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72:陰キャ探偵は石になった

 明日の段取りも四人で話している内に、夜が訪れた。今夜は新月であり、外は普段以上に暗い。

 比較的街灯が多く設置されている、ここ主都ならばともかく。今からアーヴィング村まで戻るのは、自殺行為だった。

 高確率で事故を引き起こし、下手すれば全員ウィリアムの仲間入りであろう。


 そのためヘザーとクライヴは、自宅で一晩過ごすこととなった。スタンリーも別荘に電話を入れたうえで、自身の本宅へと戻っている。

 とはいえ旅行もとい調査に備え、食料の買い置きもしていなかったので。二人はビルの向かいにある惣菜屋デリカテッセンで、惣菜とパンを見繕って夕食とした。フランス系の夫婦が営んでおり、味もなかなか評判の店なのだ。


 クライヴの家の居間兼食堂で、向かい合ってお手軽な夕食をいただく。

 川魚のフライやアスパラガスのサラダを食べていると、クライヴが物言いたげな視線を寄越して来ていることに気づく。

 ヘザーはまばたきして一度首をかしげ、次いで自身の皿を見た。サラダ以外には、ソーセージが一本残っている。


「どうしたんだよ? ソーセージ足りなかったとか? 一本やろうか?」

「いや、十分だ――その、折り行って頼みがあるんだ」

「……何?」

 深刻そうな声色のため、ヘザーもつい身構えた。

 彼はテーブルの上で手を組み、重々しく息を吐いて続けた。

「ビルを、この部屋に運び入れてはくれないだろうか? すまないが、まだ直接触るには勇気が……」

 が、肝心の頼みの内容は、ヘザーにとって朝飯前である。彼にとっては決死行為だろうが。


「そりゃ別にいいけど、なんで? 二人で下ネタトークして、盛り上がんの?」

 だったらちょっと混ぜてほしい、と思わなくもない。しかしクライヴのジト目が、不機嫌そうに細められる。

「するかっ! 死者とはいえ、やはり男性と君を二人きりにするのは……その、倫理的に不健全だと思っただけだ」

「はぁ、そうなんだ」


 何を今更、と思わずにはいられない理由である。

 ただ、ウィリアムの生前の姿を知ったことで、彼の成人男性という側面にまで思考が広がったのだろう、とも推測出来た。

 おそらく今まで、クライヴの中でウィリアムは「化け物」にカテゴライズされていたのだから。化け物の性別まで、気が回らなくても仕方ないだろう。


 一方で、未だウィリアムの宿るキャンバスに触れない彼が、同室になったところで熟睡出来るとは到底思えない。二日連続で寝不足の危機である。

 上司であり恋人である彼の健康は、ヘザーとしてもやはり維持したいものだ。

 何より寝不足状態での長距離ドライブなんて、ヘザーにとっても危険でしかない。下手すればスタンリーも巻き込んで、やっぱりウィリアムの仲間入りであろう。


 いや。一つだけ、彼の憂いと睡眠不足の両方を解消する方法があった。

 ただ提案するには、ヘザー側の勇気が存分に試されるのであるが――この際、勢いに任せてぶちまけることにする。

「あー、あのさ、だったら……オレがここで、一緒に寝ようか?」

 とはいえ気恥ずかしさから無意識に上目遣いとなり、もじもじと愛らしさ百点満点でのお誘いとなってしまった。


 その結果、クライヴは無表情で五秒ほど固まっていた。正面で照れまくるヘザーを凝視する真顔のまま、おもむろにティーカップを持ち上げる。

 そして紅茶を飲もうとして思い切り目測を誤り、シャツとズボンにぶちまけた。


「いやいや! なにやってんだよアンタ!」

 まさかのリアクションに、ヘザーも声が裏返る。なおこの間も、彼は引き続き無表情である。石像みたいだ。

 ヘザーはテーブルを拭くのに使った布巾を持って、とうとう無機物と化した彼のそばに駆け寄った。


「あー、あー、シャツがまっ茶色になってんじゃん……コレ、洗濯して落ちるのか? 絶対ムリそう……」

 どこかいぶしたような、セイロンティーらしいスモーキーな香りまみれのシャツを拭っていると、その手がクライヴに掴まれた。

「ん? なんだ?」

「何だ、じゃないだろう! 冗談でも、さっきのようなことは言うんじゃない!」


 キョトン顔で問えば、鬼気迫る形相で叱られた。つい、ヘザーの艶やかな唇がすぼめられる。

「いや、冗談じゃねぇし。オレがこっちで寝た方が、アンタも安眠できんじゃん」

「それはそう、だが……しかし、俺は聖人君子ではない。好きな女性と一晩過ごして、手を出さずにいられるわけがないだろう!」

 忍耐力よわよわザコ野郎であることを、何故かいっそ誇らしく宣言された。やけっぱち過ぎないだろうか。


 ただその点については、ヘザーとしてもむしろ――ばっちこいである。

 ポッと頬を赤らめたまま、伏し目がちで小さくうなずく。

「別に、手出してくれても、いいし」

「……は?」

「あ、でも……先にシャワー、浴びたいけど」

「いや、しかし」

 クライヴが、森色の目を見開いてわずかにのけぞる。次いで視線を左右にさまよわせた。

 ヘザーも耳まで赤くなったまま、彼の次の動きを待つ。

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