生前の高田は、好きな女性の上目遣いと泣き顔に弱いという単純明快な男だった。
涙ぐんで
それこそ、夜中に車で片道十五分のミニストップまでかっ飛ばしたり、自身も苦手なゴキブリを単身討伐したりといった具合だ。
女性には紳士であれ、という祖母の
そして紳士であろうとするのは、クライヴも同じであるはずだ。何故か今は、絶賛自分を襲っているけれど。ともかく基本は紳士だと仮定する。
よって彼女は、最終手段「泣き落とし」を選んだ。
「うぅっ……ふぇぇっ……」
わざとらしいまでに
彼女の胸に顔を埋めていたクライヴも、異変に気づく。瞳孔だけは全開の無表情を持ち上げた彼が、一瞬目を見開くと、滑稽なぐらい顔を強張らせた。
「へ、ヘザー?」
「もうやだぁ……クライヴ、怖い……」
うろたえる彼を、まつげも濡れた瞳で
男を知り尽くした元男による、上目遣いと泣き顔の合わせ技だ。
急に涙が出せるだろうか、という
おばあちゃんっ子で本当によかった。
「あ……お、俺は、あの、その……」
超ド級美少女に泣かれ拒まれた結果、青ざめたじろいだクライヴの体が起き上がり、後ろへ下がる。
その瞬間を見逃すヘザーではなかった。
即座に儚げな表情が、悪鬼へと変わる。
「オラァッ!」
咆哮と共に右足を跳ね上げ、クライヴの腹部へ無慈悲に蹴りを浴びせた。靴も履いたままであるため、威力は満点である。
カハッと呼吸音をこぼした彼は、そのままのけぞる。同時に背中から、ピンクの
「やっぱコレのせいじゃん、ふざけんなよ!」
ベッドに横倒しとなった彼を飛び越え、そいつにも一打を与える。風船の割れるような音と共に、靄は弾けて消え去った。
鼻を鳴らして靄の消滅を見つめていたヘザーが、今度は靴を放り出してベッドに再度上る。
「おい、クライヴ生きてるか?」
気持ち優しい手付きで、ベッドに突っ伏したままの彼を揺さぶった。アバラぐらいは逝かれているかも、と内心覚悟しているのだ。
短いうめき声を上げ、次に咳き込みながらクライヴが身を起こす。
「ヘザー……その、俺は……」
「悪ぃ。焦ってたからオレも、手加減出来なかった」
背中をさすって介抱すると、気にするなと言うように、うなだれた首が二度振られた。
陰気面に戻った彼が、ようやく顔を上げる。そしてむき出しの白い素肌に紅斑や歯型を無数に散らした、ヘザーのあられもない姿を視界に映す。
「あー……ボタンも飛んじまったからさ、しまらねぇんだよ」
彼の視線に気づき、ヘザーははだけた布地をたくし上げて胸元を隠す。
しかし自身のしでかした結果をばっちり目撃したクライヴは、たちまち苦しげに表情を歪めた。そういえば瞳孔も、いつの間にかちゃんと絞られている。
彼は無言でベッドを下りた。ベッドルームの入り口に放置されていたサーベルを拾い上げ、それを恭しくヘザーへ差し出す。
「え、なに? くれんの? 詫び代?」
ベッドであぐらをかきながら、小首をかしげる彼女の真下で平伏した。
「それで殺してくれ」
「いや極端かよ!」
ヘザーは何の気なしに受け取ったサーベルを、ベッドを挟んでクライヴの反対方向に投げ捨ててしまった。
彼の近くに投げなかったのは、サーベルを突き返すとそのまま自分で首を掻っ切りそうだったためだ。
ヘザーは申し訳程度に腹部を覆っていた元ブラジャー・現ボロキレもサーベルの横に放りつつ、ベッドを降りた。クライヴの横にしゃがみ込む。
「あのピンクのモヤモヤのせいっぽいし、まあ一応未遂だしさ。あんま気にすんなよ」
わざと明るくそう言って、床に伏せたままの背中を豪快に叩いた。
「……う……だ……」
越冬した蚊の羽音に似た、瀕死の声が小さく返された。
「ん?」
ヘザーが体ごと傾き、耳をそば立てる。
「……違うんだ」
たちまちヘザーの目に、軽蔑の色が浮かぶ。
「は? アンタ元々レイプ魔だったの? 女の子の敵じゃん、サイテー。肩にインコ乗せて、出家して来いよもー」
「そ、そういう意味ではない!」
ほっそりした鼻にしわを寄せてヘザーが腐すと、声と同じく死に際の趣がある顔が跳ね上がった。
しかし間近にいるヘザーと目が合ったクライヴは、すぐさま視線を落とす。それでも一応、平伏から座り込みの姿勢には変わった。
「そうではなく……魔女に何かされる前からずっと、不安はあったんだ。君のような素敵な女性がこの先ずっと、俺の近くにいてくれるのだろうか、と」
ヘザーは
「ま、オレはたしかに美少女ですからね」
などと言って茶化そうかと一瞬考えたが、ここで吐かせないと、この男は一生塞ぎ込みそうな予感もした。
そのため、黙して続きを待った。彼の隣で三角座りをする。
「だからその……どうしたら君を繋ぎ止められるのだろう、と考えることはあったんだ」
「だからって、レイプいくない。犯罪じゃねぇか」
「今回については『心が無理なら、せめて体だけでも』と、思い至ってしまい……」
「お、おお。思考が完全に悪役だな」
そういえば彼は元々、映画本編における悪役でもあったか。嫌なポテンシャルの高さを発見してしまい、ヘザーはつい肩をすくめる。
「そんな不安なら、オレに訊けばいいだろ。『ねぇねぇ俺のこと好き? 教えて教えてー』って。三回に一回ぐらいは答えてやるしさ」
ヘザーとしては名案だったのだが、クライヴの背中は丸まり、ますますうなだれた。
「怖くて訊ける訳がない。そもそも俺自身、自分が君に好いてもらえる人間性だとは到底思えないんだ」
どうしよう。この年上彼氏、もの凄く面倒くさいぞ。