極度の怖がりであるクライヴは無論、ヘザーもビルへ調査兼旅行の詳細を伝えていなかった。
これは守秘義務が主な理由である。ヘザーとて探偵秘書の自覚ぐらいはあるし、個人情報の取り扱いに関する意識の高さは未来人級なのだ。
しかし己の職業倫理の高さが、まさか
かき込むように昼食を平らげた二人は、大慌てで村を出て、主都の事務所へ戻った。
スタンリーも自分の車を運転して、それに同行する。
夕暮れ時に、三人はライダー探偵事務所に到着した。
「クライヴ、早く。早くっ」
「焦らせるな、というか服を引っ張るな」
袖を引きちぎる勢いでジャケットを引くヘザーに辟易しつつ、クライヴが事務所のドアを開けた。
なおスタンリーは、反対側の腕を引っ張っていた。局所的な両手に花状態である。片方はひげもじゃの、花というより巨木だが。
窓のすぐ近くの、見晴らしのいい壁――壁を挟んだ真裏にはクライヴの寝室があるため、彼は当初この配置にも難色を示していた――に飾られているビルが、ドアの開閉音に気付いてこちらを見た。
「おや、二人とも早かったね」
幽鬼のような顔に似合わぬ穏やかな声を聞き、スタンリーが眼帯に覆われていない目を見開く。
「館長!」
「えっ、スタンリー氏?」
スタンリーの大音声での呼びかけに、ビクリとビルの肩が跳ねる。それに連動して、キャンバスそのものも揺れた。
どういう原理なんだろう、とヘザーは改めて疑問に思った。
だが、今訊くべきはそれよりも。
「なあ、ビル。アンタの本名、ウィリアム・ハーデンブルック……なんだよな?」
低い声での問いかけに、ビル――ウィリアムは目をぱちくり。
「うん、そうだよ」
そして、あっさりうなずいた。
ヘザーが髪をかき回し、吠えた。
「そうだよ、じゃねぇよ! 言えよ、先に! 変死体のクセしやがって!」
「いやぁ、ぼくもすぐ絵から出られるかなーと思っていたし……『ぼくは某資料館の館長だったんです』だなんて自己紹介も、死後には要らない気がして。あと、その……」
急にモジモジしだしたウィリアムを、ヘザーは
「なんだよ、イジイジしやがって」
「一応、何度か詳しい死因を伝えようとはしたんだよ? でも、クライヴ氏は声をかけると逃げちゃうし……」
ヘザーとスタンリーが、無言でクライヴを見る。クライヴも無言でゆっくり、そっぽを向いた。今は無人のソファとにらめっこをしている。
「……ヘザー嬢はいつも嬉しそうにクライヴ氏のことを話してくれるから、それに水を差すのもよくないかなーって」
そっぽを向いていたクライヴが、ビックリしたようにヘザーへ顔を戻す。スタンリーもニヤニヤと、彼女の挙動を窺っていた。
二人の熱い視線を受け、たちまちヘザーの全身が赤くなった。
「ビルてめぇっ……」
「あ、退屈だったわけじゃないよ? 本当にクライヴ氏のことが好きなんだなって、聞いてるぼくもときめいてたんだ。それになんだか、ぼくの気持ちも若返るような――」
「くだらねぇことベラベラ喋ってんじゃねぇぞ! ガソリン撒いて焼くぞゴラァ!」
死してなお墓穴を掘るウィリアムに、ヘザーはとうとう爆発した。
荒々しく
その愛らしさに口元を緩めるクライヴだったが、荒れ狂うヘザーにばっちり見つかった。素早く接近され、思いきり真下からガンを飛ばされる。
「何笑ってんだよ、あァ?」
「いえ、何でもないです」
ここで更にからかおうものなら、なお暴れだすのは目に見えているので。クライヴはすぐさま両手を上げ、
幸い、これでヘザーのご機嫌は微修正され、彼女は再度ウィリアムをにらむ。
「……で、アンタやっぱ魔女に殺されたの? それともうっかり落ちて死んだクチ?」
「落ちて……?」
ウィリアムが首を傾げる。ヘザーの問いが想定外過ぎる、とおっかない骸骨顔が物語っている。
ヘザーの後ろに半ば隠れつつ、クライヴが助け舟を出した。
「俺たちは、君が資料館の窓から転落死したと把握しているが、違うのか?」
絵の中でウィリアムがうなる。
「ぼくの記憶違いかもしれないけれど……最期に覚えているのは、後ろから誰かに殴られたことなんだ」
「殴られたっ? どこで? 誰に?」
泡を食ったスタンリーが詰め寄る。実際、キャンバスを引っ掴んで豪快に揺さぶった。
「落ち着いて、スタンリー氏! ちょっと怖い! あと気のせいか目も回るから!」
霊体にも三半規管の概念があるらしい。
「おっと……すまない、つい」
「きみはいつも豪快だねぇ」
あはは、と呑気に笑ったウィリアムは続けた。
「殴られたのは、たしか資料館の入り口だったよ。ただ、相手の顔は見てなくて……役に立たなくてごめんよ?」
しょんぼり声に、ヘザーが肩をすくめる。
「死人に役立たずとか、さすがに言えねぇよ」
「そもそも役立たずどころか、有益な情報も貰っているからな」
彼女の背後霊あるいはスタンド状態のクライヴも、しみじみ同意。
ヘザーは近距離パワー型に違いない彼を、キョトンと仰ぎ見る。
「有益ってのは……死んだ場所が違うコト?」
「それもあるが、より根本的な前提が変わって来るだろう」
「へぇっ?」
大きな瞳をまたたくお馬鹿さんなヘザーを見下ろし、クライヴは淡白な口調で続ける。
「魔女は、常人に見えない触手を操る。死因の工作など無用なはずだし、背後を狙う必要すらないだろう」
「ってことは……」
腰に手を当てて黙考したヘザーの顔が、ある仮説に辿り着いた瞬間、強張った。
「殺したのは魔女じゃ、ない?」
「人間だろうな、十中八九」
よく出来ました、と言うように。クライヴが彼女の頭を一つ撫でる。