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73:シャワーだけは譲れない

 ややあって、大きくため息をついたクライヴが、そっと彼女の手を握りなおす。ガラス製とでも思っていそうな仕草で、優しく両手で包み込んだ。

「いいか、ヘザー……俺が君に何をしたいのか、本当に分かっているのか?」

 そう尋ねて、クライヴはヘザーを見つめた。否、にらんだ。

 彼は椅子に座ったままなので、珍しい上目遣いになっている。おかげで凄みと迫力が増していた。


 言葉選びは柔らかだが、視線の鋭さの中に混じった熱も感じ取ってしまい、今度はヘザーの目が泳いだ。

「わ、かってる、と思うけど……」

 断言しようとして、ちょっとためらってしまった。ここまで念を押すということは、ひょっとして風変わりな性癖をお持ちなのでは、という予感が脳裏をかすめたのだ。

 口に出した瞬間、逮捕待ったなしのご趣味だったら、どうしよう。さすがに平々凡々な趣味のヘザーには、荷が重い。


 なのでちょっと腰が引けつつ、彼の表情を伺う。

「ちなみに、なんだけど……痛いこと、しないよな? なんかホラ、縛ったりとか、叩いたりとか、刺したりとか……」

「するか! そんな加虐趣味はない!」

「じゃあ、ええっと……ウンコに興味あったりとかは?」

「そんなもの、あるわけないだろう!」


 心外そうに傷ついた顔で、即座の否定が入った。大きく肩を落として、ヘザーはホッとする。

「よかった。なら大丈夫、うん」

 はにかむ彼女を見上げ、クライヴの口角がますます下がった。

「何が大丈夫なんだ。ただ、一応理解している前提で話すが――」


 クライヴの視線が落ちる。自分の両手でつなぎとめる、彼女の小さな手を見つめていた。

「君は俺よりも若い。今後、他に好きな男性が現れた時に……俺なんかに肌を許したことを後悔するのは、君なんだぞ?」

 自己肯定感が底割れの陰鬱な声が、彼女の心変わりを懸念する。今更過ぎないだろうか。


 煮え切らない態度に、ついヘザーの唇もつんと尖る。

「オレ、割と一途なんだけど」

「確かに、君は義理堅く誠実だとは思う。しかし――」

「それに抱いてほしいの、アンタだけだし……」

 じれったくなり、直接的なおねだりも交えてみた。ぐ、とクライヴの喉からうめき声がもれる。


「だから君は、どこでそんな口説き文句を覚えるんだ? ……ジェフの店か?」

 殺意満点の疑問符に、ジェフ本人と店がかなりヤバい、とヘザーは戦慄した。慌てて自由な手を大きく振る。


「ち、違うから! なんかこう、思いの丈的な? そういうの言っただけ! オリジナルの口説き文句だし!」

 じっとり無言で見据えられ、つい不格好な愛想笑いも浮かべてしまったのは、やはり精神性が日本人だからだろうか。

 頼りなく笑う彼女の手を放したクライヴの右手が、ヘザーの腰に回される。そのまま抱き寄せられ、耳元に彼の顔が寄った。


「ヘザー」

「ひぅ」

 欲情まみれの声で名前を呼ばれ、つい腰砕けになって甘ったるい悲鳴がこぼれ出た。思わずしがみついてきた彼女を、更にきつく抱きしめて、クライヴは続ける。


「俺はきっと、君が考えているより執念深い。ここで君を抱けば、死ぬまで解放する気はないぞ」

「……アンタが結構イイ性格なの、ちゃんと知ってるよ」

 なにせ映画本編における彼は、「レベル100の小姑」という表現がぴったりの陰湿悪役であった。そして今もなお、たまにその片鱗へんりんが見えている。


 だが、そんな彼がよかった。性格が悪い一方で案外人の好い、己に自信のない彼だからこそ助けたくなり、ついには惚れてしまったのだ。


 ヘザーもクライヴにもたれ、頬ずりする。

「だからオレのコトさ……もらってほしい、かな」

 引き続いての直接的すぎる言葉に、クライヴも観念したように緩く笑う気配があった。

「君も大概、趣味が悪いな。分かった、人生丸ごと貰い受けると約束しよう」

 そう宣言した後、真っ赤に茹だっている彼女の耳介に口づけを落とした。腰に回されていた手も、くすぐるように背中を撫でた。


「んっ、ちょっ、だめ……シャワー、先に浴びてからだろ!」

 この流れは、このままなし崩しで致されるパターンだと瞬時に悟る。力の入らない手で、ぺしりとクライヴの腕を叩いた。

 ここまで来れば、ベッドにまき散らす花びらやキャンドルは諦めよう。花びらは、後片付けが大変そうであるし。キャンドルもうっかり倒せば、火事になりかねない。


 ただ、シャワーだけは頑として守りたい。何故なら昼間、脂汗と冷や汗もをかいているのだ。絶対にお肌がべちょべちょしているだろうし、何より匂いが気になるもの。


 気恥ずかしさから潤んだ藤色の瞳を、どこか不満げな森色の瞳が間近にじぃっと見つめた。

 ふむ、と彼はしばし黙考して、すぐさま微笑んだ。

「よし。それじゃあ一緒に入るか?」

「はぁっ?」

 ふざけんな、とヘザーは抗弁したかった。


 が、そう提案して来たクライヴの捕食者としての色気が凄まじく、頭は真っ白になる。無意味にはくはくと口を開閉させている間に、さっさとクライヴの肩に担がれ――


「たしか昼間、俺と一緒に風呂に入ると言っていた気がしたが。あれは聞き間違いだろうか?」

「やっ、言ったけど……アレは、ただの冗談だったし! 本気で入るつもりじゃ――」

「しかしどうやら君も、満更でもないようだが」

「んなわけ、ねぇし!」

「君は納得出来ない場合、徹底抗戦するはずだ。違うか?」


 理詰めで迫られると、ぐうの音も出ない。ヘザーは悔しげに、クライヴのシャツを引っ張った。

「オ、オレ……初めてがお風呂場は、ちょっとヤっていうか……」

 か細い最後の抗弁に、クライヴは目を細めて笑う。次いで、子供をあやすような優しい口調になった。


「浴室では最後までしないよ――たぶん」

 が、発言内容はこの上なく胡散うさん臭い。

「たぶんッ? ってか、どこまですんのッ?」

 ヘザーはひっくり返った声で抵抗するも、結局脱衣室まで連行されてしまうのであった。しばらくして衣擦れの音と、ヘザーの甘ったるい悲鳴が漏れ出た。


 なお色々と盛り上がっている二人は、ささやかであるが大いなる問題を一つ見落としていた。

 クライヴの寝室の壁の真裏には、ウィリアムがぶら下げられており。

 二十世紀初頭の壁の防音性は、割と残念だということを。

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