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48:Uターン出家は可能ですか

 昼食のサンドイッチを二人で平らげ、紅茶のおかわりにミルクを注いでいると。

 ジジーッとこもった音で、呼び鈴が鳴った。

 ついクライヴを仰ぎ見るが、彼も来客の覚えはないらしい。どこか怪訝けげんそうだ。

「なんだよ、飛び込みの客か?」

 首をひねりつつ、ヘザーがソファから立ち上がる。


 以前は来客対応もクライヴが担当していたが、

「こういう仕事こそ、秘書の仕事じゃねぇの?」

「しかし女性だけを立たせては――」

「出会い頭にアンタの暗い顔は、気が重いって」

というヘザーの暴言によって、彼女が初動対応を行うようになった。


 いつ世界遺産に指定されてもおかしくない美貌の秘書 (しかし事務作業より肉体労働が得意だ)のおかげもあってか、徐々に依頼人は増えつつある。

 とはいえ、こんなお昼時には珍しい。


「はいはい、お待たせし――なんだよ、オッチャンか」

 重厚な扉を開けると、立っていたのは顔見知りの郵便局員だった。

 彼も気安い態度で、縦長の大きな荷物を抱え直しながら笑う。

「なんだはご挨拶だな」

「だって客だと思ったし」

「ぬか喜びさせて悪かったね。代わりにこれ、君んとこの所長さん宛だ」

「おう、ありがと」


 郵便局員から縦に大きな荷物を受け取り、彼を見送ってから扉を閉める。

 見た目に違わず重量感のある箱だ。花柄の包装紙が、ぴっしりと外側を覆い隠している。


 クライヴも一応はお金持ちの子なので、金のかかる芸術品の類だろうか、などと考えつつ。

 彼に、両手で抱え持った荷物を差し出せば

「それは君の物だ」

と、ヘザーの代わりにティーセットや皿の後片付けをしていたクライヴに、あっさり突き返された。


 全く身に覚えがないため、ヘザーの藤色の瞳はキョトンと丸くなる。

「オレの? どういうこと? 開けていい?」

「ああ」

 宛先人から許可を得たので、空っぽのローテーブルに荷物を置き、自身もソファに座りなおす。そして包みを、ガサツかつ豪快に開けた。


 クリスマスの朝の子どものような、愛らしい包装紙への配慮ゼロっぷりを、クライヴは標準装備のジト目でじぃっと観察する。

「やはり君は、躊躇なく破り捨てるんだな」

「んだよ、悪ぃかよ」

「いや、予想通りだと思っただけだ」

「あぁ?」


 だが続く反論は、箱から出てきた品物によって霧散むさんした。

 荷物の中身は、女性物のドレスや小物類だった。

 レモン色や水色といった、淡い色合いのドレスはどれも薄手の布地で作られている。それらに合わせるように、レース素材のショールや手袋、あるいは日傘まで入っているのだ。


「その――春物の服だ」

 呆け面でドレスをつまみ上げるヘザーに、クライヴが強張った顔で告げる。緊張しているらしい。

 その言葉で、ヘザーは跳ねるように顔を持ち上げてクライヴを見上げる。


「春物? オレの?」

 分かりきった問いに、クライヴはげんなりと口角を下げる。

「俺が着たら狂気の沙汰だろう」

「それはまあ、うん。着たらちょっと……うわぁ」

 露骨に顔をしかめてソファの上で後ずさったヘザーへ、慌ててクライヴが距離を詰める。


「想像するな、距離を取ろうとするな! 俺は着るつもりなど、一切ない!」

「やだなぁ、冗談じゃねぇか」

「君の冗談は、度々性質たちが悪いぞ」

 けらけらと屈託なく笑われ、クライヴは首の後ろに手を当てつつため息。


「……最近暖かくなって来たので、新しい物が必要かと思い注文した。兄上も、冬服しか用意出来ていなかっただろう?」

「あ、うん」

 己の着ている、ベビーピンクのドレスをちろりと見る。色合いは爽やかだが、たしかに生地は少し分厚い。

 新陳代謝のいいヘザーとしては、たしかに最近暑さを感じがちであった。


「兄上がドレスを注文した店で頼んだから、サイズは合っているはずだ」

 生粋きっすいのお貴族様御用達のブティック……その意味するところに、ヘザーがたちまち青ざめる。

「あー……それって、アレじゃねぇの? めちゃくちゃ高ぇんじゃ……」

「今回は既製品のサイズを直しただけだ。この程度なら問題ない」


 ぎこちなく笑ったクライヴだったが、次いで伺うようにヘザーを見つめる。

「君の好きそうな、動きやすいデザインを選んだつもりなのだが……問題はない、だろうか?」

 心細そうな表情に、ヘザーの乙女心ががっしりと羽交い絞めにされた。頬も色づく。

「あっ、えぅ……」

 照れ隠しもあり、手元のドレスを不必要なまでに凝視した。


 さすがは高級店仕込みと評すべきか。ドレスはいずれも、細部にレースや刺繍やビーズの飾り付けが施された、大変手の込んだ代物だ。

 素人目にも「この程度」と受け流せる服ではないことぐらい、分かる。


 一方でドレスの全体に視野を広げれば、華美過ぎない、ほどほどに簡素なデザインで統一されていることに気付く。

 彼の兄――に取り憑いていた悪魔が用意した冬物ドレスは、どれもこれも豪華かつ動きづらいブツばかりだった。

 最低限度の装飾に留めてくれた春物は、ヘザーの希望 (つまり上下ジャージ、あるいは作業着である)通りではないにしても、ずっと希望に歩み寄ってくれていると言えよう。


 その配慮が嬉しく、ヘザーの表情もほころぶ。

「うん、ありがと。オレもこっちの方が好き」

「そうか。日頃の礼も兼ねて、今回は一人で選んだのだが……」

 言葉を切ったクライヴが、ヘザーの隣に腰を下ろす。

「その、夏服は……よければ、二人で見に行かないか?」


 これはひょっとしなくても。

 デート、のお誘いなのでは。


 察した途端、みるみるうちに全身が熱を帯びた。乙女スイッチの全力点灯である。

 両手で持ったままのドレスで顔を隠して

「……別に、いいけど」

ぶっきらぼうに応じつつ、ドレス越しにちろりと彼を盗み見れば。

 事務所の依頼人にも店子たなこにも、そしておそらくは兄にも見せないであろう、はにかんだ笑顔でこちらを見つめ返していた。

 しかも目が合っていると気付くと、深緑の瞳がますます嬉しそうに細められた。


(ふっざけんな! どんだけギャップ萌え狙って来やがんだよ!)

 その笑みを直視した瞬間、ときめきと庇護ひご欲で目が爆発するかと思ったヘザーは、とうとう背を丸めてうなだれる。


 そんなあからさまな照れ隠しをする彼女を、クライヴはしげしげと眺めていた。暗い顔が、なんとはなしに楽しそうでもある。

「ヘザー。耳と――首まで赤いようだが」

「見てんじゃねぇぞ、このどエロ野郎」

 頭上からの含み笑いが混じった声に、つい喧嘩腰で返してしまった。


 出家すべきなのは、クライヴでなく自分なのかもしれない――そんな危惧が、彼女の中に芽生えた。

 だがヘザーは、一度修道院をおさらばした身の上であり。

 出戻り出家が許されるのか、しばし真剣に悩むのであった。

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