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43:ヤンキー令嬢のこれから

 乗っ取り期間がごくごく短かったおかげか、もしくは元々が健康体だったからか。

 ヘザーもロイドも、不調に見舞われることはなかった。

 その後も両者、よく食べよく遊びよく寝ている。

 ロイドに至ってはよく呑んでもいるので、その辺りは自重すべきかもしれないが。


 一方、五年間も乗っ取られていたダニエルは、相も変わらずぐったりしているものの、それでも憑依されていた頃よりは健康であるらしい。食堂で、他の家族と揃って食事をする機会も増えた。

 しかし五年間の記憶の方が、本来心優しい彼には堪えているようで。

 しばしば気鬱になり、また悪夢にうなされている彼を、シェリーは献身的に支えていた。


 他人というか他魔が、自分の体を使ってシェリーと交際していた記憶のあるダニエルが、彼女に引き続き恋するのはまあ分かる。他魔に操られていたとはいえ、その記憶は「ダニエルの体」が覚えているものなのだから。

 そして彼は当然とばかりに、シェリーとの今後も至って前向きに考えている。むしろ家族を増やすことに、大層乗り気だ。


 しかしシェリーが恋愛関係にあったのは、ほかならぬその他魔の方なので。


「シェリーさんさ、ほんとに伯爵サマでいいのか? 今までと、色々勝手も違うんじゃねぇの?」

 食堂で偶然二人きりになった際、ヘザーがそう直球に尋ねると、彼女は予想外に晴れ晴れとした笑顔を浮かべた。

「ええ、そうですね。ですが今の旦那様には、『コレがあるからクソ』の『コレ』がございませんので」


 しばし考えた末になるほど、とヘザーは呟いた。

「そっか、じゃあ最高の彼氏なんだな」

「はい」

「うん、ならよかった」

 頬を赤らめてうなずく彼女に、ヘザーもニッと笑い返す。


 シェリーがここで働きだしたのは、ダニエルが憑依されるよりも以前だという。つまり彼女は本来の彼の性格を知っており、惚れていたのももちろん――というわけらしい。

 一途の粘り勝ちである。


 そしてヘザーの養子縁組は、両者納得の末に白紙となった。

 彼女は養女ではなく、「ダニエルおよびフリーリング家の大恩人」ならびに「一番の客人」という肩書きに変わった。

 ついでに謝礼も貰えることになった。お金大好きガールなヘザーなので、もちろん遠慮なんてしない。くれるものは、ありがたく頂戴する。

 またロイドのアシストもあり、修道院への寄付も継続してもらえることになった。


 ダニエルもフリーリング家の使用人の面々も、ヘザーが屋敷に留まることを提案してくれたが、彼女はそれを固辞した。ダニエルからは

「客人という立場に引け目を感じるなら、改めて養女として迎え入れようかい?」

などという提案もあったが、ヘザーは全力で拒否した。

「やめてくれよ。結婚秒読みの人の家なんて、居座りたくねぇし。そもそもオレ、お嬢サマなんてガラじゃねぇだろ?」

「それはたしかに、そうだね」

 穏やかだが言うことははっきり言うタイプのダニエルも、小さく笑って同意した。


 こうしてヘザーは、たんまりの現金と共に、年が明けた頃に屋敷を発つことになった。

 そしてそれは、一週間後の予定だ。


「ヘザー様ぁ……ぐすっ……落ち着かれたら絶対……絶対にお手紙、書いて下さいねぇ! うぅっ……」

 彼女の出立が決まって以降、毎朝ティナは泣きながら、彼女の身支度を手伝っていた。それでも仕事の手際や出来栄えは完璧である辺り、この子のポテンシャルは凄いらしい。やはり将来が楽しみだ。


「うん、ちゃんと書くよ」

 自分の黒髪を結い終わったティナの手を、優しくぽんぽんと叩いた。この労わりに、また彼女の瞳が潤み出す。

「こっ、これっきりだなんて……わたし絶対に嫌ですからね!」

「オレだってヤだよ。絶対また、遊びに来るからさ」

「ヘザー様ぁ!」


 とうとう両手で顔を覆って、わぁっと泣き出すティナ。

 そんな彼女を抱きしめて、優しくあやしていると、扉を三回ノックする音が聞こえた。もはやお馴染みの音であるため、ヘザーも特に返事しない。

 相手もこちらの返事を待たずに、さっさと入って来るのだ。なんともせっかちな紳士がいたものである。


 ノックの主であるクライヴは、伯爵家 (元)令嬢とそのメイドが抱き合う、耽美と言えば耽美な光景に呆れたジト目を向ける。

 何故ならこの光景、最近はほぼ毎朝行われているのだ。

「君は相変わらず、人をたらしこむのが上手いな」

「けっ。ちげぇよ、女の子専用だから」

 彼の呆れ声にふてぶてしく返しつつ、ようやく落ち着いたティナを伴って外へ出た。


 こうしてクライヴが、朝食の迎えに来てくれるのも、ほぼ恒例行事と化している。それもあと一週間のことだが。

 そう考えるとほんの少しだけ、心のどこかが痛んだ。


 軽く眉を寄せて、その痛みに耐えているヘザーを、隣を歩くクライヴは横目でうかがう。

「……それで、これからの身の振り方について、君は何か考えているのか?」

 彼から「屋敷を出た後」の話を投げかけられるのは、今日が初めてだった。しかめっ面を忘れて、ヘザーも青紫の瞳を彼へ向けた。

「いや……別に全然決めてねぇけど」

「修道院には戻らないのか?」

「うん、それは無理だな」

 ほぼ間を置かずに即答する。


 今の自分が、あの規律だらけの生活に馴染めるとはとても思えない。

 なにせそれよりもユルユルだった、現代日本の教育システムからもドロップアウトしちゃった身である。また脱走を企てるのがオチだろう。


「まあ、アニキから金も貰ったし、しばらくはそれで暮らしながら、仕事探すわ」

「人の兄を、チンピラみたいに呼ぶな」

 いつの間にか「伯爵サマ」から変わった呼び名に、クライヴは陰気顔を思い切り歪める。

 が、不機嫌そのものの顔が、すぐに緊張感を帯びた真顔に変わった。肩も強張る。


「俺も一週間後に、町へ戻るつもりだ」

「そっかぁ」

 ついと視線を足元に落とし、ヘザーが短く相槌を打った。どうしても、声に哀愁が漂う。

 寂しげな彼女の横顔に鼓舞されたのか。一つ息を吸って、クライヴが切り出した。

「よければ……俺と一緒に来ないか?」


 ヘザーの顔が、跳ね上がった。大きく見開かれた目が不安そうに、彼の意図を探っている。

「それって、アンタの養女にしてくれる……とか?」

「君を養女にするぐらいなら、ロイドを養女にする」

「ロイドさん、オッサンじゃん」

「そうだオッサン――いや、男性だ。だから、別に誰かを養女に迎え入れるつもりはない。……俺は父上から譲り受けたビルの一室で、事務所も構えているんだ」

「はぁ」

 急に話が飛んだ気がする。


 どこか訝しげなヘザーの声に構わず、彼は続ける。

「事務所の中には一応、居住スペースもある。今は俺が休憩室代わりに使っているだけの場所だから、そう汚れてもいない。だからヘザー」


 クライヴの足が止まり、体ごとヘザーに向き直った。深緑の瞳にも声にも、熱がこもる。

「その、君さえよければ、住み込みで秘書をしてくれないか? もちろん賃金は払う」

「えっ? いや、でも、オレ秘書とかしたこと……」

 そういう事務仕事とは無縁の前世を送っていたし、今世においても未経験だ。

 ヘザーはうろたえ、少し距離を取ろうと後退あとずさった。


 が、その前に彼に手を取られた。相変わらず、大きくて硬い手だ。

「用心棒も兼ねてくれればいい。家賃ももちろん不問だ」


(なんなんだよ、その口説き文句は)

 他に言いようがなかったのか、とついヘザーは笑ってしまった。

「女に言うセリフじゃねぇだろ、それ」

「あっ」

 そう声をもらしたクライヴは、なんともばつが悪そうに、また暗い顔になる。


 だが彼が俯く前に、ヘザーの小さな手も、彼の手を握り返した。

「でもいいよ。乗った!」

 にっこり笑って、快諾する。

「そうか、よかった」

 ほっとしたように、クライヴのガチガチに固まっていた肩から力が抜ける。


 こうしてヘザーの、引っ越し先ならびに就職先も決まったのであった。

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