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42:今度こそ

「そんなに心配なら、あの子を追いかけても構わないよ? 私も、シェリーとゆっくり本邸に戻るから」

 そう自分の背中を押してくれる、見るからにぐったりとしたダニエル(土気色)を捨て置くことなど出来ず。

 結局彼を背負い、シェリーを伴って温室から出ることを選んだクライヴだった。もちろん自分たちの窮地を救ってくれた、サーベルも持って行くことを忘れない。

 ヘザーの忠告を思い出し、辺りを警戒しつつ中庭を横切るも、不審な生き物の陰はなかった。


 ほっとして本邸の一階廊下を進む。そして顔だけ斜め後ろへ向け、視界の隅にダニエルの金髪を映した。

「兄上、ヘザーと入れ違いになっても行けません。大広間の階段下で、彼女を待ち――」

「あのっ、クライヴ様!」

 背中のダニエルに声を掛けたクライヴの腕を、シェリーがいたように強く引っ張った。

 彼女の方へ向き直り、強張ったその視線を追いかけた先で、シェリーが焦る意味を悟る。


「ヘザー!」

 大広間の中央部にある、二階へ続く階段のふもとで、ヘザーがこちらに背を向けて倒れていたのだ。


 クライヴの肩越しにそちらを見たダニエルも、更に顔色を青くした。

「ロイドも倒れている……何があったんだ」

 ダニエルの指摘通り、彼女の隣では白目をむいたロイドも倒れている。


 クライヴは焦りつつも、丁寧な動作でダニエルを下ろしてシェリーに託し、次いでヘザーたちに駆け寄った。

「おいっ……ヘザー! どうしたんだ!」

 呼吸もあり脈もあり、一見すると眠っているようだ。だが美しく整った人形めいた寝顔を見下ろしていると、言い知れぬ不安がよぎる。


 ロイドの傍らに、シェリーに補助されつつダニエルもしゃがみ込んで呼吸を確認していた。こちらも同じく、死んでいるわけではないらしい。


 しかし二人も昏倒しているという状況に、先ほどまでの危機を加味すると、冷静ではいられない。

 まさか、という思いで首筋から背中まで、凍り付いたかのように冷たくなる。おそるおそる、彼女の頬を両手で包み込む。


 その時だった。

 彼女の体から、あの不気味な黒煙がはじき出されたのは。煙はロイドお気に入りのネクタイピンへ、瞬く間に吸い込まれていく。

 驚愕のあまり、三人は呼吸も忘れてただただ硬直するしかなかった。


 煙がネクタイピンに吸い込まれるのとほぼ同時に、勢いよくヘザーの両目も開かれた。

「うわっ」

 突然すぎる出来事の連続に、クライヴは間抜けな声を上げてしまう。ダニエルたちもギョッと、目を丸くしてのけぞった。


 周囲の驚きなど気にせず、素早く身を起こしたヘザーは鋭い視線をロイドに放つ。次いで、彼の丸々した体に突撃した。

「え、一体何……?」

 ダニエルもぽかんとなる中、彼女は無言で、煙が吸い込まれたロイドのネクタイピンを引きちぎるように外した。


 それを地面に叩きつけると同時に、足を高く持ち上げて。

「ゥオラァッ!」

 たおやかな外見に似合わぬ、野太い掛け声と共に踏み潰した。

 すると先ほど温室にとどろいたものに似ているが、随分とか細くなった切ない断末魔が、数秒ほど聞こえた――ような気がした。


 大広間にしばし、沈黙が流れる。

「何だったんだ、今のは。ヘザー……一体、何があったんだ? 無事、なんだよな?」

 ややあってクライヴはためらいながらも、つま先でグリグリとネクタイピンを破壊する、可憐な暴力魔に声を掛ける。

「おう、めっちゃ元気」

 力強く親指を立てて、快活な返事があった。


 極めて元気そうな様子にホッとしつつ、質問を重ねる。

「先ほど君の体から何か、黒い煙が出て行ったが」

 うん、とダニエルもうなずく。

「それがロイドの……いや、君が粉微塵こなみじんにしている、ネクタイピンの石に吸い込まれていったように見えたね」

「ああ。アレ、悪魔の燃えカス的なヤツだな」

「はぁっ?」

「オレにもよく分かんねぇけど、自分の予備?をロイドさんのピンに入れてたんだって」


 平然と答えるヘザーだが、つまり彼女はその予備に、一時的とは言え取り憑かれていたということになる。

 クライヴは思わず立ち上がって、ヘザーの細い肩を掴む。そして彼女に顔を寄せた。

「本当に何ともないのか? どこか異常や違和感はないか?」

「いや、ちゃんと追い出したって……顔近い!」

 耳まで赤くなったヘザーが、至近距離で自分を案ずるクライヴの顔を両手で押し返した。


 シェリーがその光景に、

(ヘザー様とクライヴ様が、嫌がる猫ちゃんとその飼い主さんのようでいらっしゃるわ)

と場違いに感心していると。

 足元から声がした。


「うぅ……私は……? おや、ヘザーさんが照れていらっしゃる」

 かすかにうめいたロイドが、すぐに首を振って上半身を起こした。そして隣で繰り広げられている甘ったるい攻防を、微笑ましげに眺める。


 クライヴはようやくその声で、我に返った。慌てて彼女から距離を取る。

「あ、いや、俺はその……すまない!」

「おう……まあ、うん。オレも元気だからさ」

 赤い顔でへどもど答えつつ、ヘザーは膝をついてロイドの様子をうかがった。クライヴもそれにならう。


 ロイドは、フリーリング家当主がパジャマ姿で自分の隣にしゃがみ込み、そして彼の秘書も不安げに自分を見つめ、更に義弟と養女まで揃い踏みという状況下に、困惑気味である。

「あのう……皆さまは、こちらで一体何を?」


 キョトキョトと困ってはいるものの、彼も体に問題はないようだ。何だったら、悪魔に取り憑かれていた記憶すら残っていないらしい。

 はぁ、と四人が揃って安堵あんどのため息を吐く。


「で、ですから、どうなさったんですか!」

 彼らのため息が余計に不安を煽ったのか、ロイドは震え上がる。

 彼の肉付きのいい丸い背中を、ヘザーが景気良く叩いた。

「気にすんなって。今度こそめでたしめでたしって、だけだからさ」

「めでたし?」

 諸々端折はしょったその説明に、ロイドは不思議そうに目をまたたくのであった。

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