ティモシー逮捕の数時間後に村長とジョン、そしてダイアンがスタンリーの別荘に招かれた。
しかし村長は村の会議が、ダイアンは学校での片付けが残っているため、約束の時間に遅れることとなり。時間通りに到着したのは、無職のジョンだけだった。
応接間に通された彼は、先に入室して窓際でクライヴと雑談中のヘザーを見つける。
慌てて背筋を伸ばし、意味もなく前髪に手櫛を通したジョンが、取ってつけたような
「よぉ、隣いいか?」
そう言いつつ片手を上げて彼女に近づくも、反対側に立つクライヴがすかさずヘザーの腰に手を回す。同時に素早く抱き寄せた。
わっと小さくこぼしながら、ヘザーはすっぽりクライヴの腕の中に包まれる。
右手を掲げたまま、ジョンは固まった。
そんな彼を真正面から見据え、クライヴは口角だけ持ち上げる不穏な笑みに。
「すまないが、彼女とは仕事の打ち合せ中だ。少し外して貰っても、構わないだろうか」
「え……あ、はぃ……」
クライヴの穏やかな口調と凄みのある笑顔の温度差に圧倒され、ジョンはふさわしい表情も見つけられず、迷子の面持ちで弱々しく応じた。
よくよく考えずとも、二人は仕事の打ち合わせを行う距離感でないのだから、そのことをツッコめばよかったのに。
強引に抱きすくめられているヘザーは、クライヴの腕に覆われた状態で、
(コイツ……図々しいし心狭っ!)
呆れに頬を引くつかせていた。ジョンに対して敵対心を持っていることは把握していたが、まさかここまで露骨に
彼に年長者としての余裕はないのだろうか。ないのだろうな、きっと。なにせクライヴである。
そして抱きしめられているとふわりと漂う、大好きな彼のベルガモットの香りを嗅いでいると、なあなあで許してしまいそうになる自分もたいがいだ。
想定外の方向からの拒絶にジョンが呆然としていると、村長とダイアンを伴ってスタンリーも入室。ウィリアムの宿ったキャンバスも布に覆われ、彼が持って来ていた。
スタンリーは呆けたままのジョンへ、不可思議そうに眉をひそめた。
「おい、どうしたんだジョン? 具合が悪いのか?」
「あ、えっと……いや……」
どう回答するのが正解なのかが分からず、ゴニョゴニョと何かを呟いた彼は、そのまま言葉を飲み込むようにして口をすぼめ、応接間中央のテーブルに着座した。
首をかしげたスタンリーは、しかしクライヴがヘザーをギュウギュウと抱きしめていることに気付き、諸々察知したらしい。
ヘザーと大差ない呆れ顔で肩をすくめ、
「
からかい混じりの声で、軽くたしなめる。彼の指摘に、びくりとクライヴの肩が跳ねた。
ゴリラ筋力が緩んだ隙に、ヘザーも脱出してジョンの斜め向かいに座る。次いでジロリ、とまだ立ったままのクライヴを上目ににらんだ。
「そういうの、人前でやんなよな」
「申し訳なかった。以後、気を付ける」
彼女に従順かつ平身低頭で謝りつつ、クライヴの陰気面はどことなく嬉しそうであった。はて、とヘザーは内心で首を傾げた。
ややあって彼の満足感の原因が、ヘザーの一言がジョンへの「人前以外だとこういうこと、普段からしてるんですよ」という無自覚の決定打になっていたことに遅れて気づく。
ちらりと斜め前の彼を見ると、塩まみれになった菜っ葉のごとき有様であった。ただヘザーも、まあいいかとフォローは自粛した。下手に何かをしてクライヴのヤキモチスイッチが再点灯しても、主に自分が困る。
それに今は、他に話すべきこともあった。
隣に座ったクライヴと、彼の向こう側にいるスタンリーへ目くばせすると、二人も同時に彼女を見てかすかにうなずく。
スタンリーがまず、布で覆われたキャンバスをテーブルへ乗せた。
向かいに座る三人の視線が、自然とそこへ集まった。
「話したいことは色々あるんだが――まず、館長殺しの犯人がティモシーだということは、お前さんたちも聞き及んでいるか?」
スタンリーの問いかけで、ジョンたちはわずかに顔を強張らせたものの、すぐに肯定の返答があった。
「はい。それで、会議が長引きましたし……」
「わたくしも、職場で校長から伺って」
「イザベラが血相変えて教えてくれた……あいつ、なんでそんなこと……」
三者三様の回答だが、共通しているのは困惑であった。ティモシーは一見すると、かなりの好青年で人当たりもいい。この反応も致し方ないだろう。
ふむ、とスタンリーが相槌を打った。
「既に知ってるなら、話が早い。真相を突き止めたのは、ここにおわす探偵先生と――」
「先生はやめてくれ」
「そして、この絵だ」
クライヴの異議申し立てをまるっと無視して、スタンリーはキャンバスの布を取っ払った。
「え……ビルっ?」
絵の中の人物を、最初に認識したのは親友のジョンだった。かぶりつきそうな勢いで、キャンバスへと前のめりになる。
「うん、そうだよ」
彼の驚きの声を受けて、はにかむウィリアムが手を振った。ダイアンと村長が、思わず甲高い悲鳴を上げた。
「えっ、絵、絵の中の、館長がっ……!」
「しゃべってる……どういうことなんですか、スタンリー先生っ!」
「小生にも分からん!」
村長の裏返った声にガッハッハと、スタンリーは無責任に笑った。
説明放棄の彼に代わって、クライヴが後を継ぐ。
「これは別件で当事務所に持ち込まれた、ウィリアム氏の霊が宿った絵画です」
「霊、ですか?」
「ええ、あくまで本人の弁ですが。今回は氏の協力を得て、ティモシーに犯行を自供させました」
被害者本人による事情聴取――それを受けた犯罪者もとい、ティモシーの精神状態を考えたらしく、ダイアンと村長が口元を強張らせた。
「肝の据わったティモシー君でも、それは耐えられないね……」
「ええ。卒倒してもおかしくないですわ」
実際ティモシーも、失神半歩前であった。ダイアンはいい線を行っている。
しかし親友の死によって呑んだくれと化していたジョンの反応だけは、違った。
彼は青い瞳からボロボロと、大粒の涙をこぼしてキャンバスにしがみつく。
「なんで、勝手に死んでんだよ! 俺様のこと、呼んでくれよ! 夜中でも明け方でも、病院まで運んだのに!」
悔しさをにじませる涙声に、ウィリアムも眉を下げた。
「ごめんよ、ジョン。ぼくもいきなり頭殴られてさ、何が何だか分からなくて……でもクライヴ氏とヘザー嬢がね、ちゃんと仇を取ってくれたんだ」
「俺もっ……ティモシーの野郎、絶対殴ってやる!」
「きみじゃあ、ティモシーに負けちゃうよきっと。それよりあんまり、深酒しちゃだめだよ?」
「もうしないって!」
やはり仲はいいようだ。シャツの袖口で乱雑に涙を拭うジョンに、ウィリアムは嬉しそうに笑い返している。
息子と親友の思いがけぬ再会に、ほんのりもらい泣きしていた村長が、ここで気付く。
「ひょっとして私たちの事件も、裏でティモシー君が……?」
ヘザーは華奢な肩をすくめた。
「だったらよかったんだけどさ。ティモシーは模倣犯っぽいんだよなぁ」
「模倣、犯ですか?」
首を振る彼女が発した、二十世紀初頭の農村在住者にはあまり馴染みがなかろう言葉に、村長は首をひねる。
「今回、魔女を蘇らせて肥溜め騒動を起こした犯人は、別にいるということです。ティモシーはそれに便乗したに過ぎない」
そう付け加えたクライヴが、ジャケットのポケットに入れていた一冊の本――『或る風来坊の日記』をテーブルに置いた。
「だが、肥溜め騒動の首謀者の手がかりらしきものは見つけた。それを確かめるべく、こうして来て頂いた次第だ」
鋭い森色の眼差しの先には、ダイアンがいた。
彼女は血の気の失せた無表情で、彼を見つめ返す。