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47:なおビルマとはミャンマーの旧国名である

 ここ最近、クライヴの様子がおかしい。

 現住所:霊安室と言わんばかりに雰囲気が暗い――のは元々なので一向に構わないのだが、全体的に余裕がなさそうなのだ。

 無頓着むとんちゃくを信条とするヘザーも、それぐらい気付いていた。


(やっぱビルがおっかねぇ、のかなぁ)

 幽霊ではあるが、人柄は温和で現状ほとんど無害。だからこそ、クライヴへの暴露ばくろ療法狙いもあって彼を引き取ったのである。


 が、しかし。

 事務所内の小さなキッチンでお茶の準備をしながら、こっそりと事務室をのぞき見れば。

 ソファに置きっぱなしのビルから何かを話しかけられ、肩どころか全身を跳ねさせているクライヴの背中が見えた。いくらなんでも、ビビり過ぎである。


 あんな有り様で、十五〜二十年後にあのマッチョ思考のナイスミドルが完成するのだろうか、としばし不安を覚える。

(十五年あれば、腹くくれんのかね……いや、待てよ。まさかオレが甘やかしてるせいで、ああなってんのか?)

 一階のカフェ店主である、ウェンディ女史から渡されたサンドイッチを皿に盛りつつ、ハッと気付いた。


 たしかにクライヴにとって己が、母であり父である謎の万能存在と化している自覚はある。今の自分はおそらく、限りなくドラえもんに近い。

 やれば家事も出来るのだが。クライヴは仕事中毒のおもむきがあり、仕事に熱中しだすと途端に私生活がおろそかになるのだ。生来が一点集中型の、不器用な性分なのだろう、きっと。


 一方でヘザーの内なる高田は、一人暮らしが長かったので家事も人並み以上に得意だ。

 また部下や後輩あるいは舎弟の面倒を見るのも、苦ではなかった。

 何より、無料でここに住まわせてもらっている恩義も、もちろん感じている。


 そのためクライヴの世話を甲斐甲斐しく焼いた結果、ドラえもんあるいはドラミちゃんと化している自覚はあったのだが。

 このことが、彼の中に幽霊への甘えを生み出しているのならば、由々しき事態だ。


 内心で頭を抱えてうなりつつも、体はキッチンを出て事務室兼応接室に向かう。

 そしてティーセットやサンドイッチの載った銀のお盆を、ソファの前のローテーブルへ。

「茶も淹れたから、飯にしようぜ」

 ソファのビルをひょいと掲げ、壁の定位置に戻し、机に座るクライヴへ声をかける。

「あ、ああ」

 露骨にホッとした顔で、彼もようやくソファに近付いた。


 噛み付くわけでもないのに、と肩をすくめたヘザーは、小声でビルに謝罪する。

「悪ぃな、ビル。ビビり散らかしちまって」

「クライヴ氏の反応が普通だからね、仕方がないよ」

 骸骨風の幽霊は、そう小声で返して優しく笑った。

 いい奴だ。顔はザ・幽霊なおっかない代物だけれど。


 やはりもっと荒療治も行って、クライヴを人外の連中に慣れさせるべきだろうか。

(いっそアレだ。インドとかチベットとか、あの辺に放り込んで出家させてみるか?)

 突如降りてきた妙案に、ソファへ座りながらぽんと手を打つ。


 そして想像した。

 『ビルマの竪琴』の中井貴一氏よろしく、オウムを肩に乗せて出家するクライヴを。言わずもがな、頭は丸坊主だ。

 タイトル通り本来は竪琴を持っているのだが、彼はイギリス人のため、バグパイプを持たせた――ところで笑いがこらえきれず、ついニヤついてしまう。


 彼女の隣に座りながら、不気味な笑顔を見下ろすクライヴの陰気面には

「この子はたぶん、またろくでもないことを考えているな」

という警戒心が浮かんでいる。残念ながら、その予想は正しい。


 隣人の警戒にも気付かず、ヘザーは温めたティーカップに紅茶を注ぐ。さすがは伯爵家の人間というべきか、白地に紺色で幾何学模様が描かれたティーセット一式は、ウェッジウッド製である。

 ただ紅茶を注ぐ人間も、それを待つ人間も、陶器に関して無頓着であるため特にありがたがっている様子はない。


 無造作にダバダバと注ぐヘザーの含み笑いはいつしか落ち着き、同時に思考は脇道へ。

 もういっそこのまま、彼の妻というポジションに収まって、ドラミちゃんに徹するのもアリか、という考えも降って湧いていたのだ。


 原作においても、霊媒探偵は既婚者だったはずなので、その点は問題なかろう。クライヴ自身、ヘザーを憎からず思っているようだし。

 いや、むしろ完全に恋愛対象として見られている自覚はある。なんだったら、自分もそうだ。

 妻として、公私ともに彼の相棒となれば、ひとまずはクライヴの人外恐怖症にも対処できるだろう。


 ただ、そうなると別の問題が勃発ぼっぱつする。

 ヘザー自身が、彼との関係を進展させることに、途方もない照れと躊躇ちゅうちょを覚えているのだ。

 認めるのは相変わらず大いに屈辱かつしゃくではあるものの、クライヴのことはもちろん好きだ。

 肉体は多感なお年頃なので、本音を言えば思い切りイチャコラしたいし、人前で言えないようなことも色々したい。


 しかしヘザーの人生は色恋と無縁だったため、どうしても照れが先走り。

 一方のメンタル担当である高田も、男として生きてきた記憶があるために躊躇を覚えていた。

 こんな不誠実な態度のままで結婚など、待っている未来は「後悔」一択であろう。

 また何よりも、クライヴを馬鹿にしているようなものである。


「ヘザー、どうした?」

「へ?」

「どこか辛そうだが。手伝いで疲れたのか?」

 知らぬ間にため息をこぼした彼女を、クライヴが少し不安そうにのぞき込む。


 未だに慣れない、至近距離での美形のうれい顔に、たちまちヘザーの顔が真っ赤に染まる。両手で口元を抑えて目を伏せる、図らずの乙女仕草も飛び出した。

「ちっ、ちげぇ、し! サンドイッチ、どれから食べようか、考えてただけだし!」

 しかし口からまろび出た弁明は、馬鹿丸出しである。


 彼女の言い訳を聞いた途端、クライヴが陰気面に戻って肩をすくめた。

「どうでもいいことで苦悩出来るんだな、君は」

「は? 食う順番大事だろ。最後は一番ウマいモン食って、口ん中も幸せで終わりてぇじゃん」

 小馬鹿にした口調に、条件反射でヘザーも応戦する。とはいえ出会った当初と違い、表情に殺気はないが。

「なるほど……そういうこだわりが」

 首の後ろに手を添え、腑に落ちていないのか曖昧な顔のクライヴがうなずいた。


 なんとも据わりの悪そうな反応に、ヘザーも少し口をすぼめて首をかしげる。

「アンタはねぇの? そういうおこだわり」

 彼女の視線につられ、クライヴが目の前にある色とりどりのサンドイッチを眺める。

 そしてヘザーから受け取った紅茶を一口飲み、

「とりあえず、手近な物から食べるが」

そうぽつり。

 食へのこだわりが薄いと言われがちな、イギリス人らしい回答といえば、実にらしい。


 もちろん食への執着心が常軌を逸しがちな日本人スピリットのヘザーは、ソファにもたれて天井をあおぐ。デカデカとした、ため息もセットで。


「アンタさ、食えりゃなんでもいいのかよ。食べることは生きることだぜ?」

 いっそ憐み混じりの流し目に、クライヴの眉間にしわが出来た。

「失敬な。何でも良いわけではな――いや……あるかもしれない」

 あごに手を当てて思案する姿は様になっているのに、発言は紙一重で馬鹿だ。


 二人の会話を壁で聞きながら、ビルは「この事務所、平和だなぁ」と独りちていた。


 けっと、ヘザーが鼻で笑った。

「あるのかよ、なんでもいいのかよ」

「思い返せば、出された物は有無を言わずに食べていたような」

 考える人状態のまま、クライヴは引き続き紙一重発言を続ける。


 ヘザーはわざとらしく、肩をすくめた。

「おいおい。とんだわんぱく育ちざかりじゃねぇかよ、三十歳」

「まだ二十代だ。あ、しかし買い食いは好きだ」

 一瞬ムッとしたものの、クライヴは大発見と言いたげに若干表情を明るくする。


 が。それを聞いたヘザーの方が、しかめっ面になる。

「それは実家で出来ねぇからさ、買い食い自体が楽しいだけなんじゃねぇの?」

「あ」

「好きなのは『その辺で買ってそのまま食う』って流れの方で、食いモン自体はなんでもいいだろ、アンタ」


 高田自身も実家暮らしの頃、駄菓子やスナック菓子の類を一切与えられなかった。

 そうして祖母と暮らすようになってタガが外れ、買い漁った記憶があるのだ。

 白けた視線を向けると、クライヴの森色の目がわずかに泳いでいた。図星であるらしい。


 こいつの体重管理だけは今後も続けよう、と呆れつつ心に誓うヘザーであった。

 その結果、己のドラミちゃん度が上がっていることも、薄々自覚しつつ。

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