その後、二人は屋敷に戻って揃って朝食を摂り、その後改めてクライヴの養母が使っていた伯爵夫人の部屋へと向かうことにした。
予想していたことだが、ダニエルは食堂に現れなかった。
代わりにダニエルの秘書を務めるシェリーが現れ、
「伯爵様は体調が優れないため、自室でお食事を摂られるとのことです。お二人はこちらで、ゆっくりお召し上がりください」
そう言って、深々と頭を下げた。
劇中において、シェリーはヘザーの数少ない味方二号だった。
ちなみに三号はおらず、ここで打ち止めである。
ダニエルの忠実な部下である彼女は、いつでも彼の言葉を信じ、彼の選んだヘザーをも信じてくれるのだ。
ただ今は目が合うと、若干ビクつかれた。さり気なく、
ダニエルへの殺意満点タックルが、まだ尾を引いているのかもしれない。
彼女には悪いことしたなぁ、と心の中で詫びつつ、元気に朝食を平らげた。
運動後のご飯は、いつの時代もやはり美味しい。
パンと豆のスープにサラダ、そしてスクランブルエッグという、一般的に想像される貴族の朝食と比べると、少々地味かもしれないが。
元々祖母の作る茶色い薄味料理が好きだったので、高田としては特に問題もない。
その後、ティナには「クライヴに屋敷を案内してもらう。ついでに伯爵家の、ちょっと
フリーリング伯爵邸は南北に広がっており、二階の南側にはヘザーやクライヴの部屋がある。元々は子供部屋があった区画らしい。ヘザーの部屋の色調が愛らしいのは、その名残だろうか。
そして北側には書庫を改造した、ダニエルの部屋がある。本来の当主の部屋は中央部分にあるが、薄暗い部屋の方が療養に向いているという理由で居を移したようだ。
無人である当主の部屋の隣に、夫人の部屋があった。
特に厳重な施錠がされているわけでもなく、前を通りかかるだけならば、当主の部屋や客室とも違いがないように思える。
だが一度足を止め、飴色の扉の隙間から漂う空気に意識を向ければ、たしかに他とは異なる薄気味悪さを感じ取れた。
ふん、と鼻を鳴らしたヘザーが胸を反らす。
「明らかうさん臭ぇな。よっしゃ、中入ろうぜ」
そう言って右こぶしを、パチンと左手に打ち付けた。ガンガン乗り気な彼女の横顔を、腕組みしたクライヴがしかめっ面で見下ろしている。
「ちょっと待て。君には羞恥心や危機感はないのか?」
「あ?」
「ティナも言っていたが、未婚の女性が男と二人きりになるべきではない。ここは俺一人で入る」
「え、アンタこんな朝も早くから、おふくろさんの部屋で美少女にナニかするつもりなの? お盛んすぎねぇ?」
「するわけないだろう!」
思わずがなったクライヴは、ややあって決まり悪そうに、首の裏へ手を当てる。
「それから、自分で美少女と名乗るな。危機感と併せて、
「おお、善処するわ。でもさ、危機がねぇのに危機感は持てねぇよ」
肩をすくめて、ちろりと不穏さ漂う扉を見た。そして不敵に口角を持ち上げる。
「それに、アンタよりバケモノの危機の方がやべぇだろ? だったら頭数だって多い方がいいじゃねぇか。人面ヤギ程度なら、オレがやっつけるしさ」
異形殺しの実績を図らずも見せつけたおかげで、この説得は効果てきめんであった。
しばらく苦み走った暗い顔で黙考していたクライヴだったが、化け物への恐怖心が倫理観を上回る。
「……何かあれば、深追いせずすぐに退出するぞ。念のため、扉も開けておけ」
「おう」
鷹揚にうなずくと、強張った表情のクライヴが前に出る。
ドアノブ下の鍵穴に、装飾過多な鍵を差し込んだ。回すとカチャリ、と小さな音がする。
次いで真鍮製のドアノブに手を伸ばす。緊張しているのか、彼は呼吸をするのも忘れているようだ。
長らく主が不在となっている夫人部屋だが、扉は軋むことなくすんなり開いた。
また室内も、高級感と重厚感のある家具がそのまま残された、伯爵夫人に相応しい華美な部屋だった。壁に飾られた、逆さ向きの十字架だけがなんとも不穏だったが。
一方で部屋の空気は、ヘザーが思わず鼻を手で覆ってしまうほど、湿った悪臭をはらんでいた。
「なんだよここ……カビ臭ぇなぁ。ウン十年閉め切ってんのか?」
「いや、伯爵家の優秀な使用人たちが、定期的に換気や清掃を行っているはずだ」
クライヴも高い鼻にしわを寄せつつも、壁際のキャビネットの天板を指で一つ撫でた。たしかに埃一つ付かない。
「にしちゃ、キノコ生えてそうなぐらい、ジメジメしてんなぁ……やっぱなんかいるんだろうな」
彼の隣に立って、ピカピカに磨かれたキャビネットを眺めていたヘザーだったが、そのまま躊躇なくキャビネットの
次いで一気に、ガツンと全開にする。
「えっ」
隣の美少女が突如おっぱじめた凶行を見て、クライヴに出来たのは、吐息みたいな声をもらすことだけだった。
呆気に取られる彼を捨て置き、ヘザーは次から次へと抽斗を引っ張り出し、中身を漁りだす。
ようやくクライヴが我に返った時には、ヘザーはキャビネットの家探しを終えて、次はドレッサーに突撃していた。熟練の空き巣のような、無駄のない荒らしっぷりだ。
慌てて彼は、ヘザーの細い肩を掴――もうとするも、一瞬躊躇。結局、軽く手を載せるに留めた。
「ちょ、ま、待て! 何してるんだ!」
「え? 家探しだけど?」
いっそ無邪気な表情で、ヘザーは小首をかしげる。
「家探しっ?」
「おお。ほら、バケモノがウジャウジャ出て来る原因とか、あんたの親御さんとか兄貴の恥ずかしいナニカがさ、見つかるかもしれねぇじゃん」
「後者は関係ないだろ、そっとしておいてくれ!」
無垢な顔から一転、ヒヒヒッと悪魔的に笑う彼女に、クライヴはぞっとした。
「なんだよー、オレだって伯爵家の一員になったんだから、家探ししてもいいだろ」
唇を尖らせたヘザーが、ドレッサーの抽斗を開けると宝石箱があった。一抱えほどある、大きく
ぱかり、とそれを開けると空だった。
なのだが何か、違和感がある。
「……んん?」
その違和感を追及すべき、とヘザーの野生の勘が指示した。
宝石箱をあちこち撫で、傾け、顔を近づけ、違和感の理由に気付く。
「あ、これ、上げ底になってんじゃん」
「上げ底?」
これにはクライヴも食いつき、ヘザーに並んで宝石箱をしげしげ眺めた。
そんな彼を見上げて、ヘザーは疑問点を説明した。
「ほら、ここ。外から見ると高さあんのにさ、開けたら思ったより深さがねぇっていうか」
「たしかに……あ」
彼が手を伸ばして、ベルベット張りの内底を探るように触れていると、底板がかすかに浮いたのだ。
そのまま内底の縁に爪を引っかけて、その板を外す。
上げ底の中に隠れていたのは、宝石箱に負けず劣らず派手な装丁の、一冊の分厚いノート。
「これって……」
「日記帳、か?」