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56:被害者だよ、全員集合

 ジョンが勢い余ってメイドを転倒させ、重すぎる制裁を受けてから十五分後。

 肥溜め被害者その二であるダイアン嬢も、村長宅に到着した。揃って応接室のソファに座る。


 向かい合う二脚の布張りソファに、村長・ジョン・ダイアンと、スタンリー・クライヴ・ヘザーに分かれて座り、お互いに簡潔な自己紹介も行なった。

 クライヴもなかなかの恵体であるが、スタンリーは彼以上の規格外サイズである。そのためヘザー側は、ミッチミチの過積載状態であった。


 よれた出で立ちのジョンと正反対に、学校教師をしているダイアンは隙のないチャコールグレーのワンピース姿だ。鮮やかな赤い髪も、後ろで一つに束ねている。


 利発そうな顔立ちを曇らせ、彼女は隣に座るジョンを見た。

「ジョン、お酒臭いし頬も腫れているけれど……まさか、酔って暴れたの?」

「う、うるさいな。お前に関係ないだろ!」

 思春期のバカ息子のような反応で、ジョンはそっぽを向く。


 もっとも暴れたのはむしろ、素面しらふのヘザーの方である。ために向かいのソファに座るヘザーも、居心地悪そうに視線を斜め下へ落とした。

 彼女の隣に座るクライヴと、彼の反対側にいるスタンリーは、ジョンのパンパンに腫れた頬を努めて見ないようにしていた。さすがにこれはやり過ぎだ、と二人の困惑気味の目が物語っている。


 が、ぶん殴られた当事者であるジョンはむしろ、先ほどからチラチラと意味ありげにヘザーへ視線を寄越していた。

 隣に座る村長は、三人へ申し訳なさそうに背中を丸める。

「お恥ずかしいところをお見せして、申し訳ありませんでした……こいつは近頃、呑むかふて寝をするかの二択という有り様でして……」


 ジョンの婚約者であるダイアンも、ついと顔を伏せる。

「村の方々から疑われてるとはいえ、こんな子どもみたいなね方をするなんて……どこで何を間違えたら、こうなっちゃうのかしら」

 嘆き方が完全に、母親のそれである。


「知った口利くなよ! お前に俺様の何が分かる!」

 ジョンの反論も、反抗期の息子っぽさが満点だ。

「ええ、分からないわ。私は普段から自分を律していますので、冤罪とは無縁だもの」

 ここでダイアンの鮮やかな緑の瞳が、きゅっと細められた。

 先公に散々目の敵にされて来た、ヘザーには分かる。これがお説教開始の合図だと。


「でもね、ジョン。無実の罪で疑われることは不幸だと思うけれど、その因果自体は自業自得でなくて?」

「はぁっ?」

 ジョンが目をむいて、大げさにのけぞった。

 対するダイアンは淡々とした態度と口調を崩さず、お説教を続ける。

「あなたが日頃から周囲への気配りを忘れず、正しく生きていれば、ここまで疑いの目を向けられることもなかったのでは?」

「なんだと! 俺が悪いって言うのかよ!」

 気色けしきばんだジョンが、思わず立ち上がる。


「冤罪なのでしょう? なら今回の事件は、あなたの責任ではないわ。でも、冤罪をかけられる迂闊うかつさは、あなたの責任よね」

 ダイアンは座ったまま、呆れた視線を彼へ注いでいた。

 その間、村長は始終オロオロしっぱなしであり、スタンリーは軽く肩をすくめてお茶をすすっている。


「ひょっとしてお二人サン、ラブラブでは、ない……?」

 どうしても訊きたくて、細いあごに指を添えたヘザーが、口論する婚約者同士を見比べた。

 途端、ののしり合う――ジョンが圧倒的に不利であったが――二人がぴたりと止まった。

 ダイアンは気まずそうに頬を染めてうなだれ、ジョンはやはり思春期男子のごとくふてくされている。


「すみません、お客様の前だと言うのに……ですが、はい、不仲ではあります」

「なんで婚約してんだ?」

 ヘザーは藤色の瞳をまたたいた。お貴族様ならば政略結婚もあるだろうが。

 二人は名家とはいえど、田舎村の小金持ち同士である。

「ヘザー、不躾ぶしつけ過ぎるだろう」

 苦い顔でクライヴがたしなめるも、いえ、と呟いたダイアンが首を振る。

「疑問に持たれて当然です。お察しの通り、彼とは幼なじみですが、恋愛関係ではありません」


 ここでほにょほにょと、村長も参戦。

「私がダイアン嬢に頼み込んで、ジョンの婚約者になっていただいたんです。ご覧の通り、とにかく頼りない息子で……ダイアン嬢のような聡明なお嬢さんでないと、とてもこれの手綱たづなを握れないと思いまして。私のしつけが甘かったばかりに、面目ありません……」

 バカ息子というより、駄犬の話でもしているようである。


 背中の丸まった村長の横顔を、ダイアンがいたわるように見つめた。

「おじ様は早くにおば様を亡くされて、ずっとお一人でお忙しかったんですもの。仕方がないですわ。それにこの有様は、ジョンの生まれ持った怠け癖が一番の原因ですもの」

「うっ、うるさい! うるさい!」

 婚約者カップルとその父親というよりも、熟年夫婦と反抗期の息子感のある三人である。


 ともあれ、そもそも二人が婚約に乗り気ではなかったという、予想外の事実は判明した。

 てっきり愛し合う二人を、魔女の霊が引き裂かんという盛り上がる展開かと思いきや。

 本人たちも婚約解消大賛成派であったとは……魔女が手を汚す必要は、あったのだろうか?


 父親によく似た巻き毛の金髪をかき回して、ジョンが唇をすぼめる。

「俺様とダイアンは、昔から相性悪いんだよ。マジメちゃんと悪い男だからさ」

 そう言い訳しつつ、何故かジョンはヘザーを見つめた。

 自分で「悪い男」と言う男はたいてい雑魚、と経験則上知っているヘザーは、何とも気のない声音で

「そっすか」

それだけ返した。


 しかし自称悪い男はめげなかった。斜め向かいに座るヘザーへと、ずいっと身を乗り出す。

「俺様にはお前みたいな、跳ねっ返りの方が合うと思わない?」

「思わねぇけど」

 鼻で笑うヘザーの声は、びっくりするぐらい愛想のないものであった。そもそも男に媚びを売るより、女性に優しくしたい主義なのだ。


 とはいえ、不仲であろうとも婚約者の目の前で他の女性を口説く様は、たしかに悪い男と言えよう。悪いのはもっぱら頭だが。


「――当事者である貴方がたが、婚約に消極的である事は理解いたしました」

 素っ気なくあしらわれても、懲りずにヘザーへ熱視線を送るジョンを殊更ことさらにらみつつ、クライヴが軌道修正を図る。

「ひっ……」

 殺意マシマシの眼力にビクつくドラ息子をじぃっと見据えて、彼は続けた。

「つきましては、お二方の婚約に対する周囲の意見や、事件当日の出来事もお教え下さい」


「周囲の意見、ですか?」

 小刻みに震えるジョンヘ訝しげな顔を一瞬向けて、ダイアンが首をかしげる。

「ええ。魔女が婚約に反対するへ至った原因を、我々は調べています。ついてはその一環として、村の方々のご様子も教えてください」

「なるほど……そうですね。婚約については、村民のほぼ全員が否定的だと思います。お二人は、ジョンの逮捕の件をご存知でして?」


 ヘザーとクライヴが、ちらりとスタンリーを伺う。彼が小さくうなずき返したのを確かめ、クライヴは答えた。

「巻き添えのような形で逮捕された、というあらましなら」

「そうでしたか。事実は仰る通り、巻き添えでの逮捕でした。喧嘩は弱いのに格好つけだから、酔っ払いのいさかいを仲裁しようとして、それで……」


「ダイアンさん、詳しいんだな」

 ジョンに対するものとは打って変わって優しいヘザーの声に、彼女も小さくはにかんだ。

「その頃私も教師になるべく、ロンドンで勉強をしていましたの。ですので彼の身元引受人にもなりまして」

「そっか。アンタ、めちゃめちゃ面倒見がいいんだな」

「いえ、そんな……」

「マジで偉いよ。ダイアンさん、美人でしかも優しいんだな」

 屈託ない天使の微笑みに、ダイアン――とついでに村長・ジョン親子の頬が染まった。


 ヘザーの人たらし効果も手伝い、どこかこちらを警戒していたダイアンの態度も和らぐ。

 ジョンが逮捕され、彼女が引き取った後の経緯も詳しく聞けた。


 逮捕騒動がよほどこたえたのか、ジョンはアーヴィング村に帰ると言い出した。

 まだ勉強の残っていたダイアンは、ロンドンに留まって彼を見送った。次いで事の次第を手紙にしたため、村長に郵送した。

 ジョンに持たせなかったのは、絶対に途中で失くすと思ったかららしい。彼は小学生男児か。


 こうして逮捕の一件は、当人とダイアン、そして手紙を受け取った村長だけが知る黒歴史で終わるはずだった。

「でも私が戻って来る頃には、村中で噂になっていました。それも尾ひれが付いて、彼が人を殺めたことになっていて……」

 ダイアンがうなだれる。


 品行方正な名家の娘と、殺人犯の婚約――たしかに村中から反対待ったなしの組み合わせであろう。

 さすがのヘザーたちも、ジョンに同情した。

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