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26:ポップの王様にはまだ早すぎ

 翌日から早速、ヘザーのダンス練習が始まった。

 ただの伯爵家のごくつぶしかと思いきや、クライヴも一応仕事があるらしい。

 そういえば――あんな人間性に関して大いに難ありの性格だが、ビルのオーナーであったか、と遅れて気付く。


 あれで入居者と、円滑にやり取り出来ているのだろうか……という不安はさておき。クライヴの事務作業がひと段落した後、晩餐までの間に練習が行われることになった。


 練習場所は、お披露目パーティーの会場にもなる一階のダンスホールだ。

 床に真っ白でツルツルに磨かれた石が敷き詰められたそこは、ドームのような半球形の形をしている。床の石は大理石だろうか。キラキラとした輝く粒子が内包されている。


 ダンスホール内部は現在、吹き抜けの天井から吊るされた大きなシャンデリア以外は何もない、だだっ広いだけの空間だった。もちろん、黒い影の姿も気配もない。

 ということは、当日夜はわざわざヘザーを狙うために出現したということか。

 おそらく悪魔は、霊の出現場所やタイミングさえも左右できるのだろう。


(今のうちにれてたら楽だったのになぁ、ちぇっ)

 がらんどうのホールを見渡し、悔しそうに唇をすぼめたヘザーの姿に首をひねりつつ、

「それで、君のダンスの知識や技量はどの程度なんだ?」

元来が合理主義であり、割とせっかちでもあるクライヴが早々に尋ねた。


 ヘザーも考えても仕方がないことは放棄する。元々、小難しい考え事は苦手なのだ。

 代わりに腰に手を当て、クリスタルガラスがキラキラ輝くシャンデリアをにらむ。幼少期から死ぬまでの、高田自身のダンス遍歴へんれきを思い返した。


 ちなみにガワことヘザーに関しては、そもそも男性と手をつないだことすらないので、論外の更に外である。


「うーん……社交ダンスは、観たことしかねぇな……あ、『スリラー』なら踊れるぜ」

 ぴん、と閃いた笑顔のヘザーに対し、クライヴは面妖なしかめっ面になった。


「うん? 怪奇小説スリラーを踊るとは、どういうことだ? 何か小説を原作にした歌劇でもあるのか?」

「いやいや、そういう小難しいのじゃなくてよ。こういうの」


 祖母の影響で好きだったマイケル・ジャクソンの、伝説のミュージックビデオを思い出しながら、その場で仁王立ちになる。

 素早く腰を動かしつつ、華麗に足をさばいて左右にステップ。

 そしてゾンビよろしく掲げた両手で、バッ!バッ!と辺りを威嚇しつつ前進した。


 この光景を、クライヴは極めて虚無に近い表情で見守っていた。ヘザーの付き添いとしてホール隅の椅子に座るティナに至っては、唖然としている。

 しばらくして、腕組みしたクライヴが陰鬱な声で宣告した。


「分かった、もう十分だ。そしてそれは金輪際、二度と踊るな」

「はぁっ? なんでだよ!」

「どこからどう見ても、邪教の儀式だ。これ以上この屋敷に、胡散臭いものを持ち込むな」

「ぐぬっ……」


 ホラー映画テイストのミュージックビデオならびにダンスであるため、言い得て妙である。

 やはり時代を先取りし過ぎたか。

 まあ、軽く見積もって七・八十年程度の先取りであるため、邪教認定されてもやむなしかもしれない。


 しかしまさか自分が『バック・トゥ・ザ・フューチャー Part1』での、マーティの気持ちを思い知る羽目になろうとは。

 ただ彼が、過去の世界で披露したギターテクは、後世に生まれた高田から見てもアグレッシブ過ぎたけれど。


 マーティに軽く共感したところで。諦めて、素直にこの時代の正統派ダンスを覚えることにした。

 酷く渋々の、ふてくされた顔でクライヴと向き合って立つ。

 すると自然な動作で、右手を取られた。彼の、貴族男性とはとても思えぬ皮膚の厚い、大きな手に自分の白い手が包み込まれる。

 そして腰にも、彼の手が添えられた。


 手と腰に伝わる温度に、向かい合って改めて感じる背の高さに、思わず体が強張る。

「……っふぉ……」

 間抜けな悲鳴がほんの少しまろび出たが、途中でどうにかこらえた。


 一方のクライヴは、やはり踊り慣れているのだろう。平然として、

「基本のステップを先ずは覚えろ。今から俺の動きを真似するように」

そう淡々と指示して来る。

「……へーい」

 若干それに腹を立てながらも、「嫌味な金持ち連中の鼻を明かす」という性悪な目標を打ち立てたヘザーは強かった。


 滑り出しは順調で、やすやすと基本のステップを覚え、すぐにもう一歩高度な技術へと授業は進んだ。

 しかし、踊り続けて体を動かしていれば、当然体温も上がって来るので。

 外は相変わらず一面の雪景色だというのに、ヘザーは少し汗ばんでいた。


 自分は臭くないだろうか、とスメハラに敏感な日本人らしい心配をする彼女の鼻孔に、思いがけずベルガモットのいい香りがした。凛とした、爽やかな香りである。

 出処は当然、目の前の根暗男であるのだが、これは想定外過ぎる。

 ときめきを通り越して、猛烈な動悸・息切れに襲われた。顔ももちろん真っ赤に茹だる。


「ぐぅっ! こんなエチケットまで行き届いてやがるなんて……さすがはクソボンボンだ!」

「それは褒めて――いないな、絶対。前々から言っているが、君は割と理不尽だな」

 どんよりジト目で見据えられるが、それどころではなかった。むしろ嫌味ったらしい口調にすら、不測のキュンッを覚える始末である。


 しかし運動 (とそして金銭)が絡むと、途端に物覚えのスピードが倍速になるヘザーなので。

 喉から手が出るほど「生薬製剤 救心」を欲する状態でありながら、あっという間に一曲踊れるまでに上達した。


「ヘザー様、とっても記憶力がよろしいんですねぇ」

 のほほんと練習風景を見学していたティナが、我が事のように喜び、小さく拍手を送る。

 立ち止まったクライヴは、彼女の賞賛に一つうなずいて同意。だがすぐに、首の後ろに手を当てて仏頂面となる。


「物覚えがいいのは結構だが、もう少し優雅に踊れないのか?」

 こちらの心中などお構いなしのダメ出しに、つい力いっぱい床を踏みしめた。そして真下から、彼をねめつける。

「あァ? んだよ、キレッキレに踊ってるじゃねぇか!」


 暗い目のまま、クライヴはピンと立てた人差し指を左右に振った。チッチッと、小さく舌を鳴らしつつ。

「それが駄目なんだ」

「はっ?」

「社交の場に、切れの良さは求められていない。君はとにかく、穏やかな優美さを心がけろ」

「……うへぇーい」


 肩を落として白けながらも、今度はクライヴと、すっとろく踊ってみる。これはこれで、難易度が高い。

 しかしクライヴのお小言は、これだけでは終わらなかった。

「それから、笑顔も作れ。先ほどから妙に顔が強張っている」

「てめっ、誰のせいで……ってか、アンタも笑顔作れよ。ずっと陰気なツラじゃん」

 自分はニヤリと笑いつつ、流し目で彼をあおる。


「……」

 沈黙の末、クライブの口角が持ち上がった。

 が、力み過ぎているため、ほうれい線に謎のしわが浮き上がり、何故かあごもせり出て来た。見事な受け口だ。

 あんまりすぎる作り笑いに、ヘザーはたまらずむせた。


「ひっでぇなぁ! アンタ、お貴族サマなのに、笑った顔めっちゃブサイクなんだな!」

「うっ、うるさいっ!」

 耳まで真っ赤になって、クライブが怒鳴る。本人にも、おブスな笑顔という認識はあるらしい。


 じゃれ合っている、としか表現できない仲睦まじい様子に、

「あらあらぁ」

こっそり呟いたティナは、一人ほっこり微笑んだ。しくも、このホール内で一番自然な笑顔である。

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