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75:世の中、知らないほうがいいこともあるよね

 ――拝啓、天国のばあちゃん。

 そっちで元気にしてますか?

 くたばってるのに、元気もクソもないかもしれねぇけど。


 オレは死んだと思ったら、まさかの美少女に生まれ変わっちゃって。

 で、気がついたら霊媒探偵ライダーの彼女になってました。

 それで昨日、おいしく食われちゃいました。いやー、完食でしたよ。


 ばあちゃん、ライダーの大ファンだったよな。

 ばあちゃん的には、孫がライダーにヤられちまうのはやっぱダメですかね――


「うーん……オレがばあちゃんだったら、ちょっと泣くかもな」

 ヘザーはシャワーを浴びつつ、眠気覚ましに祖母へのメッセージを胸中でつづっていたが。

 死後に祖母と再会しても、この件は黙っておこうと決意した。特に霊媒探偵は、アッチ方面も元気いっぱいであるという事実は。

 祖母から根掘り葉掘り訊かれても困るし。肉体のみならず、心も死んでしまう。


 頭からシャワーを浴びている内に、肌のベタつきと共に睡魔も流れ落ちる。まだ体の奥で、甘ったるい熱とうずきが残っているような感覚はあったが、そちらは努めて気にしないこととした。

 気に留めたら最後、一日中だらしない顔をフニャフニャとさらしてしまう気がする。


 シャワーを止め、脱衣所へ戻るとタオルに加えて下着一式にストッキングと、忘れな草色のドレスが用意されていた。

 ドレスは真珠と花模様の刺繍で彩られており、襟元は少し緩やかに開いている。代わりに、首元を覆い隠すためのシルクのスカーフも用意されていた。


「おっ、至れり尽くせりじゃん」

 春物ドレスは襟ぐりの開いたものが多いので、気遣いに感謝しつつスカーフも有効活用する。

 そして髪をタオルで挟みつつ脱衣所も出ると、居間兼食堂の椅子にぐったり顔のクライヴが座り込んでいた。いや、へたり込む、と表現するのが適切か。


 シャツも羽織らず、ズボン一丁でぐったりしているセクシー半裸男にヘザーは首をひねった。朝起きた時はむしろ「幸せでたまりません」と言わんばかりに、お肌も表情もツヤツヤだったのだ。

「どうしたんだよ、腹でも痛いのか?」

「いや、すこぶる健康だ」

「顔色、死んでるけど。ビルと大差ないってか」

 無意識に事務所のある方へ視線を向ける途中で、ヘザーは「あ」と声を上げる。


 玄関近くに、そのウィリアムが置かれていたのだ。

「あれ? アンタなんでいんの?」

「クライヴ氏に、運んでもらったんだ」

 へへっと笑ったウィリアムが答える。

「その方が効率的だろう」

 ぐったりテーブルに突っ伏すクライヴが、そう言い添えた。

「はぁ、なるほど」


 ヘザーは、彼が力尽きている原因は無理してウィリアムを連れて来たためだろう、と推察した。

 実際には、昨夜のあれやこれが丸聞こえだった、という事実に打ちのめされているのだが。

 ウィリアムが寝室の真裏にいたことも含め、能天気なヘザーは一切気づくことなく納得する。


 打ちひしがれるクライヴもシャワーを浴びた後、ウィリアムを伴って家を出る。

 ウィリアムは、クライヴが強固に主張したため、彼が運ぶことになった。


 腹の前にウィリアムの宿ったキャンバスを携えて歩くクライヴは、喪主感が半端ない。

 幸か不幸か、本日は白いシャツに黒いベストとズボンというモノトーンスタイルである。こいつは狙ってやっているのだろうか。

 もはや、そういうコスプレにしか見えない。霊柩車も手配しておくんだった。


「どうしたんだ、ヘザー?」

 下唇を噛み締め、顔を真っ赤にして笑いをこらえる彼女に、クライヴは訝しげなジト目を向ける。

 ここで下手に口を開くと笑いの波にさらわれそうだったため、ヘザーは無言でブンブンと首を振った。

 その奇妙な挙動がますます、クライヴの疑いをあおった。

「様子がおかしいが……君こそ体調が悪いのではないか?」

「んーん、めっちゃ元気――ふひひっ」

 が、追加で質問されたため、とうとう不細工な笑い声がまろび出た。


 両手で口を覆ってうつむく彼女を、クライヴは危険人物を警戒する目でうかがう。

「その……怖いのだが。割と」

「悪ぃ。えっと……ロイドさんがアニキの結婚式で、鼻水ぶっ放したの思い出してさ」

 親族であるクライヴよりも感極まった顧問弁護士のロイドが、新郎新婦の指輪交換の際に号泣しすぎて豪快に鼻から汁を吹き出した、甘酸っぱい想い出でごまかした。

「忘れてやれよ」

 そうたしなめるクライヴも、思い出したのか口元が緩んでいる。


「いやいや。アレ忘れるとか、至難の業じゃね? アニキとシェリーさんも、割と引いてたし」

「あれは引くだろう。俺も引くぞ」

 実際、当時彼の隣にいたヘザーは「うわぁ……」という、ドン引きの呟きを耳にしていた。

 ヘザー本人は腹を抱えて爆笑だったが。


「アニキに子供できたら、今度は鼻水と一緒に屁とかこきそうだよな」

 その様子を想像して輝く笑顔のヘザーに反し、クライヴは全力のしかめっ面だ。

「……否定は出来ない。必ずロイドの後に、会いに行かないとな」

 つまり放屁ほうひの恐怖から、自分たちだけ逃げる算段らしい。悪い弟である。


 二人の会話を聞いていたウィリアムが、絵の中で小首をかしげる。

「兄貴って、ヘザー嬢の?」

「いや、コイツの」

 コイツ、と喪主のコスプレイヤーでもある眼前の男を指差す。

「クライヴ氏のお兄さんって、どんな方なの?」

「ええっと」

 どうやら知らなかったらしい。どこから説明すべきか迷ったヘザーは、ぐるりと主都を見渡して、北方面を指さす。


「あっちの山の上のでっけぇお屋敷にいる、やせ型の優男だな。コイツと違って、悩みなさそうな感じ」

 かなり配慮に欠ける雑な説明だったが、幸いにしてウィリアムには伝わったようだ。彼は目を丸くする。

「えっ、領主様なのっ?」

「おお」


 うなずくヘザーと、自分を抱えるクライヴを交互に見やったウィリアムが顔を赤らめた。

「領主様の弟さんに抱っこしてもらえるなんて、光栄だなぁ」

「何故照れるんだ」

 困惑顔のクライヴに、ヘザーはまた吹き出す。


 そうしてビル一階の、ウェンディ女史のカフェで朝食を摂ると、スタンリーの邸宅へと向かった。

 そのまま二台の車に分かれ、一行は再度アーヴィング村へと進んだ。

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