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58:薄幸具合なら任せろ

 アーヴィング村での一日目は、クライヴにとって散々の一言に尽きた。


 ヘザーがジョンに一目惚れされてしまったのが、全ての始まりであろう。

 面談の後、村長宅でスタンリーも交えて夕食を頂いたのだが、その間もずっとジョンはヘザーを口説き続けていたのだ。

 ヘザーの方は一顧いっこだにせず、むしろ

「お前、頭大丈夫か?」

と、しきりに病院行きを勧めていたのが救いだったが。


 しかしむかっ腹であるのは変わらないので、つい飲めない酒にも手を伸ばしてしまった。

 普段であれば、グラス二杯のワインを飲めばすぐ眠くなるのに、昨夜は気が立っていたためか一向に眠気も訪れず。

 ただただ気分が悪くなるという、最悪の酔い方をする羽目となった。


 おまけに、就寝時も全く眠れなかった。

 それは部屋は離れているとはいえ、ヘザーがすぐ近くで寝ているという甘い事実が彼を悩ませ――たわけではなく、単純明快に魔女が怖かったのだ。


 なにせ赤の他人の婚約解消のために、人を殺す異常者である。自分を調べに来た探偵に、手を出さないはずがない。

 廊下を隔て、同じ客室内でヘザーが寝ていることはむしろ、彼にとって最後の希望であった。


 もちろん、ジョンがヘザーに向ける恋心に苛立っていた事実も、睡魔を遠ざける大きな要因だった。

 なにせ主都でヘザーに惚れた男衆は皆、

「でも秘書ちゃんに手を出すと、探偵さんが怖いし」

と彼の無言の威嚇いかくんでくれていたのだ。

 そのため露骨に彼女を口説く人間と、実は初遭遇だったりする。


 このように恐怖と嫉妬という、なんとも情けない理由で一晩懊悩おうのうし続けた彼に睡魔が訪れたのは、空が白んでくる頃だった。

 つまりは現在、盛大に寝不足である。


「おお。不幸っぽいツラが、ますます暗くなってやがる」

 目の下に思い切りクマをこしらえたクライヴを見て、開口一番ヘザーが言ったのがこれだった。

 寝不足+昨夜の酒の残りによって、悲惨な面構えになっている自覚はあるので、クライヴも内心ムッとしたが何も言えない。


 一方のヘザーは熟睡だったらしく、いつも通り元気はつらつで肌艶もいい。

 白地に青い格子模様のドレスもよく似合っており、爽やかの権化のような出で立ちである。


 クライヴは眩しいものでも見るように、パジャマ姿のまま目を細める。実際、スイートルームの居間に差し込む朝日が、目に刺さって痛いのだ。

 早急に緞帳どんちょうが――いや、窓を覆い隠す板が欲しかった。


 ヘザーはしげしげと視線を上下させ、うらぶれた彼をしばし観察する。

「そういやアンタの寝巻きって、ひっさびさに見たかも。アニキの屋敷以来じゃね?」

 兄の屋敷――おそらく浴室で彼女の全裸を拝んでしまった、あの時のことであろう。古傷を無自覚に抉られ、クライヴの表情がますます不景気になる。


 なお普段はヘザーが朝食の準備をするべく、クライヴ宅に突撃して来るよりも早く起き、身支度を整えていた。紳士としての、見栄による行動である。


 が、今は頭も身体も重く、ついでに酒の残滓ざんしによって吐き気も酷く、見栄にまで全く手が回らない。

 ベッドルームから出て来られただけでも評価して欲しい、というのが正直な願望である。


 とはいえそれは、彼のごく個人的な要求である。

 世間一般的には、こんなみっともない格好を想い人に晒すのは恥ずべき行為であることぐらい、重々承知している。

「……見苦しいものを見せて、すまない」

 うめくように謝れば、ヘザーはふわりと無邪気に笑った。どうしよう、物凄く可愛い。


「いや、ちょっとだけ『やっぱコイツ、暖かくなってきたら全裸で寝るのかな?』って気になってたから、むしろスッキリした」

 前言撤回。やはり性格が悪ガキ過ぎる。


「『やっぱ』とはなんだ! 俺に露出の趣味はないと言っているだろう!」

 いつかの勘違いを引っ張り出され、クライヴはついがなった。すでに古傷が二つ、解放骨折状態である。

 今も実家の使用人の間では、伯爵の弟君=脱ぎたがり説が根強く残っているらしい。

 兄の結婚式でそれを教えられ、しばらくは帰省しないでいよう、と強く心に誓ったのが先月のことだ。


 が、声を張ったことで頭痛が酷くなり、つい側頭部を押さえてうつむく。背中も丸まった。

 頑丈さが取り柄な彼の弱りように、ヘザーもたまらず美貌を曇らせた。控えめに、彼の腕に手を添わせる。


「おいっ、大丈夫かよ? なんか死にそうだけど」

「……少し頭が痛むだけだ」

「少しって感じじゃねぇけど……今日は調査、休みにするか?」

 平素であれば、大層ありがたい提案であろう。しかし

「休めばその分、滞在期間が長引くだろう。早く調査を終えて、帰宅するために……頑張る」

歯を食いしばり、悲壮感たっぷりに宣言した。


「うわ、めちゃくちゃ後ろ向きにやる気出してやがる。アンタ、器用だな」

「……本当に器用なら、もっと面白可笑おかしく生きている」

「あー。それもそうか」

 あっさり認めたヘザーであったが、不意に腕を持ち上げた。ついでに背伸びもして、うつむいたままのクライヴの頭に手を置く。

 そのまま犬でも愛でるように、彼の寝乱れたままの、赤みがかった金髪をワシワシ撫でた。


「まあ、あれだ。無理はすんなよ。健康第一だからな」

「あ、ああ……」

 気安い彼女の口調から、実際犬を褒めるのと大差ない撫で回しだったようだが。

 それでも間近で自分を見つめるちょっと偉そうな笑みや、案外優しい手つきに、束の間重苦しさが吹き飛んだ。

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