自室の遥か北側で、夜中にそんな殺害妄想が練り込まれていたとは、露知らず。
ヘザーは朝まで熟睡だった。ありとあらゆるものに囲まれ・揉まれて
そしてそれは、ティナが起こしに来るまで変わらず、であった。
「ふふっ、ヘザー様の寝姿、初めて見ちゃいましたぁ」
ベッドの天蓋を開けながら、ティナがくすくすと笑ってヘザーを優しく起こす。
目の前にあるティナの笑顔と、その背後から差し込む柔らかな朝日で、ヘザーの寝ぼけた頭も徐々に覚醒。
もぞもぞと、寝心地抜群のベッドの上で身を起こす。
「んぁ……おはよ、ティナ」
「はい、おはようございます。今日のお召し物は、どうされますか?」
「んー、軽くて動きやすいヤツ」
「淑女のドレスは、だいたい重くて動きづらいものですから。諦めてくださいな」
「……じゃあ、ティナのおすすめで」
「はぁい、かしこまりましたぁ」
ほぼ毎朝繰り返されているやり取りだが、ティナはいつも楽しそうである。
今日も暖色だらけのクローゼットに上半身をめり込ませて、珠玉の逸品を選んでいる。
本日の見立ては、赤と黒のストライプ柄のドレスだった。ゆったり開いた大きな衿や袖口は黒で、袖には銀のボタンが付いている。
トイレを済ませ、ティナが準備してくれていたお湯で顔を洗ってから着替えた。
そして二人でドレッサーの前へ。
ドレッサー備え付けのスツールに座ったヘザーの傍らに、ティナが立つ。ヘザーの美貌を引き立てる、薄化粧を丁寧に施した。
そして最後に、ドレスのボタンに合わせた銀のバレッタでヘザーの黒髪をまとめる。
彼女の髪を尊ぶように撫でながら、ティナは弾んだ声で言った。
「こういった挑戦的なデザインも、ヘザー様ならあっという間に着こなしちゃいますねぇ」
「まあ、オレ、顔だけは大したもんだからな。顔しかねぇけど」
「あらまぁ、ご冗談を。お風呂の配管が爆発しちゃったのに、そのままお部屋で寝られたんですよぅ? たいそう肝も据わってらっしゃいますわ」
「そうかな?」
風呂場の惨状について、クライヴはなんとも当たり障りのない理由をでっちあげてくれたらしい。ありがたい話だ。
一応、ビームによる爆破の影響で配管も破損したらしいので、嘘ではない。
目の前の女が爆発の真犯人とは知る由もなく、ティナはしみじみとうなずいた。
「本当に、ヘザー様がご無事でよかったです」
「おう、間一髪だったぜ」
グッと親指を立てて、凛々しいスマイルを返す。
事実は化け物サイドが間一髪で逃げ遅れ、消滅したのだが。
「ふふっ、さすがですわ。そういえば――」
就寝前に、クライヴが雑に板を打ち付けて進入禁止にした浴室のドアを眺め、ティナの視線が束の間遠くなる。
「古参の従僕さんが、ポルターガイストやグレムリンの仕業なんじゃないかって、おっしゃってましたっけ。古いお屋敷ですから、その手のお話はよくあるんですよねぇ」
「へぇ、そうなんだ。ティナも、何か見たことあんのかい?」
表面上は気のないふりをしながらも、その実興味津々である。
しかし残念ながら、ティナは小さく笑って首を振るばかり。
「いえ、わたしはないですねぇ。変な物音を聞いたりしたことは、何回かあるんですけれど……他にも、勝手に食器が動いてたり」
「けっこう目撃してんじゃん」
ニヤリ、と笑い返すと。
「言われてみれば、そうかもしれませんねぇ」
鏡の中のティナは、どこか寂しげに笑って、小さく肩を落とした。
「実際に、幽霊を目撃したことがある子も、何人か知ってたんですが……みんなすぐ辞めちゃったんですよねぇ。仲良しの子もいたので、ちょっと残念でした」
「そっか」
なるほど。いわゆる霊感のある人間=理解者がすぐに退職していくのならば、クライヴが孤立し続けるのも当然か。
ヘザーは振り返って、直接彼女を見上げた。
「なぁ、もしも、だけどさ。そういう怪奇現象がなくなったら、ティナも嬉しいか?」
不意な問いかけで、ティナのまんまる緑の瞳が、更に丸くなった。
「え? うーん。そうですねぇ……見えていないわたしが言える立場ではないかもですが、嬉しいですね」
まんまるの瞳が、ふ、と窓へ向けられた。
大きな窓の向こうには、雪を被った山々と青い空が見える。
「ここは景色もよくて、伯爵様も大人しいお方だから働きやすくて。幽霊騒ぎさえなければ、とてもいい職場ですねぇ」
「あー、たしかに。口うるせぇ上司はイヤだよなぁ、オレも分かる」
「あら、修道院にもそんな方が?」
興味深そうに表情を輝かせるティナに、腰に手を当てたヘザーがニヒルに笑い返す。
「いるいる、どこにでもいるぜ。なんだったら、今もほら、斜め前の部屋にいやがるし」
あら、とティナは微笑んだ。
「クライヴ様は、ヘザー様がお可愛いらしいから、心配されてるだけですよ。きっと」
「かわっ?」
ビクッ。小さく飛び上がったヘザーが、大仰に顔を強張らせた。
そのなんとも慣れていない反応に、ティナはますます笑う――というかニヤニヤしている。
「あらあら? ご存知でありませんでしたかぁ? 目に見えて、テロテロに可愛がってらっしゃいますよ?」
「いや、オレとアイツは別に、そういうのは……」
声もか細くなり、背も丸まった彼女に、ティナはクスクス笑う。
「ヘザー様にもちゃんと、世間知らずな一面があったんですね。ホッといたしましたぁ」
「失礼だなぁ。オレ、ちゃんとシスターだぜ?」
少しむっつり顔になったヘザーだったが、一つ息を吸って、キリリと背筋を伸ばす。ついでに『霊媒探偵ライダー』を意識して、力強く親指で自分の胸を示した。
「だからさ、ここのオバケどもも、なんとかしてやるよ」
「ふふっ、そうですねぇ。期待しておりますわ」
本来のヘザーが言ったところで、説得力など皆無だろう。
いや、そもそも幽霊駆逐宣言など、誰が言っても胡散臭い。
しかしこの破天荒娘が口にすると、なんだか本当になる気がするティナであった。