相も変わらず雪がちらついているため、バルコニーは無人であった。
激しい運動と、とんでもないときめきと、人生最大級の羞恥心でとにかく全身火照っていたため、この寒々しさが心地いい。
腰に手を当てて、粉雪ちらつく夜空を見上げる。そして大きく深呼吸。
(アラサーのオッサンが、同じくアラサーのオッサンにキュンキュンするって……いやでも、オレいま乙女だし、いいのか? あれ、いいのかも……いやいやいや! 落ち着けオレ、たしかにオレはヘザーだけどよ、同時にオレというアイデンディティもだな――)
「あれれぇ、フリーリング伯爵令嬢様がぁ、一人で何をなさってるんですかぁー?」
が、若干ろれつの怪しい声が、一人きりの
露骨に顔をしかめて振り返れば、見るからに飲んだくれている若い男性が三人。
二人は忌まわしい、『アビス』本編でヘザーを押し倒したクソ野郎である。もう一人は初見のツラだが、同類であることは、赤ら顔と千鳥足っぷりから明らかである。
(ってか、なんで一人増えてんだよ! そういうサービスいらねぇよ!)
たまらず、歯を見せて唸ってしまう。せっかく黒い影を蹴散らしたのに、そのご褒美がレイプ魔増量とは
中身は百戦錬磨の鬼ヤンキーだが、あくまで肉体は華奢で可憐な美少女であり。
しかもつい先ほど、悪霊相手に
そのような状態で酔っ払いとはいえ、自分よりずっとガタイのいい男×三体を相手にするのは……明らかに分が悪すぎる。
不利な状況を察して悔し気な彼女を、へらへら笑った
「さっきの踊り、すごかったねぇ」
「そこらの娼婦なんてもう、目じゃなかったよぉ! ソーホーでさ、荒稼ぎできるんじゃない?」
ロンドンにあるソーホー地区は、売春婦も多くいる歓楽街として有名な場所だ。
「そうやって、伯爵様にも取り入ったのかなぁ?」
「ああー、そういえば彼は……ああ見えて、案外遊んでいるという噂だしねぇ」
そう言って新顔が、いやらしく舌なめずり。思わず「※こいつはドスケベ野郎です」というテロップを入れたくなるような面構えだ。
ドスケベ・フェイスのまま、彼はまろやかなヘザーの胸へと手を伸ばす。
ヘザーがその手に噛みつくより早く、彼の背後から伸びた腕が、思い切り手首を掴んだ。
手首はそのまま、遠慮なく後方へと
ぎゃぉあっ!と新顔が悲鳴を上げて倒れ込むと、彼の手首を捻り上げたクライヴの姿が、ヘザーの視界にも入って来た。
普段の無愛想面が愛嬌たっぷりに思えるぐらい、彼は不機嫌かつ怒っている。
「彼女は当家の、大事な後継者だ。何の用がある」
いつもよりも倍以上低くなった声にも、隠すつもりもない怒気がはらまれていた。
酔っ払い御三家は青ざめて縮こまり、慌てて後ずさり。
そして口々に「ごめんなさい」「許して」と叫びながら、不格好な足取りで逃げ去って行った。
あわや性犯罪という危機から劇的に救われて、ヘザーは棒立ちだった。
忌々しげに酔っ払いを見送っていたクライヴが、呆けている彼女に向き直る。そのまま体を少しかがめて、ヘザーの顔をのぞきこんだ。
彼はいつものどんより陰気面かと思いきや、気遣わしげに顔をしかめている。
「ヘザー、大丈夫か? 何もされていないか?」
「お、おお……」
「また何かあるといけない。もう戻ろう」
「うん」
こくん、とうなずいた彼女の前に、手が差し伸べられる。ヘザーはおずおずと、彼の手を取った。
「ごめん」
「君は何も悪くない。無事でよかった」
クライヴは即座にそう断言した。修道院で初めて会った時と違い、彼の声はとても優しくて温かい。
手をつないでとぼとぼ歩きながら、ヘザーの胸のときめきは最高潮に到達していた。
「なぁ、クライヴ」
「うん?」
「アンタ、死ぬんじゃねぇぞ」
「え、何故急に。怖いんだが」
「ってか、オレが絶対死なせねぇからな」
「だから急に何なんだ! 俺には見えない何かがいるのかッ?」
あっという間にいつもの陰気面に戻り、震え上がるクライヴであったが。
ときめきで爆死寸前のヘザーは、絶対に彼を死なせないという、強い決意を意識することに必死であった。