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55:放蕩息子に(物理的)制裁

 血を吐く思いでヘザーに同室を願い出て、その後なんだかんだで地獄の業火の如く怒ったクライヴだったが。

 幸いにしてスイートルームは広く、ベッドルームも二部屋用意されていた。居間と隣り合った手前の部屋と、そこから廊下を挟んだ奥にあるもう一部屋だ。

 なおシャワーとトイレは、廊下の途中に設けられている。


(スタンリーのオッサン、このコト知っててたぶん黙ってやがったな)

 自室として割り当てられた、奥側のベッドルームに荷物を置きつつそんな予感を抱く。

 花模様の壁紙が貼られた部屋そのものは大変可愛らしいのだが、なんとなく釈然としない。


 手前の部屋を選んだクライヴもしょっぱい顔だったので、おちょくられた事実に気付いているのだろう。強く生きてくれ。


 揃ってスタンリーへ恨みがましい目を向けつつ、彼の案内で村長宅へと向かった。

 ホテルからギリギリ徒歩圏内にある、これまた花壇が見事な年代物のお屋敷だ。

「タッセル家は、それこそ魔女狩りの時代から村の名士でな。だから家も、それなりに年季が入ってるらしいぞ」

 スタンリーの解説に、ヘザーは口笛を一つ吹いた。

「村のお偉いサンがわざわざ、魔女もとっ捕まえやがったんだ。テメェの手を汚す度胸だけはスゲェよ」

 やったことは鬼畜の所業であるが、その心意気は立派であろう。


 スタンリーがドアノッカーを豪快に打ち鳴らすと、数十秒ほど置いて金の巻き毛を揺らす中年男性が顔をのぞかせた。細身の、どこか頼りなさそうな男性だ。

 男性はしょぼくれた表情だったが、スタンリーと目が合うと瞳を輝かせてドアを全開にした。

「スタンリー先生!」

「よう村長。伯爵様お墨付きの、探偵様を連れて来たぞ」

 スタンリーがニヒルに笑って、片手を上げる。どう見ても堅気カタギではない。

「ああっ、お待ちしていました!」

 むせび泣きそうな勢いで、村長はクライヴたちも歓迎した。


 ヘザーは初めてお目にかかる村長の顔 (なにせ例の写真では、足しか分からなかったのだ)を眺め、低姿勢っぷりにいささか驚く。

 そして、この低姿勢と例の写真を組み合わせた結果、村民からいじられキャラ扱いを受けているのだろうと密かに察した。

 村長もどうか、強く生きてくれ。


 四人で連れ立って、廊下を歩く。スタンリーと村長が並び、その後ろにヘザーとクライヴが続いた。

 伯爵邸と比べれば大変慎ましやかであるものの、旧家らしく古めかしい鎧やタペストリーが飾られている。この家自体が博物館のようだ。


 勝手知ったる様子で進軍するスタンリーが、隣の村長を見下ろした。

「村長、ジョンとダイアンは?」

 ダイアンという女性が、もう一人の肥溜め被害者であり、此度こたびの婚約の当事者であるらしい。


 背中を丸めた村長が、ほにょほにょと答える。

「ダイアン嬢は、学校が終わったらすぐこちらに来るそうだよ。今日はテストの採点があって、忙しいみたい」

 スタンリーが肩をすくめた。

「そうか、教師も大変だな」

「ジョンは……さっき起きたところだけど……」


 思わずクライヴが、ジャケットの袖をめくって腕時計を見た。隣のヘザーものぞき込む。

 時刻は午後五時だ。日が傾きつつあるため、時計が狂っているということもなさそうだ。とんだ昼夜逆転生活である。


 思った以上に自堕落かもしれない、という疑惑が二人の脳裏によぎった時――

「坊っちゃん、もうお酒はほどほどに……」

「うるさい、黙れイザベル!」

 困惑しきった高齢女性の声と、それをさえぎるようにがなる高めの男性の声が、廊下の反対側から響いて来た。


 その剣呑さに一同の視線が前に向く。

 すると廊下の曲がり角から酒瓶を持った、線の細い金髪の青年と、彼に縋りつくメイド姿の女性が現れた。

 坊っちゃんと呼ばれていたということは、彼がジョンであろうか。

 素面しらふであればそれなりに色男だろうが、赤ら顔にしわくちゃの服のため、諸々が台無しだ。


 二人はまだヘザーたちに気付いていないらしく、イザベルと呼ばれた老メイドが涙目でジョンを引き戻そうとする。

「まもなくお客様もいらっしゃるのですから、坊っちゃん、せめて身なりだけでも……」

「俺様は探偵なんて、呼べと行ってないんだよ!」

 そう叫んでジョンが、イザベルの引っ張る腕を乱暴に振りほどいた。その勢いに負け、彼女がバランスを崩して倒れ込む。


 しまった、とジョンが顔を強張らせるのと、

「ジョン! イザベルさんになんてことを!」

と村長が悲鳴を上げるのと、ヘザーとクライヴが駆け出すのはほぼ同時だった。


 クライヴは倒れたイザベルのそばにしゃがみ込み、ヘザーはジョンが言い訳するよりも早く彼の眼前に躍り出る。

 腰から捻りつつ振りかぶった右腕で、そのままジョンの左頬を殴り抜いた。

 ビンタでなく、もちろん握りこぶしでの全力右ストレートだ。


 イザベルの比でないスピードで、ジョンが吹き飛んで壁に思い切り衝突する。その勢いに、屋敷が一度揺れた。

 ぶつかった壁にへばり付きながら、ズルズルとへたり込む彼の前でヘザーは仁王立ち。

「おばあちゃんに何してやがんだよ! お年寄りを大事にできねぇヤツは、死ね!」

 そして一喝。おばあちゃんっ子だった高田の、魂の叫びである。握ったままの拳が雄々しい。


「ヘザー、初手の暴力ぐらいは手加減してやれ」

 クライヴがジト目で、軽く彼女をたしなめる。ヘザーの為人ひととなりは十分把握しているので、暴力そのものを止める気はないらしい。随分と毒されてしまったものだ。


 一方、彼に助け起こされたイザベルは、陰気とはいえ突然の男前紳士の登場に、頬をほんのり染めていた。表情と仕草の乙女度も上がっている。

 大きな怪我もなさそうで、何よりである。


 ただ、顔を赤らめているのはイザベルだけでなく。

 ヘザーにぶん殴られた右頬を押さえ、今もへたり込んだままのジョンもぽんやり……と彼女を見上げていた。

 先程まで酒と不摂生で淀んでいた青い瞳も、輝きと潤いを取り戻している。


「……天使だ……」

 自分を見つめてぽつり、と彼が熱い吐息混じりに呟いた言葉で、ヘザーが口元を引くつかせて後ずさった。

「ど、どうしよう、クライヴ。コイツ頭打ってるかも!」

「いや、おそらく正常だと思うぞ」

 ヘザーと初めて対面した男性がよく見せる反応であるため、クライヴの声と表情は至って暗い。

 初恋泥棒の面目躍如めんもくやくじょである。

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