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51:魔女の犯行声明

 悲し過ぎる現場写真から視線を持ち上げ、クライヴは腕を組んだ。

「しかし。これだけでは、魔女の霊による所業しょぎょうと判断出来かねるのでは?」

 彼のもっともな指摘に、ヘザーも小さくうなった。

「ほんとだ。別のオバケの仕業かもしれねぇじゃん」


 二人の視線を受け、スタンリーがソファに背を預ける。

「この事件と同時期に、魔女の署名入りの警告文が見つかっていてな。それも教会の壁に」

「うわ、悪趣味だなぁ」

 なんとも罰当たりな場所選びである。


 次いでスタンリーが取り出した写真には、その教会の壁が写っていた。

 シミのようなにじんだ文字で書かれていたのは、不可思議な内容だった。


 ――タッセル家・ブライト家の婚約を破棄しろ。 イーディス


「このイーディスってのが」

 ヘザーが写真の署名部分を、指で示した。

「ああ、村に伝わる魔女の名だ」

「警告を受けている、このタッセル家とブライト家というのは?」

 続くクライヴの質問に、先ほどの羞恥写真を指し示しつつスタンリーが答える。


「どっちも村の名家で、タッセル家の主はこちらの村長だ。そしてブライト家のご息女も、今回の肥溜め被害に遭っている」

「全力で婚約に反対してんじゃん、魔女サン。そいつら、何かやらかしたんすか?」

「彼らが、というよりも彼らの先祖がな。魔女の命を奪った張本人なわけよ」

「――魔女狩り、でしょうか」

 クライヴの陰鬱な声に、スタンリーも時化しけた表情で一つ首肯しゅこう


 アーヴィング村には、こんな魔女伝説が残っている。

 魔女狩りが盛んだった時代に、村はずれに暮らす母娘がいた。父となるべき男性は、娘が生まれてすぐに病死している。

 それでも村人に支えられつつ、母娘は慎ましくも穏やかに暮らしていたのだが。


 母イーディスに、ある日魔女の疑いがかけられて捕らえられ、残忍な審問の末に処刑された。

 本来ならば歴史の流れにかき消されてしまう、数多あまたの不幸な出来事の一つであっただろうが。


 だがイーディスは、本物の魔女だったのだ。娘を人質に取られていた彼女は処刑こそ粛々と受け入れたものの、死の間際に呪いを振りまいた。

 対象は、自身を捕らえた連中であり、今回の事件の被害者たちの先祖であるという。


「魔女イーディスは、特に色恋にまつわる魔術が得意だったらしくてな。自分を捕まえて処刑した連中に、二十四時間発情しっぱなしのうえ、家畜相手でないと発散出来ないという、恐ろしい呪いをかけたんだそうだ」

 陰湿かつ手の込み過ぎた呪いに、ヘザーたちは頬を引くつかせて、己の下腹部を無意識に腕で庇う。ヘザーはもう付いていないのに。

「いやいや、こえぇよ! ひと思いにってくれよ!」

「肉体よりも先に、社会的に殺される呪いだな」


 もちろんご先祖たちも、社会的な死を悟った。何より人に欲情できなければ、お家取り潰しも大いにあり得る。

 そこで彼らは魔女の墓を豪勢に立て、また彼女の娘にも人格・経済面共に優良な里親を引き合わせた。

 そして彼女たちの生家も守っていく、と墓前に約束したことで、無事に呪いは沈静化したという。


「陰険な呪いをぶっかける割に、物わかりのいい魔女サンだな」

 感心したように、ヘザーが口笛を一つ。

 クライヴは紅茶で喉を潤し、スタンリーへ疑問を投げかける。

「ここまでの話では、魔女と名家の因縁は既に解消しているようだが」

「ああ、実際今日こんにちまで、魔女の起こした事件に関する記録は残っていなかったな」

「それなのに何故、今更こんな事件が――まさか、魔女の生家の取り壊しでも行って?」

「いや、資料館として今もしっかり管理されてる」


 取り壊すどころか、魔女イーディスだけでなくイギリス中の魔女に関する資料も集められ、好事家こうずかにとって貴重な知恵の塔となっているらしい。

 イギリス人は怪談の類が好きな人間が多いため、そんな好事家人口も馬鹿にできないという。

 無論イーディスの遺品も、丁寧に保管されているのだそうだ。


「ならば、今更彼らを呪う道理がないのでは」

「ああ。小生もそう思うのだが……実は事件は、もう一つあってな」

「今度は便所に誰かぶっ刺さったのか?」

 下ネタ好きの魔女だなぁ、とヘザーは半ば呆れ顔だ。


 だがスタンリーは、予想外にも深刻な表情で首を振った。

「いや、死人も出ているんだ。それも、くだんの資料館の館長が亡くなっている」

 ヘザーとクライヴが、無意識に呼吸を止めた。


 館長であるウィリアム・ハーデンブルック氏も、肥溜め事件と同様に高所からの転落が死因だった。ただし今回は肥溜めの真上でなく、十メートルほどの高さから落とされたようだった。

 遺体は資料館の裏庭で発見され、その近くにはイーディスが生前愛用していたネックレスがのこされていたという。


 肥溜め事件だけであれば、

「気まぐれな魔女の霊が、何か気まぐれに怒ってるのかもしれない」

とのんきに構えられたのだろうが。

 死者まで出たとあれば、村人たちが怯えるのも必然であり。


 そしてその怯えから来る敵意は当然、魔女が名指しで婚約に反対する当事者へと向かった。

「しかもこの当事者の一人――村長の息子がまた、いわゆる放蕩ほうとう息子でな。村人からは『あいつが戻って来たから、魔女様はお怒りだ』と非難轟々ひなんごうごうというわけよ」


 そう言って天を仰ぐスタンリーの補足を、今まで焼き菓子に夢中だったティナが行った。

「ご子息様は少し前までロンドンにいらっしゃったんですが、そちらで色々やらかしてしまい、出戻って来られたそうなんですぅ」

「やらかし?」

 ヘザーが小首をかしげる。一瞬ためらった後、ティナは続けた。

「はい……わたしも詳しくは存じ上げないのですが、どうも逮捕されちゃったらしくて」

「おっと。結構ヤンチャなんだな」


 ヘザーもとい高田も、喧嘩で幾度となく警察のご厄介にはなっているので。その放蕩息子をどうこう言うつもりなど毛頭ないが。

「娯楽に飢えている田舎村では、たしかに悪目立ちするかもしれないな」

 クライヴが静かに告げた推測に、スタンリーもかっくりと同意。

「そうなんだ。ジョン――その放蕩息子も、ちょいと気は短いが、決して悪い奴じゃない。逮捕の一件も、殆ど貰い事故みたいなもんだったらしい。だから……不憫でな」


 ジョンへの非難は更に苛烈かれつになり、魔女を裏で操る黒幕説まで出ているという。

 そんな彼に同情したスタンリーが伯父経由で領主のダニエルに相談したところ、ここを紹介された――というのが来所のいきさつだという。

「聡明な領主様ご自慢の、有能な弟君に是非とも、この不可解な連続落下事件を解いて欲しいというわけよ」


「なるほど。ちなみに警察は、この事件にどのような見解を?」

「……単なる事故、扱いだな。資料館の二階の窓の、鍵が壊れていたらしい。そこから誤って落ちたんだろうと言われている。既に調査も打ち切られている」

 沈痛な答えに、クライヴはかすかに震える膝をぎゅっと掴む。

「ならば我々素人に、出る幕などなかろうかと」

 冷淡な返答に、スタンリーの強面が青ざめた。

「いや、だが――」

「霊験あらたかな興味深い話ではあったが、どうぞお引き取り願おう」

 扉を手で示し、早口でスタンリーを追い払おうとするクライヴを、ヘザーがそっとたしなめる。


「なぁ、クライヴ。ちょっと調べるぐらい、やってやろうぜ?」

「警察が事故と判断した事象じしょうを、一般人である俺たちがどうこう出来る筈がないだろう」

「どう考えても、ワケ分かんねぇからさじ投げただけじゃん。だってほら、警察は幽霊とか見えねぇだろ?」

 身を乗り出してクライヴの顔をのぞきこみつつ、さり気なく膝に手も添える。必殺の膝なでなで+上目遣いのコンボだ。


「ぐっ……」

 クライヴは途端に真っ赤になり、喉の奥から苦悶の声をもらして目をそらそうとする。

 が、更に身を乗り出したヘザーが、それを猛追。こういう時のヘザーは、一切容赦がない。

「オレたちなら何か分かるかもしれねぇじゃん、な? ちょっとぐらい調べてやろうよ?」

 どこか甘えるような声音で囁かれ、藤の花のような潤んだ瞳で見つめられ――クライヴは歯を食いしばったものの、結局陥落した。


「……危険を感じたら、その時点で、調査は打ち切るからな」

 絞り出すようなその返答に、ヘザーの顔がパッと華やぐ。

「おお、いいぜ! だよな、スタンリーさん?」

 最後はスタンリーに水を向けた。彼もホッとしたように破顔して、大きくうなずいた。

「もちろんだ。少しでも何か分かれば儲けもの、ぐらいに小生も思っている」

 二人の満点笑顔を、苦み走った陰鬱いんうつ顔でちろりと見て、クライヴはうなだれる。


 そんな彼らのやり取りを、傍観者のていで眺めていたティナは

「クライヴ様……チョロ過ぎませんか?」

不安そうに、そう呟いた。

 彼女の素直な感想に、ぐぅっ……とクライヴの喉が再びうなった。

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