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67:陰キャ探偵はいつも0か100か

 生前の高田は、好きな女性の上目遣いと泣き顔に弱いという単純明快な男だった。

 涙ぐんで強請ねだられると、ついつい言いなりになってしまうのだ。

 それこそ、夜中に車で片道十五分のミニストップまでかっ飛ばしたり、自身も苦手なゴキブリを単身討伐したりといった具合だ。


 女性には紳士であれ、という祖母の薫陶くんとうによるところが大きい、と本人は考えている。

 そして紳士であろうとするのは、クライヴも同じであるはずだ。何故か今は、絶賛自分を襲っているけれど。ともかく基本は紳士だと仮定する。


 よって彼女は、最終手段「泣き落とし」を選んだ。

「うぅっ……ふぇぇっ……」

 わざとらしいまでに嗚咽おえつを漏らし、ヘザーは大きな青紫の瞳から幾粒もの涙をこぼした。まさかこの年になって「ふぇぇ」と泣く羽目になるとは。違う意味でまた泣けた。


 彼女の胸に顔を埋めていたクライヴも、異変に気づく。瞳孔だけは全開の無表情を持ち上げた彼が、一瞬目を見開くと、滑稽なぐらい顔を強張らせた。

「へ、ヘザー?」

「もうやだぁ……クライヴ、怖い……」

 うろたえる彼を、まつげも濡れた瞳ですがるように見上げる。薄っすら開いた艶のある唇も、儚く震えていた。声も甘い。

 男を知り尽くした元男による、上目遣いと泣き顔の合わせ技だ。


 急に涙が出せるだろうか、という危惧きぐはあった。だが映画『サマーウォーズ』の、さかえおばあちゃんの手紙のシーンを思い出せば一発である。

 おばあちゃんっ子で本当によかった。


「あ……お、俺は、あの、その……」

 超ド級美少女に泣かれ拒まれた結果、青ざめたじろいだクライヴの体が起き上がり、後ろへ下がる。

 その瞬間を見逃すヘザーではなかった。


 即座に儚げな表情が、悪鬼へと変わる。

「オラァッ!」

 咆哮と共に右足を跳ね上げ、クライヴの腹部へ無慈悲に蹴りを浴びせた。靴も履いたままであるため、威力は満点である。

 カハッと呼吸音をこぼした彼は、そのままのけぞる。同時に背中から、ピンクのもやが飛び出した。


「やっぱコレのせいじゃん、ふざけんなよ!」

 ベッドに横倒しとなった彼を飛び越え、そいつにも一打を与える。風船の割れるような音と共に、靄は弾けて消え去った。


 鼻を鳴らして靄の消滅を見つめていたヘザーが、今度は靴を放り出してベッドに再度上る。

「おい、クライヴ生きてるか?」

 気持ち優しい手付きで、ベッドに突っ伏したままの彼を揺さぶった。アバラぐらいは逝かれているかも、と内心覚悟しているのだ。


 短いうめき声を上げ、次に咳き込みながらクライヴが身を起こす。

「ヘザー……その、俺は……」

「悪ぃ。焦ってたからオレも、手加減出来なかった」

 背中をさすって介抱すると、気にするなと言うように、うなだれた首が二度振られた。

 陰気面に戻った彼が、ようやく顔を上げる。そしてむき出しの白い素肌に紅斑や歯型を無数に散らした、ヘザーのあられもない姿を視界に映す。


「あー……ボタンも飛んじまったからさ、しまらねぇんだよ」

 彼の視線に気づき、ヘザーははだけた布地をたくし上げて胸元を隠す。

 しかし自身のしでかした結果をばっちり目撃したクライヴは、たちまち苦しげに表情を歪めた。そういえば瞳孔も、いつの間にかちゃんと絞られている。


 彼は無言でベッドを下りた。ベッドルームの入り口に放置されていたサーベルを拾い上げ、それを恭しくヘザーへ差し出す。

「え、なに? くれんの? 詫び代?」

 ベッドであぐらをかきながら、小首をかしげる彼女の真下で平伏した。


「それで殺してくれ」

「いや極端かよ!」

 ヘザーは何の気なしに受け取ったサーベルを、ベッドを挟んでクライヴの反対方向に投げ捨ててしまった。

 彼の近くに投げなかったのは、サーベルを突き返すとそのまま自分で首を掻っ切りそうだったためだ。


 ヘザーは申し訳程度に腹部を覆っていた元ブラジャー・現ボロキレもサーベルの横に放りつつ、ベッドを降りた。クライヴの横にしゃがみ込む。

「あのピンクのモヤモヤのせいっぽいし、まあ一応未遂だしさ。あんま気にすんなよ」

 わざと明るくそう言って、床に伏せたままの背中を豪快に叩いた。


「……う……だ……」

 越冬した蚊の羽音に似た、瀕死の声が小さく返された。

「ん?」

 ヘザーが体ごと傾き、耳をそば立てる。

「……違うんだ」

 たちまちヘザーの目に、軽蔑の色が浮かぶ。

「は? アンタ元々レイプ魔だったの? 女の子の敵じゃん、サイテー。肩にインコ乗せて、出家して来いよもー」

「そ、そういう意味ではない!」

 ほっそりした鼻にしわを寄せてヘザーが腐すと、声と同じく死に際の趣がある顔が跳ね上がった。


 しかし間近にいるヘザーと目が合ったクライヴは、すぐさま視線を落とす。それでも一応、平伏から座り込みの姿勢には変わった。

「そうではなく……魔女に何かされる前からずっと、不安はあったんだ。君のような素敵な女性がこの先ずっと、俺の近くにいてくれるのだろうか、と」

 ヘザーは

「ま、オレはたしかに美少女ですからね」

などと言って茶化そうかと一瞬考えたが、ここで吐かせないと、この男は一生塞ぎ込みそうな予感もした。

 そのため、黙して続きを待った。彼の隣で三角座りをする。


「だからその……どうしたら君を繋ぎ止められるのだろう、と考えることはあったんだ」

「だからって、レイプいくない。犯罪じゃねぇか」

「今回については『心が無理なら、せめて体だけでも』と、思い至ってしまい……」

「お、おお。思考が完全に悪役だな」


 そういえば彼は元々、映画本編における悪役でもあったか。嫌なポテンシャルの高さを発見してしまい、ヘザーはつい肩をすくめる。


「そんな不安なら、オレに訊けばいいだろ。『ねぇねぇ俺のこと好き? 教えて教えてー』って。三回に一回ぐらいは答えてやるしさ」

 ヘザーとしては名案だったのだが、クライヴの背中は丸まり、ますますうなだれた。

「怖くて訊ける訳がない。そもそも俺自身、自分が君に好いてもらえる人間性だとは到底思えないんだ」


 どうしよう。この年上彼氏、もの凄く面倒くさいぞ。

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