食堂に入ると、先客がいた。
長テーブルのそばに立つ、細身の眼鏡美女――シェリーだ。
当初は伯爵へのタックル事件でずいぶんと怯えられていたが、最近はヘザーにも笑顔を向けてくれるようになっていた。
なのだが、今の彼女の顔は酷く強張っている。
「シェリーさん、どうしたんすか?」
「ひょっとして、兄上に何かが?」
軽い調子で首をかしげるヘザーと、すぐにネガティブ思考をフル回転させて暗い顔になるクライヴ。
しかし彼の悲観的過ぎる予想は、幸か不幸か外れた。強張った顔のままであるものの、シェリーは軽く首を振る。
「旦那様はまだお休み中です」
そこで息を吸い、シェリーはかすかに唇を舐めて湿らせた。
「……お食事の前に、お二人に是非ご案内したい場所がございます。どうか、来ていただけませんか?」
深刻そのものの表情と震える声が、案内先は絶対ロクでもない場所だと暗示している。
であれば、せめて腹ごしらえをしてから挑みたいところだ。ヘザーは好戦の権化のような生き物であるため、撤退という選択肢はない。
「それって、飯の後じゃダメなのか?」
「ええ、何卒……ご協力を」
そう言って深々と、彼女は頭を下げた。体の前で揃えられた手も、小刻みに震えていた。
ただならぬ彼女の様子に、ヘザーとクライヴはついお互いを見た。
次いで示し合わせたかのように、両者小さく肩をすくめる。
いつだってダニエルに忠実で優秀な秘書が、これだけごねるのだ。
その珍しい強固さに根負けして、二人はついて行くことにした。何が待っているかは分からないので、ティナは食堂に残していく。
「オレたちが戻って来る前に、ロイドさんが来たら、先にメシ食っててくれって伝えといて」
「か、かしこまりました」
軽い調子で
そうしてシェリーの案内で、ヘザーとクライヴは食堂を出た。
そのまま屋敷の一階の廊下を進み、中庭に行き着く。
中庭には三角屋根の、ガラス張りの小さな建物があった。温室だ。
先代伯爵夫人のお気に入りの場所だったが、今は特に目ぼしいものもないということで、ヘザーも遠巻きに眺めていただけの場所だった。
「こちらへ、どうぞお入り下さい」
シェリーは
周囲は相変わらずの雪景色だが、温室の中に入るとほんのり温かい。
だが、手入れは割と疎かになっているようだ。
屋敷に飾るためであろう、つやつや大きな花々が植えられている一方で、
また、ガラクタと思しき物品も、近くの棚に放置されていた。温室と全く関係がなさそうな、埃を被った年代物のサーベルや穴の開いたフライパンまで捨て置かれているので、実際不用品置き場と化しているのだろう。
「旦那様は、こちらには滅多に来られませんので」
しげしげと周囲を観察するヘザーの考えを読み取ったのか、シェリーが少し気まずそうにそう言い添える。
クライヴは首の後ろに手を当てて、軽く嘆息。
「つまり兄上に関係した話がある、ということだな。それも、あまり良い話ではない」
彼の言葉に、悲しげに目を伏せたシェリーは一つ
「……旦那様は本日の朝食の席で、クライヴ様を亡き者になされるおつもりです」
沈痛な声による爆弾発言に、ヘザーは目を見開いた。
「はぁッ? なんで?」
「詳しいことはわたくしも存じませんが……ヘザー様に精神的痛手を与えたい、と独り
ダニエルのその思い付きは――非常に悔しいけれど、いい線行ってると言えよう。
たしかに高田であった頃、画面越しに見守っていた時以上にクライヴに親しみを覚えているし、大事に想っている。認めるのは、それはそれは悔しいけれど。
もう、本当に悔しくて、歯ぎしりで前歯が折れそうになるぐらい、悔しいけれど……この時代の歯科技術で、差し歯を作るのは可能なのだろうか。
思わずむっつり押し黙ったヘザーに代わって、殺害宣告を受けたクライヴが問う。
「君は兄上の秘書だろう? そのような、主人を裏切るような真似をして問題ないのか?」
「いいわけないじゃないですか!」
すぐに怒気をはらんだ大声が返された。しかしシェリーの青い瞳は潤み、鼻先も赤くなっている。
「ヘザー様が来られてから……いえ、あなた方がお二人でいらっしゃると、旦那様はどんどん
最後は涙と
「いや、オレとかクライヴ関係なく、荒んでるだろ。だってアイツ、悪魔憑いてんじゃん」
そんな重苦しい空気を、あっけらかん、とヘザーは一刀両断にした。
小難しい顔のクライヴと、泣き顔のシェリーが、同時にヘザーをギョッと見る。
「ヘザー、さすがにそんな悪趣味な冗談は――」
「なぁ、クライヴ。ほんとは気付いてんじゃねぇの?」
諭すような彼の声を断ち切り、ヘザーは藤色の瞳でじっと彼を見据える。一瞬、クライヴの深い森色の瞳にためらいの色が見えた。
「……いや、俺は、別に何も」
「視えるアンタなら、分かってるだろ? いつも伯爵サマからは、ヤな感じがしてるじゃねぇか」
「それは……」
「そもそもさ、代替わりしたら絶対に前の伯爵サマが死ぬって、おかしいじゃねぇか」
淡々とした彼女の言葉に、クライヴはハッと目を見張った。長年彼も抱き続けていた疑問に光が当てられたのだ。
彼の思考の中で、ヘザーの指摘と、伯爵夫人の部屋で見た幻と、屋敷を闊歩する異形たちが結び付き始める。
視えないシェリーは、しかし首を何度も振って、ヘザーの推測を否定しようとする。
「ですがっ……そんな、悪魔だなんて! ここは二十世紀なのですよ? 中世ではありません!」
「いーや、時代とか関係ねぇ。中世だろうが戦国時代だろうが、悪魔はいる。オレには分かんだよ」
腰に手を当てて胸を反らし、親指でグッと自分を指し示す。
「なにせ、シスターだからな!」
なんの証拠も保証もない、単なる当て推量に過ぎないのだが。
しかし神々しいまでの力強さを帯びた美貌に、
「……なるほど」
涙の引っ込んだシェリーは、まんまと納得させられちゃうのであった。チョロすぎる。
丸め込んだ張本人であるものの、彼女が詐欺に引っ掛かったりしないか、少し不安になるヘザーだった。