園丁の休憩用だろうか。
裏庭の薪小屋の近くには、無骨な作りの木製ベンチがあった。
クライヴはそこに積もった雪を手で払い落すと、薪小屋の扉に引っかけていたコートを座面に広げる。
そしてヘザーに、そこに座るよう指し示した。
「いや、ダメだろ。アンタのコートが汚れんじゃん」
すかさずヘザーはそう拒んだ。可愛げゼロ%である。
次いでティナから返してもらった、赤いケープを再度脱ぐ。それをクライヴのコートの代わりに、座布団にしようとするが、
「俺のコートよりも、そのケープの方がよほど高級品だ」
少し血の気が戻った暗い顔で、ぼそぼそと返された。
「……まぁ、そこまで言うなら。ありがと」
ご令嬢扱いがなんとも気恥ずかしいものの、素直に座ることにした。ここでゴネるより先に、聞きたいことがあるのだ。
じっとしているとさすがに冷えるので、ケープも羽織りなおす。
クライヴも、少し距離を置いてベンチに座った。
強張った彼の横顔に、ヘザーは出来るだけ軽い声音で話しかけた。
「で、アンタはあの変なヤギ……ヤギ? いやオッサン? まあどっちでもいいか。とにかくアレ、視えてたんだよな」
そう言ってちろりと横目で見上げると、彼はむっつりと前をにらんだまま、うなずきを返してくれた。
「ああ。ヤギだけじゃない。視たくもない存在がずっと……ここに引き取られた頃から、視えていた」
「うわぁ。そりゃ、アンタが根暗になるワケだわ」
ヘザーとしては心底同情しての言葉だったのだが、クライヴは大層ムッとした様子だった。思い切り眉をしかめている。
が、自分でも陰属性である自覚はあるようで、特に反論もなかった。
クライヴが伯爵家に引き取られたのは、十歳の時だった。
両親が事故で亡くなった際、建前上は「病弱な跡取り息子の話し相手やサポート役」、本音では「いつ死んでもおかしくない実子のスペア」として、彼はここの次男坊になったという。
だが、その時から屋敷の敷地内には人面ヤギのような、異形の存在が
子供だった彼は当然怯え、周囲に助けを求めたが、誰も真剣に取り合ってくれない。彼以外には、何も視えていなかったのだ。
それどころか「少し頭がおかしいのでは」「自分に構ってほしくて嘘をついている」と、クライヴ自身に問題があるかのような対応をされた。
居づらくなった彼は、遠くの寄宿学校に入学して、在学中は寮生活を送った。
卒業後も軍に入って国外に出たりと、ひたすら屋敷を避け続けて現在に至っているという。
「伯爵サマも、ガキの頃から視えてなかったのか?」
「ああ、兄上からそんな話を聞いたことはない。屋敷では時折、ひとりでに物が動いたりするとは言っていたが。不思議がるだけで、怯えている様子もなかった」
「大らかすぎねぇか?」
かつての、悪魔が憑依する前のダニエルの無頓着さに、ヘザーは思わず笑ってしまった。
クライヴも否定はせず、肩をすくめるに留まった。
「たしかに
「そっか」
どうやら、顔よし・体力よしの優良物件であるクライヴが憑依先に選ばれなかったのは、これが原因か。
こんな好条件の引っ越し先が近くにいるのに、どうしてわざわざヘザーを選んだのかと、初めて映画を観た時から疑問だったのだ。
クライヴが悪魔そのものに気付いている様子こそないが。なるほど、物理的距離を取られ続ければ、悪魔とて手出しは難しい。
彼の防衛本能が、悪魔の
その結果、悪魔は貧弱なことこの上ない現伯爵に憑依せざるを得ず、すぐに次の生贄を探す羽目になったのだから、ざまぁみろだ。
――いや。
クライヴの目がそこまでよくなければ、そもそも自分が巻き込まれることもなかったのでは?
むしろ自分こそが、「チクショー!」と叫ぶべき立場なのでは?
思わず据わった目で、じっとりとクライヴを見上げた。
突然の鋭い眼光に、彼ものけぞる。
「何故、急に睨むんだ」
「いや、アンタは全然悪くねぇんだよ、むしろ偉いんだけど……なんかこう、クソッタレ!って思ってな」
「だから何故なんだ! 君、結構理不尽だな!」
たまらず声を張り上げたクライヴは、大きなため息をつくと頭を抱えてうなだれる。さすがに義理の姪の言いがかりが酷すぎて、会話を放棄したのかと思ったが、違った。
彼はその体勢のまま、弱々しい声でつぶやいた。
「……ずっと、俺の頭がおかしいのではないかと、心のどこかで不安だった」
長年の苦しさのにじむ声音に、ヘザーは渋い顔で遠くに視線を向けた。
「いや、視えてんのはオレとアンタだけっぽいから、やっぱおかしいのかもよ?」
「そうだな、うん……」
「でも二人もいたらさ、ちょっとだけ安心だよな」
うつむくクライヴの頭が少し斜めに持ち上がり、ヘザーをうかがう。白い歯を見せ、彼女は少し子どもっぽく笑いかけた。
「ほら、一人で学校サボるとちょっと心細いけど、みんなでサボったらめちゃ楽しいだろ?」
クライヴはジト目を更に細め、しょっぱい顔になる。
「授業を抜け出たことがないのだが」
「マジメかよ」
呆れ顔のヘザーに、何故自分が呆れられるのかという疑問を抱きつつ、クライヴは身を起こした。
「ただ、なんとなく、言わんとすることは分かる。楽しい気持ちも、少しは分かるかもしれない」
「そりゃよかった」