「ティモシーがさ、ビルのコト見えなかったらどうするつもりだったんだ?」
警察官に連行されるティモシーと、彼らを見送るスタンリーの姿を窓から眺め、ヘザーは傍らのクライヴを見上げた。
クライヴはへの字口になって、足元に視線を向ける。
「確信はなかったが、見える可能性は高いと踏んでいた」
「なんで?」
「これまでスタンリーも、絵を持ち込んだ依頼主も、あの警察官二人も、全員が彼を視認出来ていた。絵画という媒介があるためなのか……その原理までは俺も分からないが」
「あー、なるほど。一応、自信はあったんだ」
心霊写真みたいなものかね、とヘザーは内心で納得する。
彼女へ視線を持ち上げたクライヴが、陰気顔を少し緩めた。
「無論、見えなかった場合に備えて、次の手も考えてはいた」
「手?」
「こちらには医師がいる。方法は
ヘザーとクライヴは、幽霊や人外を視たり触れたりするには先天的な素質以外に、死に近づいた経験が重要だと考えている。
そこに医師を付け加えると、見えてくる次の手は――
「おい。半殺しにする気マンマンかよ」
ヘザーもさすがに、しょっぱい表情となる。
覚悟がガン決まったクライヴの行動力と決断力は、規格外過ぎるのではなかろうか。
将来に待ち受けている、マッチョ探偵の
しょっぱい面構えの恋人に、何故かクライヴは緩く笑い返す。
「君を参考に、強硬策を講じようと思ったんだ。時には手段を選ぶべきではないな、と」
この告白を受け、ヘザーはたちまち
宇宙の真理に到達した彼女に、彼もギョッとなる。
「ヘザー? どうした?」
しかし彼の声も届いていないのか、ヘザーはうわごとのように呟くばかり。
「そうか……オレのせいだったのか」
ティモシーへ見せた、サラ金業者顔負けの追い込みも。今回のプランB――すなわち容疑者段階でしかない人間を半殺しにしよう、という発想も。
全ては高田の思考ルーチン由来であったのだ。
己の過激かつ暴力主義なヤンキー思想が、巡り巡って本来のマッチョ探偵を
因果応報か。あるいはバタフライ効果か。
が、ヘザーは考えるのが嫌いなので、ここであっさり思考を放棄する。
打って変わって凛々しい笑顔になり、困惑するクライヴの胸板を軽く小突いた。
「いい心がけじゃねぇか。これからもオレを見習えよ?」
「いや、万事において君を見習っていたら、ただのチンピラが出来上がるだろう」
「あァ? チンピラじゃねぇよ、お転婆でお茶目な美少女だよ」
「そうだといいな」
基本的にはヘザーにベタ惚れなクライヴであるものの、こういう場合はかなりの塩対応である。今も陰気顔で雑にあしらって、応接室に入ってきたスタンリーへ向き直る。
どこか安堵したような様子のスタンリーが、豊かなあごひげを撫でて警察官コンビから聞いた今後の流れを報告してくれる。
「ティモシーを警察署に押し込んだら、他の連中と一緒にアーチャー家へ突撃するとさ」
「思った以上に協力的だな」
「さすがにあの自白を聞いちまったら、動かざるを得ないだろうさ。お前さんも、結構思い切ったことを思いつくんだな!」
大口を開けて笑ったスタンリーが、人懐っこい目で二人を見る。
「お前さんらに頼んで、本当によかったよ。館長の死の真相を解き明かしてくれて、ジョンの疑いを晴らしてくれて、感謝している」
誠実そのもののお礼に、ヘザーは照れくささで身をよじった。
「いや、解き明かしたってか、ビルが全部自分で片づけただけってか……」
クライヴもお通夜真っ只中の顔で小さくうなずいて、彼女に同意。
そんな二人へ、窓際のイーゼルに立て掛けられているウィリアムが、ゆっくり首を振る。
「そんなことないよ。だって、怖がらずにぼくと話してくれたのはヘザー嬢が初めてだったんだ」
スタンリーも、彼の言葉に同意。
「ヘザー嬢でなきゃ館長の宿った絵を保護しないだろうし、クライヴ殿でなきゃ被害者本人に尋問させようなんて思いつかんだろう? だったらこれは、お前さんたちじゃなきゃ解けなかった事件だ。本当にありがとう」
ここまで評価してもらえるなら、と二人は顔を見合わせて小さく肩をすくめた。
「そんじゃ、遠慮なくお礼は受け取るぜ」
「ああ、そうしてくれ」
ホッと笑うスタンリーへ、片手を上げたクライヴが提案する。
「ついては肥溜め事件についても、一度話を詰めたいのだが」
彼の言葉に目を瞬いたスタンリーだったが、すぐにはたと気付く。
「そうか。ティモシーも言っていたな」
魔女が騒ぎを起こしている今なら、殺人を犯しても魔女の仕業にされると思った、と。
つまり肥溜めダイブという馬鹿馬鹿しい騒動に、供述を信じるならば彼は無関係なのだ。
「まあ、実際イーディスに出くわしてるしな、オレたち」
ヘザーも細い腕を組んでうなった。魔女の霊本人も、今回の騒ぎに関わっているかのような口ぶりであった。
「ビル殺しは見つけられたけど、魔女がなんで怒ってるかはマジで謎のままかー」
「あのぅ……」
腕組みしたまま天井を仰いだヘザーの背中に、舌っ足らずな呼びかけがあった。
首を戻して振り返ると、ティナが一冊の黄色い表紙の本を持って立っていた。
「どしたの、ティナ?」
彼女の呼びかけに、ためらいがちに左右に揺れていた緑の瞳が、まっすぐこちらを向いた。
「実は、ちょっと気になることがありまして……直接、今回の事件にかかわってるかは、全然分からないんですけどぉ……」
「うんうん。分かんねぇけど、めちゃ気になってんだな。何があったんだ?」
優しいヘザーの声音に鼓舞され、ティナは手にしていた本を掲げる。『或る風来坊の日記』というタイトルの本だ。
その本を目にして、クライヴのジト目がわずかに見開かれる。
「その本は、資料館にもあったものだな」
ほんとだ、と絵の中で身を乗り出したウィリアムも呟く。
「たしかケイティが持ってきた本だね。大ファンの作家さんの小説だから、宣伝に置きたいって」
なるほど。布教用であったらしい。あの子は職場で何をしているんだ。
「ってかクライヴ。んなこと、よく覚えてんなぁ」
相変わらずの抜群な記憶力に、ヘザーは口笛を吹いた。
「魔女や魔術絡みの資料の中で、一冊だけ浮いていたからな」
彼の言葉に、ティナもコクコクとうなずく。
「はい、魔女とは全然関係のない、今人気の小説ですねぇ」
ティナによると、不良青年の酒と暴力と女によって
「でも本の……内容と言いますか、描写と言いますか……とにかく、ちょっと引っかかって……」
どう表現していいのか、ティナ自身も図りかねているらしい。困り顔の彼女から、代表してクライヴが本を受け取った。
彼はページをペラペラと、素早くめくっていく。しかし途中で、その指先が止まった。
表情も、ティナ同様の困惑混じりのものになる。
「え、なになに? どうしたんだよ?」
「何が書かれているというんだ?」
困惑顔に挟まれているヘザーとスタンリーも、オロオロと二人を見比べた。
小さく嘆息したクライヴが、本を開いたまま彼女たちへ向けた。
「なるほど、ティナの言いたいことが分かった。ここを読んでくれ」
ヘザーとスタンリーが、クライヴの指し示すページを黙読し、途中で「あ」と呟いた。
「このセリフに出てきてる村って……