目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
70:元ヤン秘書のちょっとした秘密

 極度の怖がりであるクライヴは無論、ヘザーもビルへ調査兼旅行の詳細を伝えていなかった。

 これは守秘義務が主な理由である。ヘザーとて探偵秘書の自覚ぐらいはあるし、個人情報の取り扱いに関する意識の高さは未来人級なのだ。


 しかし己の職業倫理の高さが、まさかあだになるとは夢にも思わなかった。

 かき込むように昼食を平らげた二人は、大慌てで村を出て、主都の事務所へ戻った。

 スタンリーも自分の車を運転して、それに同行する。


 夕暮れ時に、三人はライダー探偵事務所に到着した。

「クライヴ、早く。早くっ」

「焦らせるな、というか服を引っ張るな」

 袖を引きちぎる勢いでジャケットを引くヘザーに辟易しつつ、クライヴが事務所のドアを開けた。

 なおスタンリーは、反対側の腕を引っ張っていた。局所的な両手に花状態である。片方はひげもじゃの、花というより巨木だが。


 窓のすぐ近くの、見晴らしのいい壁――壁を挟んだ真裏にはクライヴの寝室があるため、彼は当初この配置にも難色を示していた――に飾られているビルが、ドアの開閉音に気付いてこちらを見た。

「おや、二人とも早かったね」


 幽鬼のような顔に似合わぬ穏やかな声を聞き、スタンリーが眼帯に覆われていない目を見開く。

「館長!」

「えっ、スタンリー氏?」

 スタンリーの大音声での呼びかけに、ビクリとビルの肩が跳ねる。それに連動して、キャンバスそのものも揺れた。


 どういう原理なんだろう、とヘザーは改めて疑問に思った。

 だが、今訊くべきはそれよりも。

「なあ、ビル。アンタの本名、ウィリアム・ハーデンブルック……なんだよな?」

 低い声での問いかけに、ビル――ウィリアムは目をぱちくり。

「うん、そうだよ」

 そして、あっさりうなずいた。


 ヘザーが髪をかき回し、吠えた。

「そうだよ、じゃねぇよ! 言えよ、先に! 変死体のクセしやがって!」

「いやぁ、ぼくもすぐ絵から出られるかなーと思っていたし……『ぼくは某資料館の館長だったんです』だなんて自己紹介も、死後には要らない気がして。あと、その……」

 急にモジモジしだしたウィリアムを、ヘザーは胡乱うろんげに見やる。先ほどのかき回しにより、頭が連獅子風になっていた。


「なんだよ、イジイジしやがって」

「一応、何度か詳しい死因を伝えようとはしたんだよ? でも、クライヴ氏は声をかけると逃げちゃうし……」

 ヘザーとスタンリーが、無言でクライヴを見る。クライヴも無言でゆっくり、そっぽを向いた。今は無人のソファとにらめっこをしている。

「……ヘザー嬢はいつも嬉しそうにクライヴ氏のことを話してくれるから、それに水を差すのもよくないかなーって」

 そっぽを向いていたクライヴが、ビックリしたようにヘザーへ顔を戻す。スタンリーもニヤニヤと、彼女の挙動を窺っていた。


 二人の熱い視線を受け、たちまちヘザーの全身が赤くなった。

「ビルてめぇっ……」

「あ、退屈だったわけじゃないよ? 本当にクライヴ氏のことが好きなんだなって、聞いてるぼくもときめいてたんだ。それになんだか、ぼくの気持ちも若返るような――」

「くだらねぇことベラベラ喋ってんじゃねぇぞ! ガソリン撒いて焼くぞゴラァ!」

 死してなお墓穴を掘るウィリアムに、ヘザーはとうとう爆発した。

 荒々しく恫喝どうかつするも、真っ赤な顔で目も潤んでいるため、威圧感は皆無に等しい。


 その愛らしさに口元を緩めるクライヴだったが、荒れ狂うヘザーにばっちり見つかった。素早く接近され、思いきり真下からガンを飛ばされる。

「何笑ってんだよ、あァ?」

「いえ、何でもないです」

 ここで更にからかおうものなら、なお暴れだすのは目に見えているので。クライヴはすぐさま両手を上げ、恭順きょうじゅんに打って出た。


 幸い、これでヘザーのご機嫌は微修正され、彼女は再度ウィリアムをにらむ。

「……で、アンタやっぱ魔女に殺されたの? それともうっかり落ちて死んだクチ?」

「落ちて……?」

 ウィリアムが首を傾げる。ヘザーの問いが想定外過ぎる、とおっかない骸骨顔が物語っている。

 ヘザーの後ろに半ば隠れつつ、クライヴが助け舟を出した。

「俺たちは、君が資料館の窓から転落死したと把握しているが、違うのか?」


 絵の中でウィリアムがうなる。

「ぼくの記憶違いかもしれないけれど……最期に覚えているのは、後ろから誰かに殴られたことなんだ」

「殴られたっ? どこで? 誰に?」

 泡を食ったスタンリーが詰め寄る。実際、キャンバスを引っ掴んで豪快に揺さぶった。


「落ち着いて、スタンリー氏! ちょっと怖い! あと気のせいか目も回るから!」

 霊体にも三半規管の概念があるらしい。

「おっと……すまない、つい」

「きみはいつも豪快だねぇ」

 あはは、と呑気に笑ったウィリアムは続けた。

「殴られたのは、たしか資料館の入り口だったよ。ただ、相手の顔は見てなくて……役に立たなくてごめんよ?」


 しょんぼり声に、ヘザーが肩をすくめる。

「死人に役立たずとか、さすがに言えねぇよ」

「そもそも役立たずどころか、有益な情報も貰っているからな」

 彼女の背後霊あるいはスタンド状態のクライヴも、しみじみ同意。

 ヘザーは近距離パワー型に違いない彼を、キョトンと仰ぎ見る。

「有益ってのは……死んだ場所が違うコト?」

「それもあるが、より根本的な前提が変わって来るだろう」

「へぇっ?」


 大きな瞳をまたたくお馬鹿さんなヘザーを見下ろし、クライヴは淡白な口調で続ける。

「魔女は、常人に見えない触手を操る。死因の工作など無用なはずだし、背後を狙う必要すらないだろう」

「ってことは……」

 腰に手を当てて黙考したヘザーの顔が、ある仮説に辿り着いた瞬間、強張った。

「殺したのは魔女じゃ、ない?」

「人間だろうな、十中八九」

 よく出来ました、と言うように。クライヴが彼女の頭を一つ撫でる。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?