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おまけ6:雪の日の事務所にて(2)

「オレは他意バリバリで、こんなの作ったのに。アンタはそうじゃないんだ?」

 ヘザーが持つバスケットの中には、大量の焼き菓子があった。

 修道院時代、バザーの目玉商品として門外不出のレシピで作られていた、クッキーやパウンドケーキやマフィンである。もちろん彼女のお手製だ。


 本来は夕食時のデザートとして一品作る予定だったのだが、おひとり様時間を思いがけず大量に獲得したため、興に乗ってあれもこれもと作っていたのだ。


「あ、いや、それは」

「アンタ、甘いもん苦手だろ。だからわざわざ、砂糖の代わりにハチミツ使ったり、甘さ控えめにしたのにな。他意があったから、めっちゃ頑張ったのにな。あーあ」

 罪悪感を刺激する声音だが、そうやって責める彼女の頬もほんのり赤らんでいた。


 標準装備の根暗顔を倍増で暗くしたクライヴだったが、その紅潮と潤んだ瞳に励まされ、やがて観念した。

「……他意はあった。噓を言ってすまなかった。だから、クッキーを食わせてくれ」


 ガラも悪く、ヘザーは舌打ちを一つ。

「最初からそう言えよ。変な見栄、張りやがって」

「勢いいさんで花束を注文したはいいが、その、迷惑かと思い直して……」

「いや、迷惑に思うクチならそもそも、アンタとココに来てねぇし。ってかチューリップ、めっちゃ可愛いし。普通に感謝しかねぇんだけど?」

 胸をそらしつつ、ずい、と彼へバスケットを差し出す。いや、押し付けた。


「それもそう、ですよね……はい」

 何故か敬語で答えたクライヴは、ためらいがちにココアクッキーを手に取ると、一口かじった。

 咀嚼そしゃくしつつ、わずかに目を見張る。

「旨いな」

「おう。修道院でみっちり仕込まれたからな」

 得意げにほほ笑むヘザーを見つめ、クライヴの表情も緩む。


「よかった。本当に元修道女なのだと、今初めて実感出来た」

「はぁ? どう見ても真面目な美少女シスター様だろうが」

「いいか。寝言は入眠中だけにとどめるように」

「寝言じゃねぇし、真言しんごんだし!」

「君はたまに、小難しい言い回しをするんだな」


 小馬鹿半分、感心半分といった体のまま、クライヴはもぐもぐとナッツクッキーにも手を伸ばす。旨いという感想は真言であるらしい。


 なおも口汚く反論しようか、と臨戦態勢に入るヘザーだったが、視線を束の間キッチンに流した。そこに一時保管してる花束のことを思い出したのか、すぐに肩をすくめる。


「まあ、もういいよ。花の礼にこれ、やる。ただし食べ過ぎんなよ?」

「ありがとう。子供じゃないんだから、それぐらい自制する」

 陰気顔を少し明るくして、クライヴはバスケットを両手で受け取った。


 しばしほくほく顔でバスケットを見つめていたが、ややあって、

「あのな、ヘザー」

ためらいがちに、そう切り出す。

「なんだよ」

 いぶかしげな彼女へ少し身をかがめて、続けた。

「また、花を贈っても問題ないだろうか?」

 至近距離での、少し思いつめたような真剣な端正顔からのこの問いかけは、破壊力抜群であった。


 ぶわり、とヘザーの顔が真っ赤になる。

「いっ、いちいち訊くなよ! 花瓶に空きがありゃ、受け取るに決まってんだろ!」

「よかった。ありがとう」

 けんか腰であるものの、これだけ赤くなれば朴念仁ぼくねんじんのクライヴでも、照れ隠しだと分かる。

 内心でそんな彼女を微笑ましく思いつつ、温かな達成感を覚えたクライヴは、ふと自分の机を見た。


 そこには一枚のメモがあり、書かれているのはヘザーの、少し荒っぽい直線的な文字だった。

 書かれている内容は、明日の十時に依頼人が来るというものだった。


「誰か来たのか?」

 メモを取りつつ尋ねると、ああ、とヘザーが顔をあおぎつつ答える。

「来るのは明日。その前に電話かけてくれたから、面会時間も決めといた。絵のことで相談したいんだって」

「絵? 俺に芸術の素養はないぞ」

 困惑気味に眉をひそめたクライヴは、わずかに首もひねった。


 一方のヘザーは、あっけらかんと笑う。

「ちげぇよ。親戚から形見分けで貰った絵に、幽霊が取り憑いてるっぽいんだとよ」

「……え」

 クライヴの声音と顔色と表情が、一気に氷点下まで下がった。


「何故、そんな依頼が……?」

 わななく声にも、ヘザーはのんびりした姿勢を崩さない。

「おお。ほら、ココの三階にバーあるじゃん? そこのマスターからアンタの話、聞いたんだって。実家に取り憑いてた悪魔を払ったって話」

 クライヴは、声なき悲鳴を上げた。


「俺はそんな話、一切吹聴ふいちょうしていないぞ!」

「だろうな。だからオレが広めといた」

 肩をすくめる彼女に、震えるクライヴが詰め寄る。


「なんでっ、広めたの!」

 色々キャパオーバーなのか、子供じみた口調になっていた。実際問題、涙目だ。

「アンタも閑古鳥かんこどりはイヤだって言ってたじゃん。他と差別化図ってかねぇと、このままじゃ失業もありえるだろ」

 なんともドライなヘザーのビジネス観に、クライヴの全身が一層強く震えた。

「他にもあるだろう、俺の個性は!」


 そんな雇用主の悲痛な叫びを、ヘザーは平常心の極みのようななぎきった笑顔でぶった切った。

「オバケぶち殺すよりヤベェ個性が、アンタにあんの?」

「……」

 こんな問いをされたら、沈黙以外の回答をひねり出せるはずもない。

 ショック死寸前の面持ちで黙りこくった彼の広い肩を、ヘザーは優しくポンと叩いた。


「ほらな、ないだろ? いいじゃん、適材適所で」

「俺は! まだ、幽霊が怖いんだ!」

「実家じゃ悪魔相手に、覚悟ガン決まりで暴れてたじゃん」

「あれはっ……い、命の危機が、あったから、開き直っただけで!」

 クライヴは赤くなったり、青くなったりしながら口ごもる。


 ――言えない。自身の恋心を自覚したから腹をくくれたなど、言えるわけもない。


 そんな彼の逡巡しゅんじゅんを、知ってか知らずか。

 ヘザーは満面の笑みで、元気いっぱい朗らかにサムズアップ。

「よし、それじゃあ今回も死にかけようぜ!」

「何も! 一切! よくないんだが!」


 地団駄を踏みかねないクライヴであったが、その後は口に突っ込まれたマフィンによって黙らされ、結局明日の予定を覆せず仕舞いとなる。


 こうして大層不本意に、霊媒探偵としての彼のキャリアは始まったのであった。

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