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35:威風堂々、非モテ宣言

 ヘザーの身支度がおおむね終わったところで、待ち構えていたかのように。

 コンコンコン、とノックの音がした。

 この部屋を訪ねて来る人間なんて、ティナ以外にほぼいない。しかもこんな、朝飯前の早いお時間に。

 そのためヘザーとティナは、二人で「はて?」と顔を見合わせる。


 まさか人間以外のナニかがご訪問だろうか、とも思ったが、連中がご丁寧に扉を叩くとも思えない。

 扉をすり抜ける、あるいはぶち破って入って来そうだ。


 そんな風に、ヘザーが思考をぐるぐる回転させて疑心暗鬼になっている内に、ティナがそそくさとドアに駆け寄った。

「はぁい、どなた様で――あら、クライヴ様」

 扉の隙間から、上背のある暗い顔と目が合ったティナは、しばし目をぱちくり。ほんの一瞬だが、

(ついにわたしも幽霊を目撃……じゃなくて義弟様でしたかぁ)

と残念がった事実を、ティナは墓場まで持って行こうと瞬時に決意した。


 一方、スツールの上であぐらをかいていたヘザーは、彼の名前を耳にしてギョッとのけぞる。

 咄嗟に声が出ぬまま、口だけで「なんで」と呟いた。


「こんな朝早くに、どうなさったんですか?」

 小首をかしげつつも、ティナは扉を全開にしてクライヴを招き入れる。

 彼女へ小さく礼を言って、クライヴはヘザーへ顔を向けた。

「昨夜のこともあるからな。……一応、迎えに来た」


 が、視線が合わない。

 顔はヘザーと向き合っているが、視線は絶妙に斜め向こうへ飛んで行っている。

「お、おお。悪ぃな、ありがと」

 しかしヘザーもしどろもどろと、絨毯をじっと見つめていた。

 お互いの視線が明後日に向かっているため、結果的に両者視線が合わない事実に気付いていない。


 ドレッサーの片付けをしつつ、ティナは横目に二人を観察。

 昨夜のパーティーの後は、ヘザーが疲れ切っていたものの、二人は良好そうな空気をかもし出していた。

 いや。良好どころか、若干イチャついていた。


 夜中に一体、何があったのだろうか――ほんの一瞬だけ不埒な考えがよぎるが、二人に限ってそんな、と首を振ってそれを打ち消す。

(クライヴ様はきっと順序を守られる方でしょうし、ヘザー様は色事よりお金がお好きなご様子ですし)

 特に後者に関して、この予想は大当たりである。ティナは案外、観察眼に長けているのだ。


 なんともギクシャクした空気のまま、三人で部屋を出た。

 クライヴとヘザーが並んで歩き、ティナはその数歩後ろを歩いている。

 長い廊下を半ばまで来たところで、短気なヘザーがぎこちなさに音を上げた。

 細い腰に手を当て、大きな瞳でじろりとクライヴを見上げる。


「ってかさ、オレの裸ぐらいで、どんだけ挙動不審になってんだよ」

「……ぐっ!」

 前をにらんだまま、クライヴの頬が赤くなる。

 ティナは背後で口をつぐんだままであったが、目を大きくむいた。全裸事案があっただなんて、初耳である。


 しかもアクシデントにより、クライヴがヘザーのありのままな姿を拝めたらしい。この居たたまれない雰囲気から察するに、少なくとも一線は越えていないようだが。

(クライヴ様……よく我慢出来ましたねぇ。鋼の忍耐力ですぅ)

 ティナは内心で舌を巻いた。視線はもちろん、ヘザーのたわわな胸元に注がれている。

 次いで二人に気付かれぬよう、そぉっと距離を詰め、聞き漏らすまいと耳も澄ます。


 真後ろの野次馬に一切配慮できぬまま、不機嫌顔のヘザーは続ける。本当に怒っているというよりも、気まずさを怖い顔でごまかしているだけのようだ。現に目は、ドギマギと桃色の海で溺死寸前だ。

「アンタ男前なんだしさ、女なんてよりどりみどりじゃねーの? たかが小娘の裸ぐらいで――」

「いいか、ヘザー」

 愛猫の突然死を知らせるかのような、低く陰鬱な声が、ヘザーの軽口を遮った。


 言葉をぶった切られたヘザーは、藤色の瞳をキョトンとさせ、ふっくら唇も半開きのまま固まっている。

 間抜け面の彼女とようやく目を合わせて、どこまでも真剣な表情のクライヴがグッと、自分の親指で自身を指し示した。堂々と胸もそらす。

「一つ言っておくが。俺は伯爵家の出来損ないの次男坊で、おまけに分家と呼ぶのもはばかられるような、遠縁からの養子だ。資産もロクに持っていないうえ、社交も不得手だ。そのような不良物件を……好き好む女性がいると思うのかッ!」


 最後は血でも吐きそうなぐらい、悲壮感のにじむ叫びであった。

 だが内容は「俺がモテるわけないでしょ! ぷんぷん!」という自虐が過ぎる開き直りなため、ヘザーはついつい半笑いになる。

「お、おお。まあそうだな、うん。なんかほんと、地雷踏んじゃってごめん。うん、強く生きてね」

「それから!」

「えっ、あ、はい……?」


 鬼気迫る顔でぐいと距離を詰められ、ヘザーが半笑いで固まる。茶化す暇もない。

 というか、ちょっとどころでなく怖かった。

「君も! 自分が蠱惑こわく的だという自覚を持ってくれ! 頼むから!」

「こわ?」

「……い、色気と魅力が、有り余っている、という意味だ!」

「いっ、え、あぅ」

 言った方も言われた方も、同時に赤い顔で沈黙。視線が、今度はどちらも足元に落ちた。


 ヘザーは非常に珍しいことだが、口元をそっと両手で隠してもじもじと、大変いじらしい仕草を見せる。乙女スイッチが全力点灯中である。

「……あの、えと……ごめんな? オレが可愛いばっかりに」

 絶世の美貌の持ち主でなければ、とんだ戯言たわごとあるいは寝言である。

 だが謝っているヘザーは、至極真面目であり。


「まったくだ! 自分の美貌を正しく理解しているなら、それに見合った危機感も持つべきだ! 以前にも言ったが、君はあまりにも無防備過ぎる!」

 そしてプンスカ怒っているクライヴも、もちろん真剣そのものであった。

「一周回って、これは惚気のろけになるのでしょうか」

 独りちるティナのまっとうな指摘は、残念ながら謝罪とお説教に必死な二人の耳には届かなかった。

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