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52:陰キャ探偵にとってのいいコト

 スタンリーの依頼から数日後、クライヴとヘザーはアーヴィング村へと車で向かっていた。

 丁度スタンリーも休暇で滞在するとのことで、それに合わせての調査である。


 ヘザーのあざと過ぎるおねだりに屈したクライヴは、やはり内心では忸怩じくじたる思いを抱えていた。重々分かっているのだ、自分がチョロいことなど。

 ただあんな至近距離で、それも好きな女性に可愛く上目でお願いされて、いなやと言えるわけがないとも開き直っており。


 またこれでも、アメリカまで渡ってピンカートン探偵社で修行を積んだ身だ。それなりに己の仕事への矜持きょうじもある。

 そんなわけで今も変わらず恐怖心はあるものの、ある程度は諦めていた。もちろん、「ある程度」でしかないが。


「あ、ビルも連れて来てやりゃよかったな」

 助手席のヘザーが、地図を広げながらそんなことを言いだした。クライヴがプレゼントした、淡いラベンダー色のドレスをまとった姿は可憐そのものなのだが。

 この子は正気だろうか、とつい疑惑の目でチラ見してしまう。


「何故、彼を連れて行かねばならないんだ」

 低い不機嫌丸出しの声にも、ヘザーは一切怯む様子もなくあっけらかんと笑う。

「たまには外の空気吸った方が、楽しいじゃん。アイツいっつも、事務所の壁にいるしさ」

「幽霊で、しかも絵に憑依している輩が、呼吸をするのか?」

「あー、それもそうか」


 ここで会話が途切れ、しばし車内に沈黙が漂う。なんとはなしに、居心地の悪い空気だ。

 先にを上げたのは、ヘザーの方だった。


「あのさ、クライヴ……オレがゴネたから、やっぱ怒ってる?」

「え?」

 ちらりと隣を見ると、眉尻を下げた、珍しくもしょぼくれた顔があった。肩も縮こまっていた。

 いつになく情けない風情に、クライヴの中にわだかまっていた不平不満も緩やかに溶けだす。彼の眉尻も、わずかに下がった。


「怒ってはいない。まあ、相手が幽霊かもしれないので、不安はあるが――一度依頼を引き受けた以上、全力は尽くすつもりだ」

 ほっと、縮こまっていたヘザーの肩から力が抜ける。

「そっか……魔女の相手なら、オレも手伝うしさ」

 肌身離さず持っているロザリオをかざし、ニッと歯を見せて笑った。


「調査半分、旅行半分で楽しもうぜ。なんかいいコトあるかもしれねぇし」

 なんとも呑気のんきな提案だが、彼女らしいと言えばらしい発想だ。

「なるほど、良い事か。例えば?」

「んー、そうだな……あれだよ、ほら。なんか珍しい生き物見つけるとか。雪男とかミイラ男とか」

「ミイラは生きていないし、どちらとの遭遇も凶事きょうじだ」


 むっすり陰気顔で一刀両断にすると、ヘザーも口を尖らせる。

「んだよ、ワガママだな」

「これは我が儘ではない。君が暴論過ぎるだけだ」

「けっ。じゃあ、えっと……あ、ウマい飯があるとか。腐ってないヤツな、もちろん」

「断っておくが、俺は腐った物を常食しては――」


 信号に捕まったタイミングでぐるりと隣へ体を向けると、ヘザーが小さな手で口元を隠し、あくびをごまかしていた。

「ヘザー、寝不足か?」

 あくびを見られたからか、彼女がぎくり、とぎこちなく身を強張らせる。

 次いでほんのり頬を染め、恨みがましい目を向けた。


「……運転中にこっち見んなよ」

「赤信号だから問題ないだろう。それで、寝不足なのか?」

 恋愛感情抜きにして、秘書の体調が万全でないなら、配慮すべきだ。

 追及の手を緩めないクライヴに、ヘザーはしばし視線をさ迷わせたものの、やがて素直にうなずいた。

「あー……そう、かな。うん。昨日楽しみで、ちゃんと寝れなかったって、いうか」

 死人の出ている村への調査が楽しみで寝不足――ある意味では傑物けつぶつであろう。


 不眠でも患っているのか、と要らぬ心配をしたことにクライヴの肩が落ちる。

「君の感性は、一体どうなっているんだ」

「オレの感性はゴリッゴリの、夢見るピュア乙女ですが?」

「妄言はいいから。向こうに着くまで、寝ていなさい」

「いやいや、アンタに運転させてオレだけ寝るとかあり得ねぇよ。地図も見るしさ」

 膝に載せている地図を掲げる彼女の律義さに、つい小さく笑った。


「地図なら俺も、先ほど目を通した。道も覚えているから、心配ない」

「うわー、さすが。やっぱお利口さんは違う、ねぇ」

 と言い終わるが早いか。

 大きな瞳を閉じてシートに全体重を預け、ヘザーの呼吸が緩やかなものにたちまち変わった。

「早っ」

 秒の入眠に、車を再発進させつつクライヴも目を剥いた。

 いつ何時なんどきでも眠れる豪胆さに舌を巻きつつ、こちらを向いて眠るヘザーの寝顔を、チラチラと観察する。


 相変わらず、精巧な芸術品の如き美貌だ。

 雪のように白い肌と、薔薇の花弁のように赤い唇の対比が、あまりにも蠱惑こわく的すぎる。

 おまけにサラサラとした黒髪を有しているものだから、絵本の中の白雪姫が現実世界に飛び出て来たようだ。


 再度信号に捕まった際、つい出来心が生じてしまい。

 彼女の柔らかな頬を一つ撫でると、くすぐったかったのか、むにゃむにゃと気の抜けた笑みが浮かんだ。

 可愛さの臨界点越えである。


「困った。早くも良い事に遭遇してしまった」

 もう一度頬を撫でつつ、ハンドルにあごを置いてうめく。

 これでは残りの全工程が、苦行一色になるのでは、という危惧きぐが脳裏をかすめた。

「……いや、幸先良しと捉えよう」

 キリリと前をにらみ、そう宣言。

 限界突破の愛らしい寝顔に鼓舞され、珍しくも前向きになるクライヴであった。

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