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32:こぼれ落ちそうな理性とナニか

 先に石から人間に戻ったのは、クライヴであった。

「おほぁっ……!」

 彼は人に戻ると同時に、目の前の眼福を理解した。一気に顔が赤くなり、うめき声のような感嘆のような、謎の鳴き声を発する。


 しかしこの鳴き声で、ヘザーも自我を取り戻した。

「えっ、あっ、うわっ」

 照れによって乙女スイッチが一斉点灯し、こちらも赤い顔であたふたと、体の前面を両腕で隠しつつ背中を丸める。


 恥ずかしがる様子までもガン見しそうになったクライヴは、両手で目を覆うとその場にうずくまった。

「頼む、早く服を、着て……くれ! 俺の、俺の理性が持つ内に、早く!」

「あ、うん、はい……ごめん、マジでごめん」

 この気持ちはヘザーというか高田も、痛いほどによく分かる……自分であれば、ぶたれるまで飽きずに見ていただろう。


「でも悪霊をブチ殺した時に、ガウンもタオルもおじゃんになったんだよ。ちょっと取って来てくんねぇか?」

「こっ、この状態の俺に、君の服を漁れとッ?」

 床に丸まったクライヴから、妙に甲高い悲鳴が返って来た。パンツじゃないんだからいいじゃん、と思ったのだが、クライヴ的にはガウンもギリギリアウトであったらしい。


 ならば彼の理性と良心を信じて、裸のまま部屋に戻るべきか――と、腰に手を当ててヘザーが思案していると、足元のクライヴがもぞもぞと動いた。

 そして顔を伏せ、縮こまった状態のまま、器用に己の紺色のガウンを脱ぐ。それを突き出してきた。


「とりあえず、これを着てくれ!」

「おおっ、助かるよ。ありがと」

 なんだかんだで紳士だよなぁ、としみじみ彼に感謝しつつ、差し出されたガウンを受け取った。そして羽織る。

 瞬間、ダンスで密着する時にいつもふわりと漂って来ていた、ベルガモットのいい香りにつつまれた。ついでに感じる、人肌のぬくもり。


(なんかこれって、クライヴに抱き締められてるみたいだな)

 条件反射でそう思いついた瞬間、今世どころか前世もひっくるめて自分史上最大級の照れくささならびに、甘酸っぱい感覚に襲われる。胸がキュン、どころではない。キュウゥゥゥンッである。

 思わず顔も、だらしなく緩んでしまった。


「ふぇっ……」

「どうした、何か言ったか?」

「なんでもねぇよ!」

 たまらずこぼれた声を相手に聞かれてしまい、つい怒鳴り返す。

 顔と言わず耳や、鎖骨の周りまで赤く染まった。ガウンを肩に羽織っただけのほぼ全裸なため、肌の赤らみ範囲がとても分かりやすい。分かったところで、だからなんだという話ではあるが。


 出来るだけ呼吸を控え、かなり乱暴にガウンを着こんだ。

 音や気配で、彼女の動きを察したらしく、ダンゴムシ体勢を維持しているクライヴが声を掛けた。

「その……もう、大丈夫か?」

「お、おう、大丈夫!」

 精神的にはキュンの過剰供給で死亡寸前であったが、半ばやけくそにそう返す。


 しゃがみ込んだまま顔を上げたクライヴだったが、一度大きく目を見開くと、勢いよく立ち上がった。顔はまだ赤い。

「どこが大丈夫だ! もっと胸元をしっかり閉じろ!」

 何かに耐えるような苦悶顔で怒る彼の視線を追っていけば、ガウンの合わせ目からこぼれ落ちる寸前の、己の推定Fカップが見えていた。我ながら、乱雑すぎる。


「サーセン……」

 しょんぼりと、ガウンの合わせを締め直した。これは全面的に自分が悪い。

 しかしこの棚ぼた風景すら甘受せず、きちんと指摘するクライヴの理性は鉄壁過ぎやしないだろうか。人外相手だと、紙装甲メンタルだというのに。


 ヘザーとの思わぬラッキースケベ・ハプニングもひと段落したところで、クライヴもようやく浴室の異変に気付いたらしい。陰気顔に戻り、眉を寄せている。

「何か爆発したのか? 先ほど、とんでもない騒音も聞こえて来たが」


 それを聞きつけて、既にベッドに潜り込んでいたクライヴは、わざわざ部屋を飛び出して様子を見に来てくれたらしい。

「ああ、なんかまた、ヤバそうなオバケが出た。しかも野郎のオバケだぜ? 無礼すぎんだろ」

「男ッ?」

 自分の入浴現場をのぞかれたわけでもないのに、クライヴが素っ頓狂な声を出す。


「大丈夫だったのか? 何もされていないか?」

「おお。しっかりぶん殴って、それでもくたばらねぇから、アーメンビームしてやったぜ」

 首に掛け直したロザリオに指を絡めて、ニヤリ。

「アーメン……? ああ、あの怪光線か」


 聞き慣れぬ単語に訝しげなクライヴだったが、ロザリオの十字架を見て意味を悟ったらしい。

「そう、それ。見物料代わりに、ちゃんとタマ取ってやったてワケ」

「相手は死者だが、そのような輩の命が見物料になるのか?」

「なんねぇと思うけど、でも金も持ってなさそうだったしなぁ」

 なにせ上半身は裸なうえ、肉も溶けている有様だった。現金があるなら、まず服を買うはずだ。

 売ってくれる店が、現世にあるかはともかくとして。


 女性としては屈辱的なことこの上ない目に遭いながら、己の力できっちり落とし前を付けている豪胆なヘザーに、クライヴも一瞬しょっぱい顔になる。

「うん。ともあれ、君に何事もなくて安心した」

「おう。アンタに思い切り裸拝まれたこと以外は、ちゃんと無事だから」

 嫌味っぽく笑えば、クライヴの頬が引きつった。


「あれはっ、事故だったんだ!」

「いやでもさー、風呂場だぜ? 普通はドア全開にする前に、一声かけねぇ?」

「君に何かあったのかと、俺も焦っていたんだ! そもそも、鍵も掛けずに入浴する君も、危機感が薄すぎる!」

「うわっ、やだなぁ。ソレ、責任転嫁じゃん」


 肩をすくめつつも、この無為むい過ぎるやり取りのおかげで、先ほどの気まずさが払しょくできたのは素直にありがたかった。

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