本来の筋書きならば、劇中で温室が映ることは一切ない。
悲劇は全て、屋敷の本館内で完結するのだ。
映画の終盤、ヘザーの部屋においてシェリーとクライヴは激しく言い争うことになる。
パーティー会場で垣間見たダニエルの態度を疑い、今回の養子縁組に裏があるのではないかとクライヴは考えた。そのため彼は、ヘザーを逃がそうとするのだ。
一方シェリーはダニエルを盲信しているため、そんなクライヴの愚行から彼女を守ろうとする。
互いの意見の落としどころが全く見えない中、シェリーが先に最終手段「暴力」へ手を伸ばした。隠し持っていたナイフで、クライヴを刺すのだ。
しかしクライヴもすかさず反撃し、部屋にあった置き時計で彼女を殴り殺した。
腹部から血を流しながらも、彼はせめてヘザーだけでも逃がそうと試みる。憔悴した彼女の手を引き、外へと向かった。
きっと、今までの贖罪もあったのだろう。
しかし二人の動向に気付いたダニエルに先回りされ、ヘザーは階段から突き落とされた。
転がり落ちた末、階下でうずくまる彼女目がけ、バラバラに引きちぎられたクライヴの血肉が降り注ぐのだ。
ヘザーはその残酷極まりない光景に、とうとう発狂。
気が触れて、ヘラヘラと笑い続ける彼女の体は、すぐさま悪魔に奪われた。
そして肉体を乗り捨てられたダニエルも、当然のように死亡する。
あとなんか画面の隅で、ついでのようにロイドも死んでいた。
生き残るのは、悪魔に肉体の主導権を奪われたヘザー唯一人――それが、映画の結末だった。
だが、悪魔に乗り捨てられる前に追い出せたからか。現実のダニエルは弱々しいながらも、なんとか生きていた。
「私は、なんてことを……ああ、すまなかったシェリー……」
シェリーに支えられながら、儚げな声で懺悔した。次いで彼は、思慮深い茶色の瞳でヘザーとクライヴも見つめる。
「君たちにも、本当に酷い仕打ちをしてしまった……どう償えばいいか……」
どうやら悪魔に乗っ取られていた五年間の記憶も、ばっちり残っているらしい。
後悔の念で打ちひしがれる主人の頭をそっと抱きしめて、シェリーは泣きながら微笑んだ。
「すまないだなんて、仰らないで下さい。わたくしは、旦那様のお傍にいられるだけで幸せなのです」
クライヴも少しぎこちなく、義兄に笑いかける。あごがしゃくれていない、ということは作り笑いではないらしい。
「俺も兄上が元に戻られたなら、それで十分です」
大きく頷き、ヘザーも同意。
「むしろオレみたいなヤベェ奴引き入れた、マヌケな悪魔に『ざまぁみろ!』って中指立ててやればいいじゃん」
初めて
ややあって彼は、小さく吹いた。
「君は本当に、風変わりな女性だね。弟や屋敷の者が目をかけるのも、よく分かるよ」
「あああっ、兄上! 何を言ってるんです!」
「おやクライヴ。顔が真っ赤じゃないか」
そう言ってふにゃりと笑った彼だったが、すぐに激しくむせ込んだ。途端、シェリーの顔が青ざめる。
「旦那様、大丈夫ですかっ?」
手をかざすジェスチャーでシェリーに大丈夫、と伝えているものの、呼吸は荒い。命を奪われなかったとはいえ、やはり消耗は激しいようだ。
「たしか屋敷ん中に、お医者サンがいたよな? オレ、探してくる」
くるりと
「ヘザー、俺も一緒に――」
「いや。ひょっとしたら、まだ何かいるかもしれねぇだろ? 見張っててくれよ」
背中を向けたままそう返して、令嬢らしからぬ全速力で温室を出た。
屋敷を一通り案内してもらった際に、二階の客間に医師が常駐していることは聞き及んでいた。大急ぎで屋敷内に戻り、そのまま廊下を走る。
一階の大広間にある階段を登ろうとしたところで
「ヘザーさん、どうかされました?」
反対側の廊下を歩いてきたロイドに、背後から呼びかけられた。いつになく慌てた様子のヘザーに、つぶらな瞳をぱちくりさせて、彼も小走りで駆け寄って来る。
「おお、ロイドさん。実は温室で、伯爵サマが倒れちまってさ」
手短に事情を説明しようとした彼女は、ふと何気なく、彼の胸元に視線をやった。
ロイドのお気に入りらしい、紫の石がついたお洒落なネクタイピンに。
――そのネクタイピンのデザインは、ダニエルの指輪に酷似していた。
ハッと、ヘザーが強張った顔を跳ね上げると、ロイドは微笑んだ。これまで浮かべていた温和な表情とは真逆の、邪悪で淀んだ笑みだ。
「てめぇ、まさか」
「甘かったな、小娘よ。悪魔というものはね、貴様たち人間が思うよりもずっと狡猾なのだよ」
そう言って
煙はヘザーの体へと、瞬く間に吸い込まれていった。