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29:熱情のヤンキー殺法

 反応を見る限り、周囲の参加者に黒い影は視えていないようだが。

 それでも、人ならざる者が近くにいることを、本能が察して警戒するのか。

 奴らの進行方向から皆、示し合わせたかのように遠ざかっていく。

 あっという間にヘザーとクライヴは、異形たちに囲まれていた。

 劇中に現れたのは五体程度だったが、その二・三倍はいそうである。


「これは、一体……」

 ただでさえ陰気なクライヴの表情が青ざめ、死体一歩手前の有様である。このままではまた、生まれたてのヤギあるいはシカになってしまう。ヒツジかもしれないけれど。

「へぇ。こりゃまた、ずいぶんと来やがったな」

 対するヘザーの藤色の瞳には、ギラギラとした闘志あるいは殺意が灯っていた。


 そっとクライヴの首に腕を回し、耳元に顔を寄せる。

 艶やかな唇が、彼へささやく。

「せっかくだ。踊りながら、連中にヤキ入れてやろうぜ」

「えっ?」

 かすかに目を見開いたクライヴと、ヘザーの瞳がかち合った時。

 今まで踊っていたワルツから曲調が一転、情熱的でテンポの早いタンゴに変わった。


 重ねたままのもう片方の手を、ヘザーが一度ギュッと強く握る。

「アンタのリードで、連中に近付いてくれよ。オレが蹴散らしてやるからさ」

「いやっ、ちょっ、それは――、おいヘザー!」

 彼の裏返った声を置いてけぼりにして、ヘザーが大きくステップを踏んだ。


 彼女はクライヴを半ば強引に振り回しながら、周囲を取り囲む黒い影に肉薄。

 そして好戦的かつ扇情的な身のこなしで、容赦なくぶちのめしていく。

 高いヒールをものともせず、優美にターンしながら裏拳で。

 クライヴの体に足を絡ませつつ、蹴り飛ばし。


 そして彼に支えられながら、腕を伸ばして大きくのけぞる仕草と同時に目潰し。目があるのか分からなかったが、相手は消滅したのでよしとしよう。

 もちろんヒールで、踏みにじる技も忘れない。


 彼女の踊りは全くもって、令嬢の規格から大きく逸脱していた。

 いや、逸脱以前に令嬢という枠にそもそも入る気すらなさそうだ。

 しかし色香も魅力も力強さも、全てを開けっぴろげに魅せつける彼女に、周囲は呆気に取られながらもますます魅了された。


 最初は彼女の奔放さで後手に回っていたクライヴも、徐々にリズムに乗り始め、ついには軽やかなステップで上手くヘザーを誘導するようになった。

 そうする内に彼の表情がほぐれる。軽々とヘザーをリフトして、回し蹴りをサポートした。


 ヘザーにかすり傷すら負わせられず、どんどん消滅していく影たち。

 一方、連中を倒せば倒すほど輝く笑顔になる彼女と目が合い、クライヴはとうとう破顔した。


「はははっ! 君は本当に、無茶苦茶だな」

「なっ、急に、なんだよ……」

「すまない」

 言葉では謝りつつも、笑顔に甘さが混じる。

「俺が長年怯えていた連中を、君が軽々と消し去っていくのが、ついおかしくてな」


 同時に二人の踊りも、ますます息が合い、そして熱を帯びた。

 クライヴの満面爽やか笑顔を至近距離で見つめ、踊りで火照っていたヘザーは脳内も沸騰。クラクラと、酩酊めいていするような夢心地になる。

 夢心地状態でも、もちろん敵への攻撃には容赦も隙もない。


 そうして最後の一体に肘打ちすると同時に、曲が終わった。

 黒い影が一掃されたダンスホールに響き渡るのは、割れんばかりの拍手と歓声だった。

 まだ跳ねるような呼吸のまま、ヘザーとクライヴは見つめ合う。いつもは深く陰鬱な彼の瞳も、今は夏の森のようにキラキラしている。


 ――と、踊りの余韻で、整えていたはずの彼の前髪が崩れていた。ヘザーがくすりと笑って、その髪をそっと持ち上げる。

 額に触れる、彼女の指の感触に目を細めたクライヴが、顔を近づけた。

 ヘザーも無意識に目を薄く閉じ、彼を待つ姿勢に入る……ギリギリ寸前で、なんとか我に返った。


「まっ、前髪ぐらい、てめぇで上げろよな!」

「いてっ」

 思わず彼の眉間に手刀を打ち込み、慌てて距離を取る。

 顔面への痛打で、クライヴも思い切り衆人環視しゅうじんかんしの場であることを思い出したらしい。なんともばつが悪そうに、視線を斜め下に落とす。今さら過ぎないか。


「……すまない。本当にすまない、どうかしていた」

「おお、いや、オレもなんか、のぼせてたし、うん……」

 先ほどまでは悪意百パーセントだった周囲の視線が、妙に生暖かい――どころか超優しい気がするのだが。

 頼む、頼むから気のせいであってくれ。自意識過剰であってくれ。


 彼らをにらむ気概なんてごっそり失われていたヘザーは、とぼとぼと、ダンスホールの窓側に設けられたバルコニーへと足を向けた。

「オレ、汗かいたからちょっと、外で涼んで来る」

 そこはかとなくしょんぼりする華奢な背中に、一瞬躊躇しつつも、クライヴは声を掛けた。


「あ、ああ、分かった。飲み物を取って来るから、そこで待っていてくれ」

「おおー」

 ここで無視するのも申し訳ないと思い、背中を向けたままではあるが、右こぶしを上げて返事をする。


 しかし顔は見れなかった。

 先ほど初めて知った、彼の甘やかな笑顔がまだ、脳裏に焼き付いていた。

 今、下手にクライヴを見ようものなら、何か口走ってしまいそうで怖い。

 たとえば「素敵」や「カッコいい」など。


 言ってしまったら最後、ヘザーはその場で日本男児らしく割腹かっぷくなるエクストリーム自殺をするより他ないだろう。

 いや、現在の肉体はイギリス女児 (という年齢でもないが、便宜上女児とする)なので、もっとイギリスらしい死に方を考えるべきだろうか。

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