そのまま外へ出ようものなら痴女待ったなしであったため、ヘザーはペパーミントグリーンのドレスに着替える。首から鎖骨にかけてレース生地で覆うデザインのため、大量のキスマークと歯型もどうにか隠せた。
「にしても……多すぎね? アイツ、割と執念深いのか?」
諸悪の根源は魔女とはいえ、ちょっとは自制してくれよ、と鏡に映る己と目を合わせつつ嘆息する。
ヘザーが着替えを終え、自分に割り当てられた部屋を出ると、廊下でクライヴが待っていた。先ほど放り投げられたサーベルも、再度所持している。
これから二人でスタンリーへ、魔女に襲撃されたことを報告するのだ。
ヘザーはじろり、と彼をねめつけた。
「次からは見えるトコに、付けんじゃねぇぞ?」
何をとは告げずに、花模様のレースに隠されたデコルテをトントン、と細い指でつつく。
陰気面で、クライヴは重々しくうなずく。
「勿論、二度としない。本当にすまなかった」
が、途中で何か期待のこもった眼差しを、彼女に向ける。
「つまり……見えない場所なら、付けてもいいと?」
「きっ、気づいても言うなよ! 胸ん中にしまっとけ!」
耳まで赤くなったヘザーが、羞恥に駆られて殴りかかる。まあまあな強さで腰をぶん殴られても、クライヴはさほど
「そうか、いいんだ」
「押すな、念を! その話終わり! スタンリーさんトコ行くぜ!」
噛みつかん勢いで吠えたヘザーが、大股でスイートルームを出た。クライヴもほんわかと笑って、彼女に続く。
二人がスタンリーの別荘に着いたのは、昼過ぎだった。しかし生憎、パイレーツ医師は遅めの昼食中だという。
クライヴが一度出直そうかと提案するも、スタンリーというよりティナの強い後押しで、二人も相席することになった。
「魔女イーディスの霊に襲われたっ?」
お抱えシェフの得意料理だという本格バターチキンカレーを頬張るスタンリーが、二人の報告に驚愕する。
おまけでヘザーもクライヴに襲われちゃったことは省きつつ、墓地での遭遇と腕を切って退散させた経緯のみを簡潔に伝えた。
三人にスパイスたっぷりのチャイを供するティナは、骸骨軍団のくだりで飛び上がった。
「ひえぇっ……怖すぎますぅ! お怪我は大丈夫でしたか……?」
おっかなびっくりな彼女に、ヘザーを親指を立ててにんまり。
「おお。ぶっちゃけクソ弱かったから、それは全然平気。大して怖くもなかったし、なぁ?」
話を振られ、丁寧にナンをちぎっていたクライヴは思いきり顔をしかめる。
「確かに強くはなかったが、物凄く気味は悪かったぞ」
わざとらしい仕草で、ヘザーは小さな手で口元を抑えた。大きな目も、ぱちくり。
「あらあらまぁまぁ……やっぱアンタ、繊細なんだなー。今日、一人で風呂入れるか? 一緒に入ってやろうか? うん?」
「遠慮する。それに俺が繊細なのではなく、君の神経が図太過ぎるんだ」
あざとい仕草で笑うヘザーに、クライヴが不景気顔ですかさず反論する。見慣れたじゃれ合いを、ティナはほっこり笑顔で眺めていた。彼女は、イチャつく二人を見るのが好きなのだ。
「わたしはお二人とも、どっちもどっちだと思いますよぅ?」
が、それはそれとして。常軌を逸した繊細さと無神経さを持つ両雄へ、釘を差すことも忘れない。
一方のスタンリーは、両手に持ったナンを握り潰して
「小生も……魔女に逢いたかった!」
全身を大きく震わせ、ハラハラと涙もこぼす。途中で眼帯も外し、閉じられた両目を荒っぽくシャツで拭った。ここまで本気で泣かずとも。
「こっちは襲われたっつってんのに、なんでそんな悔しがれるんすか?」
彼の反応は、常軌を逸した二人に勝る狂気の沙汰であるため、三人揃って「うわぁ」と露骨に顔をしかめた。
こんなオカルトバカと自分の関係性を、わずかでもクライヴに疑われたことが割と不本意なヘザーである。
なおジョンについては
「アイツとだけはない。マジでない。もし地球上の人間がオレとアイツだけになっても、絶対惚れない。たぶん速攻で闇討ちして、食料とか独占する」
とクライヴへ自身満々に断言すると、
「そのような緊急事態下においては、平和的な関係性の維持も視野に入れるべきではなかろうか」
と普通に諭された。面倒くさい彼氏が真面目過ぎる。
閑話休題。指先についたカレーをペロリと舐めつつ、ヘザーは軌道修正を図った。
「でもイーディスの野郎、オレたちを
「なんだと? 何故そう思ったんだね?」
小難しい表情になったスタンリーへ、お上品にナプキンで手を拭くクライヴが補足。
「俺たちに対して、『秘密を探るなら仕置きをする』といったことは告げて来たが、殺害については一度もほのめかさなかったんだ」
「で、呼び出したのはクソ弱ぇガイコツだし」
ヘザーによる間髪入れずの補足に、クライヴは骸骨の姿を思い出して一瞬顔をしかめたものの、すぐに平静を装いうなずく。
「そして彼らが劣勢になっても、触手での妨害以外に手を打つ様子もなかった。それに何より、今回の婚約については殺人を行う必要があるほど、当事者二人に強固な結びつきがあるとは思えない」
これこそが、クライヴの一番の疑問点だった。
バカ息子を支えてやってほしい、という金銭も絡まない親心的事情による婚約なので、魔女が警告文を書くだけでもあっさり破談出来そうなのだ。
畳みかけるような二人の推論に、スタンリーは腕を組んでうなる。
「つまり……館長の死は、無関係の可能性がある、と?」
クライヴが静かに首肯する。
「あくまでも可能性だが。無論、館長が彼女の逆鱗に触れた可能性も、同じく残っている」
わずかに身をそらして、ヘザーは宙をにらんだ。
「間は悪ぃけど、単なる事故死ってこともありえるよなー……そういや館長サンって、どんなツラだったの?」
ハーデンブルック氏が素晴らしい人物だと、あらゆる人が言っていた。
しかし容姿については、一切分かっていないのだ。
素朴な疑問に、スタンリーもあごひげを撫でつつ、彼女につられるようにして天井を見た。
「そうだな……あいつは画家だったから、写真よりも絵の方が好きでな――いや、たしか一枚ほど……そうだ。ここに写っていたはずだ」
大きな手を一つ打って、スタンリーは胸元がはだけたシャツの、ポケットをまさぐった。
中から出てきたのは、例の村長 into 肥溜め写真である。
食事中に見る写真じゃないだろう、とクライヴはチキンカレーの入った皿を無意識に両手で庇いつつ、どんよりスタンリーをにらんだ。
しかし神経が極太なヘザーは気にするわけもなく、躊躇なく写真を覗き込んだ。内なる高田はゾンビ映画を見ながら、もつ鍋やフライドチキンを食せるタイプなのだ。
「どこどこ? どこに写ってんの?」
「ここだな。村長を助けるために、シャベルを持ってる奴だ」
野次馬の群れの一角を、スタンリーが指さした。
彼が指し示したのは、落ちくぼんだ目をした、ひょろりと痩せた不健康そうな男性であり――
「ああああああッ!」
その顔を見つめるや否や、ヘザーが大声を上げた。チャイを飲んでいたクライヴが、あやうく吹き出しそうになる。
スタンリーも目を点にしていた。
「急に何なんだ、びっくりするだろう」
ジト目で抗議するクライヴに、珍しく焦った様子のヘザーが、あわあわと首を振る。そして彼のシャツを引っ張る。
「ちょっ、クライヴ、たいへん、やべぇ、どうしよっ」
断片的すぎる言葉に、彼の眉が垂れた。クライヴは困り顔で、ヘザーの両肩に手を置いてなだめる。
「……すまん、全く意味が分からん。落ち着いてもう一度話してくれ」
クライヴの言葉に、ヘザーが一つ深呼吸。そして激しく上下に振る人差し指で、写真を示す。
「こっ、こいつ、ビルなんだよ!」
「はぁッ?」
クライヴも目をむき、肥溜め写真に顔を寄せた。
たしかにそこに写るのは、現在ライダー探偵事務所で絶賛お留守番中の、あの幽霊である。
「本当にビルだ……」
あえぐような彼の声に、スタンリーは首をひねった。
「たしかにジョンは、館長のことをビルの愛称で呼んでいたが……二人も、彼の友人だったのか?」
「あー……知り合いってか……」
ヘザーが言い淀んで、すがるようにクライヴを見上げる。口角を下げて同じく困惑顔のクライヴが、彼女の視線を受けて肩をすくめた。
「現在、事務所に居候している幽霊が、写真の人物と瓜二つなんだ」
「なっ……幽霊っ? いや、それより、幽霊が居候っ? 一体どういう状況なんだ!」
二人に続き、スタンリーも裏返った声で叫ぶ。たしかにそれだけ聞くと、探偵事務所がとんだホーンテッドマンションに思える。
思いがけぬ発見に、ヘザーは上半身を斜め横に傾けながら長々とため息。
「あのオバケ……顔が怖ぇのは死んだからじゃなかったんだな……」
「ああ。生まれつきの不気味な面構え――いや、そこじゃないだろう」
重苦しい口調で同意しかけたクライヴが、すかさず苦い顔で否定する。
彼は案外、ノリツッコミが上手いのかもしれない。