気が付けば周囲は、かび臭い夫人部屋に戻っていた。
黒い煙が生み出した悲劇の光景に、二人はしばし無言となる。
「……何だったんだ、今のは」
ややあって、かすれた声でクライヴが呟く。その顔色は、真っ白だ。
放心状態の彼の手から日記帳を引っこ抜き、ヘザーはページを無造作にめくった。しかし、あの煙はもう発生しなかった。
どうやら一回こっきりの怪奇現象だったらしい。ヘザーは無念そうに唇をすぼめつつ、持論を語る。
「さっきのは、残留思念とかなんじゃねぇかな」
「残留思念とは?」
聞き慣れぬややこしそうな単語に、クライヴは陰気顔で首をかしげた。
「モノとか場所に残る、人間の記憶のことらしいぜ。この日記帳の中に、書いた本人――あのド派手なドレス着た姉ちゃんの、記憶が残ってたんじゃねぇかな、きっと」
オタクの友人に勧められて以前読んだ、超能力モノのマンガで仕入れた単語であったが、幸いクライヴの腑に落ちたらしい。
彼は腕を組み、ふむ、と納得している。
「なるほど。つまり先ほどの幻影は、当事者である女性の記憶に基づいており、実際に起きた出来事であると」
「おう。たぶんだけどな」
「確かめようもないのだ、事実であったとしよう。またそうなると、この屋敷の異常現象の原因が、伯爵らしき男性が最後に行った儀式にあるとも考えられる――というわけだな?」
「だろうな。だってなんもしてねぇのに、人面ヤギがいる方が無理あるだろ」
「それもそうだな……しかし、あの男性は一体何を行ったというんだ」
そう言って、クライヴは低くうなった。
元軍人であるためか、はたまた意外に苦労人なためか。地に足ついた現実的な思考回路の持ち主であるクライヴには、おそらく一生出てこないだろう。
悪魔を呼び出す、なんて荒唐無稽な発想は。
そんな彼と日記を交互に眺めつつ、ヘザーは密かに興奮していた。
(こんな裏設定まで、ちゃんと用意されてたのかよ! さすがはフーパー監督だぜ!)
映画の中では、悪魔が何故フリーリング家に取り憑いているのかについては、一切描かれなかった。
あくまでも主軸はヘザーの転落人生であるので、その辺りの枝葉はものすごーく割愛されているのだ。
劇中で提示されているのは、フリーリング家当主には代々悪魔が取り憑いており、屋敷はバケモノと怪奇現象の玉手箱状態、という二点のみだった。最悪の玉手箱である。
上映時間は限られているし、あれもこれも盛り込んでいては、駆け足展開になってしまうだろう。枝葉を最低限に刈り取った
だがファンというものは、そういう枝葉にこそ重要性を見出す、少し狂った生き物であり。
ヘザーは、多くのファンが知らないであろう裏設定に触れられたことに、思わず頬を紅潮させるのであった。
また、こういった裏設定も加味すると、当作にも『霊媒探偵ライダー』シリーズのようなミステリー要素を感じ取れたのも、嬉しい発見だった。
劇中で怪異の説明がほぼない、不条理ホラーとも言える『フロム・ジ・アビス』とは異なり、『霊媒探偵』では謎解きも重要な要素だった。
B級とはいえ、タイトルに『探偵』を冠している自覚はあるのだ。
まぁ、毎回かなり強引な手法を用いて怪奇現象の原因を探り――否、物理的に
強引ではありつつも、B級ホラー×コメディ×謎解き×耽美クリーチャーの四拍子が、高田と祖母を含めた全世界の(物好きな)ファンを魅了していた。
中でも非常に安上がりな演出で繰り出される、ライダーの必殺技・アーメンビームのダサかっこよさは、一周回って憧れてすらいた。
冷静に考えると、スーツ姿のマッチョがハリボテ感満載の特大十字架をかざして、そこから蛍光色の極太ビームを放つ光景は、至極奇妙なのだが。
見ているとその奇妙さをカッコ良さと勘違いしてしまう辺り、やはりフーパー監督は天才だったのだろう。
(せめて死んじまう前にもう一回、シリーズを一気見しときゃよかったなぁ)
などと、思考が完全に横道に入るヘザー。
彼女のそんな、集中力のなさをたしなめるかのように。ヘザーのサーモンピンクのスカートが、不意に二度ほど引っ張られた。
「ん?」
完全に上の空状態だったヘザーは、無警戒に視線を落として
「うぉっ」
「どうし――うわぁ!」
低く唸った彼女につられて下を見たクライヴが、大声で後ずさった。
ヘザーのスカートを引っ張っているのは、床にうずくまる血まみれの女性だった。
血まみれ、というのは少し
正しく述べるならば、顔の右半分が抉り取られ、そこから血が噴き出ている女性だった。色々丸見えにはなっているものの、肝心の顔立ちはよく分からない。
しかし女性が着ている、風船みたいにスカート部分が膨らんだドレスには見覚えがある。
先ほどの残留思念に出て来た女性も、丁度同じドレスを着ていたのだ。