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66:せめて「蛍の光」であれ

 ヘザーの抵抗も抗議も一切無視して、クライヴは強引に客室まで戻った。居間に入ったところでようやく、彼女は解放された。

 ヘザーは強く握りしめられて赤くなった手首をさすり、恨めしげな視線を彼に向ける。が、彼はそれも見ようともせず、部屋の隅に置いていたトランクへ手を伸ばした。


「村を出よう」

 そして苛立ちを隠そうともしない低い声で、それだけ言った。

「はぁ? アンタ何言ってんだよ? まだ調査、全然終わってねぇじゃん!」

 ヘザーが地団駄を踏んでも、クライヴは背中を向けたままだ。

「魔女の怨念が原因だと、分かったようなものだ。もう十分だろう」

「なんで魔女が怒ってんのか、全然分かってねぇだろ!」

「そもそも、危険があれば調査を打ち切るという条件だったはずだ。ならばこれ以上、続ける義理はない」


 彼の主張は、もっともと言えばもっともだ。依頼人であるスタンリー自身も「何か分かれば儲けもの」という前提で、話を持ち掛けているのだから。

 だが、あまりにも強引すぎる。

 相変わらず、彼がイライラと落ち着きがないのも不安になる。

 現状、血反吐へどを吐いてぶっ倒れる様子はないものの、先ほどのピンクのもやも気掛かりだ。

 ひとまず、彼を冷静にさせるのが最優先事項か、とヘザーはため息をついた。


「分かった……でもスタンリーさんには、ちゃんと報告してから帰ろうぜ。オレ、ちょっと行って来るからさ。アンタはココで休んでてくれよ」

 一人になれば少しは落ち着きも取り戻すかも、とヘザーは外へ出ようとした。

 だがドアノブを掴むより早く、クライヴの腕が腰に回された。


「どこへ行く気だ」

 突然の密着に目を丸くする彼女の耳元で、酷薄な声がした。

 思わずビクリと身を固くしたヘザーが、ぎこちなく斜め後ろを見る。無表情のイケメンが、こちらを凝視していた。気のせいか瞳孔が開いており、かなり怖い。猟奇殺人鬼の顔だ。

「どこって……スタンリーさん、のトコ……」

「俺を捨てて、あの男を選ぶのか?」

「は……?」

 何をどう勘違いしたら、そういう発想に至るのか。ヘザーは思わず、半笑いになった。


 しかし笑っていられるのは、ここまでだった。

 腰に回された腕に力がこもった、と気づいた次の瞬間には抱えられ、そのままクライヴの使っているベッドルームに連れ込まれていた。

「おい、何すんだよ! ちょっ、やめ……」

 抗議もむなしく、そのままベッドに押し倒される。なすすべなく背中から投げ出された彼女の上に、クライヴが覆いかぶさる。ご丁寧に両腕も、頭上でまとめて拘束された。

 壁ドン・床ドンよりも危険度が高い、ベッドドンである。言いづらい上に語感も最悪だが、お膳立てとしてはこの上なく完璧であろう。


 わが身に迫る危機にヘザーが全身を強張らせると、クライヴは苦悶の表情で叫んだ。

「俺から離れようなんて、絶対許さない……あの男にもジョンにも、絶対君を渡さない!」

 絞り出すような痛々しい声音に、ますますヘザーは混乱する。

「いや、なんでそこで、ジョンが――んんっ!」

 が、異議を唱えようと開いた唇を、クライヴのもので塞がれた。


 そのまま舌もねじこまれ、口腔内を蹂躙される。

 彼の舌を噛み切ってでも抵抗すべきなのだろうが、舌で上顎や歯列を撫でられる感覚に、甘い痺れを覚えてしまう。抵抗らしい抵抗も出来ずに、そのまま舌同士も絡められた。

 息継ぎの合間には、媚びるような吐息しか出てこない。

 危機感はもちろん残存しているものの、相手が己の惚れているクライヴであるため、思考が乙女色になって一切まとまらないのだ。


(ってか、力強っ! 前世ゴリラかよ、てめぇこの野郎ー!)

 一応両腕を動かそうと試みるも、ぴくりとも動かせなかった。さすがにちょっと、剛腕がすぎる。

 ようやく執拗な口づけから解放され、荒い息を吐きながら少し安堵した途端

「ひゃっ……」

赤くなった耳を甘噛みされ、我ながらなんとも可愛らしい悲鳴がこぼれ落ちてしまった。こんなもの、誘っていると思われても致し方ないだろう。


 だが実のところまだ、ヘザーには若干の精神的余裕があった。


 今から遠い未来である令和においても、女性との夜の営みに不慣れな男性にとって、女性用の下着――もといブラジャーは鬼門である。

 高田も若かりし頃は、あのよく分からないホックなるものに翻弄されたものだ。

 構造自体も外しにくい上に、二列構成だったり三列構成だったり。もしくは稀に前に付いてたり、そもそもなかったり……規則性がなさすぎる。下着業界にはないのだろうか、JIS規格やISO規格が。

 初見であれを、すんなり外せる猛者もさは少ないだろう。


 そして二十世紀初頭である現在、ブラジャーはより一層難解であった。

 胸のサポーターというよりも、鎧に限りなく近い。

 おまけに着脱の難易度も更に高いという、ユーザビリティという概念を完全無視した代物なのだ。実際ヘザーも、慣れるまでは半泣きで身に着けていたほどである。

 クルミボタンやリボン自体は可愛らしいものの、それを留め具にされると、たちまち途方に暮れてしまった。


 女性におモテにならない、とカミングアウト済みであるクライヴ (推定:童貞または素人童貞)であれば、この難攻不落のラブリー要塞もそう易々とは――


 バンッ


 内心彼の非モテぶりに余裕をぶっこいていたヘザーの胸元で、爆発音によく似た豪快な音がした。もはや終末感しか覚えない。だってスースーと、風通しもいいもの。

 恐る恐る視線を下げるとドレスのボタンごと、ブラジャーが真っ二つに引きちぎられていた。モーゼに割られたのか、と疑いたくなるような惨状だ。

(前世だけじゃねぇ! 今世もゴリラじゃねぇか、この男はよぉぉー! もうやだ、森に帰りなさいよぉぉぉぉー!)

 ヘザーの内なる乙女と漢が、たまらず抱き合って号泣する。


 内心で絶叫しているうちに、無防備になった首筋に熱い舌の感触が。

 されていることは、先ほどの魔女イーディスと同レベルなのに。こちらは従順に、ぞくぞくとした気持ちよさを拾ってしまう。

(ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!)

 精神的余裕を一切失って、羞恥と危機感で嫌な汗がにじみ出る。

 このままでは、間違いなく最後まで致される。こんにちは既成事実、である。


 大事な初めてが、相手が彼とは言え、こんな強姦まがいのプレイだなんて。第二の人生最大の汚点である。

 ヘザーとてもうちょっとちゃんと、雰囲気作りから頑張ってほしいという欲求はあるのだ。夜、周りにキャンドルを置いて、ベッドにもバラの花びらを散らせたりしてほしい。

 もちろん先にシャワーも浴びたい。今日、結構汗をかいたし。なんだったら今も脂汗でびっちょりなのだ。

 あと、可愛い下着も欲しいし……と現実逃避をしている間に、むき出しになった胸も甘噛みされた。思わずまた、儚い鳴き声がこぼれ出る。


 このままヤられる未来しか見えないヘザーの脳裏に、汽車に乗って去り行く「貞操」の二文字と、それを必死に走って追いかける己の姿が浮かび上がった。「貞操」は明朝体で、BGMは「贈る言葉」である。何故「贈る言葉」なのかは、ヘザーにも分からない。


 ヘザーの内なる乙女は、なし崩しでの一線越えを半ば諦めつつ受け入れていた。

 自分と致してクライヴが満足するなら、まあいいか、と……自分も満更でもないのだ。


 が、ここで元ヤンとしての生存本能並びに闘争心が、主導権を握った。


 おっぱいはやりたい放題にされているが、まだパンツは無事である。辛うじて。

 最後までヤられたわけではない。つまり、まだ負けていないのだ。

 満更ではないものの、こちらの意思をまるで無視なのはやはり許しがたかった。


 何より、せっかくの初めてだというのに、脳内BGMが武田鉄矢氏の歌声というのは――割と嫌である。実際問題、脳内で「贈る言葉」が流れだしてからちょっと萎えてしまった。

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