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22:なんか出た

 伯爵夫人と思しき女性の霊が、ヘザーのドレスに掴まりながら迫ってくる。場数を踏んでいる彼女ですら、思わず怖気おぞけを覚える光景だった。

「うえぇっ」

 たまらず右足を素早く振り上げて、女性の顎を蹴り飛ばす。のけぞった彼女が骨むき出しの手を離した隙に、ヘザーも飛び退すさって距離を取る。


 そのヘザーを庇うように、クライヴが前へ躍り出た。

「おい、アンタ何して――」

「今の内に、君だけでも逃げろ」

「はぁっ?」

 ヘザーが目をむく。


 しかしクライヴは至って本気らしく、彼女に背を向けたまま、握りこぶしを作って臨戦態勢に入っていた。

 ――なのだが。

 長年培われて来た、化け物への恐怖心は未だ健在のようである。腰から下の、特に膝付近が、大層リズミカルに震えまくっていた。


 それでもへたり込まないのは、紳士あるいは年長者としての矜持きょうじの成せる業か。

 紳士としては立派な心がけと言えるものの、この場においては残念ながら邪魔者あるいは、戦力外でしかない。


 そのためヘザーは腰に手を当て、いたって冷ややかな目をたくましい背中に注いでいた。

「いやアンタ、無理すんなよ」

「む、むむむっ、無理など、俺は」

「だって下半身、ヤバいことになってんぞ。生まれたてのシカじゃん。バンビじゃん」


 細い指が、前後左右にブレまくる両足を指さす。

 裏庭では子ヤギになっていたし、彼はよくよく偶蹄目ぐうていもくの赤ちゃんと縁があるらしい。


「だからさ、ここはオレに任せとけって」

 クライヴの背後にぴたりとすり寄り、ヘザーはいっそ優しくささやいた。そのまま彼の膝裏を自分の膝で突いた。

 いわゆる膝カックンというやつである。


「ぅおっ」

 突然の膝への一打に、クライヴの引き結ばれた口から間抜けな声が漏れた。

 しかしリズミカル&シェイキングな膝から崩れ落ちる姿の方が滑稽だったので、ある意味問題なしだ。


 なんとも無様に倒れ込み、そのまま四つん這いになったクライヴの右隣を通る時、ヘザーは彼ににんまり笑いかけた。

 不敵でふてぶてしいが、凛々しさとそして清らかさもある笑みに、クライヴの双眸そうぼうは吸い寄せられる。彼女のことを美しい、とすら思っていた。

 ぼんやり己に見惚れる彼を隠すようにして立ち、ヘザーは再度伯爵夫人の霊と対峙する。


「よぉ、姉ちゃん。オレの蹴りで消えなかったことは、褒めてやるよ」

 あえて尊大に言って、霊を煽る。

 死んでいると理性も機能しなくなるのか、夫人は顎が外れんばかりに口を開き、一つ吠えた。

 そのまま両手を突き出して、ヘザーに突進する。


 ヘザーは軽く体を捻って突撃をかわしつつ、横っ面を思い切りぶん殴った。

 霊体になっても体幹が強化されるわけではないらしく、夫人は打撃の勢いを全く殺せずにそのまま吹き飛び、床を二度・三度と転がった。


 しかし、一向に消滅する気配はない。

 すぐに起き上がり、こちらを威嚇するようにねめつけてくる。

 おまけに相変わらず血まみれの、たいへん食欲を減退させてくれるビジュアルのままだ。 


「チッ、やっぱザコとは違うか」

 先制キックを与えた時から薄々感じていたが、どうやら自室に現れた霊や人面ヤギよりも強いらしい。

 こちらはバンビ坊ちゃんを抱えているというのに、荷が重い相手である。


 おまけに殴られて、夫人はますます怒り狂ったらしく、天井を仰いで大音声だいおんじょうで叫んだ。人のものとは思えぬ、こちらの戦意を丸ごと消失させるようなおぞましい声だ。


「ひっ……」

 対するクライヴの悲鳴の、なんともか細いことよ。

 夫人の咆哮ほうこうに呼応するかのように、部屋中の家具が小刻みに震えだす。


「おいおい、何しやがんだよ」

 げんなりとぼやくヘザーの期待に応えてか、チェストやベッドたちが浮かび上がり、そのまま部屋中をぐるぐる旋回した。ポルターガイストだ。


「あぶねぇ!」

 こちら目がけて飛んできたチェストを、クライヴの首根っこを引っ掴みつつ、間一髪で避ける。

 このままでは、あのバカでかいクローゼットまたはベッドで圧死確実である。


 ヘザーは本棚の圧力にも耐えられる頑丈ボディだが、超高速で回転しているキングサイズのベッド(※天蓋付き)に耐えられるかは、未知数だ。

 更に言えば、劇中で女性のナイフがやすやすと刺さってしまう、紙耐久力――いや、一般的な耐久力のクライヴならば、即死確実である。


 まずい、これは非常にまずい。

 辛うじて戦意を維持しつつも、ヘザーの背中に焦燥感しょうそうかんが這い寄る。


 その時自分の左目を狙って、手裏剣のような何かが回転しながら飛んできた。無意識にそれを捕まえてから、飛んできたものの正体に気付いた。

 手裏剣と勘違いした何かは、先ほどまで壁に飾られていた十字架だった。もちろん十字架の表面には、半裸のおじさんことイエス・キリストの人形も付いている。


 手の中の十字架を目にした瞬間、脳裏に閃いたのは霊媒探偵ライダーの必殺技であり。

「クソったれ!」

 叫びながら、破れかぶれにヘザーはそれをかざした。


 あんなファンタジックな技を、まさか自分が出せるとは思えない。

 だが一応、ガワの方はシスターだったのだから、せめて相手を怯ませるぐらいはできないか、と考えてのことだったが。


 はりつけにされたアンニュイ顔のイエス・キリストが、夫人の霊と向かい合った途端。

 十字架全体が、白く光り出した。


「えっ?」

「は……?」

 ヘザーとクライヴが、とぼけた疑問符を吐いている内にも光はみるみる強まり、金色のビームが発射されたのだった。

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