執筆は好きだったので、最初は本当に、そう……遊び半分だったんです」

 顔を両手で隠したまま、ダイアンは鼻声でぽつりぽつりと語った。


 ジョンをモデルにした小説は、ロンドン滞在中に書き始めたという。

 大好きな彼と、すぐに会えない寂しさをそれで紛らわしていたのだ。途中でジョンもロンドンに移住し、なんともチャランポランな生活を送り始めたため、身を案じつつもそのエピソードも盛り込んでみた。


 そうしたらチャランポラン生活編が、恩師を経由して出版社の目に留まってしまったのだ。

 すぐさま「うちで出版してみないか」という、提案を受けた。

 売れるわけがないと、ある意味では世間を甘く見ていたダイアンは、考えた末にそれを受け入れた。念のため、男性の偽名だけは使ったけれど。


 が、人生とはかくも思い通りにいかないもので。

 想定外にも、思い切り売れてしまったのだ。こんなド田舎のアーヴィング村にも、熱心な読者が現れるほどに。


 これはマズい、と内心で焦っているダイアンに、更なる困難が降りかかった。

 村長から、ジョンとの婚約を打診されたのだ。勉強一筋で色恋に疎い娘を心配していた両親も、

「ジョンなら気心も知れているし、安心だ」

と快諾してしまった。

 ダイアンとて本来であれば、泣いて喜んでもおかしくないぐらいの申し出だったのに。

 婚約が決まったことを聞いた瞬間、彼女の目の前は真っ暗になった。


 このまま結婚すれば近い将来、自分がジョンをモデルに妄想大爆発小説を書いて、あろうことか大売り出ししたことが本人にバレてしまう、と。

 もしもそうなれば、彼から軽蔑あるいは憎悪されることは間違いなしだ。

 そんな焦りに焦ったダイアンの脳裏に閃いたのは、村に伝わる魔女の伝説であった。

 ダイアンは魔女の墓前で

「ジョンとの婚約を、どうか解消してください」

そう、願った。


 そうして彼女は、魔女の亡霊を蘇らせたのだった。

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