「薪割りのお手伝いは、それとして。ヘザー様を、叔父様とはいえ殿方と二人きりにさせるわけにはいきません。わたしもこちらに残りますぅ。」
労働に関しては折れてくれたティナだったが、この時代の価値観として、そこだけは譲れないらしい。先に屋敷に戻ってもいいよ、と伝えても首を左右に振るだけであった。
ヘザーとしては仮に襲われたとしても、確実に一矢報いる気満々だ。この手にある得物で。
そしてクライヴも、こんなヤツと間違いを犯してたまるか、全身から不本意と不機嫌を発散していた。だが
「君の言い分ももっともだな」
と、言葉の上ではティナに同意。不本意ではあっても、この時代の道徳観は優先できるらしい。
女性に無理強いするのが苦手な性分であるヘザーも特に抗弁せず、小さく
「ティナもコレが仕事だもんな……じゃあ悪いけど、コイツ持っててくれねぇか?」
自分の羽織っていた赤いケープを脱いで、ティナに被せた。
「ほぁっ?」
彼女は小さく叫んだ。自分では一生縁がなさそうな高級品に触れてもいいものか、とわななく両手が無意味に宙を
「ヘザー様、こ、こ、こちらはっ……あの、わたし」
「こんなの着て動いたら、暑いしさ。汚しそうだし、代わりに着ててくれよ」
そんな言葉とヘザーの屈託ない可憐な笑顔に加え、ケープから漂うフローラルな香りにたまらず、ティナは陶然とうなずいた。
「は、はぃぃ、大事にお預かりいたしますぅぅ!」
やっぱり美少女は香りもお美しいのかぁ、と彼女はぼんやり考える。
キュンキュンときめくティナに、クライヴは呆れたまなざしを投げかける。
次いでヘザーを見た。
「君はずいぶんと、使用人の心を掴むのが上手いんだな。そうやって、兄上にも取り入ったわけか?」
一切トゲを隠そうともしない声音に、ヘザーは鼻で笑った。
「けっ。男に媚売る趣味はねぇよ。それにオレ、金持ちって好きじゃねぇし」
彼女の脳裏によぎったのは、権威主義だった父親の後ろ姿だ。
医者であるはずなのに、患者よりも金と名声を優先する、典型的なクズ野郎だった。
父も、自分の――不肖の息子の死に、何か思うところはあったのだろうか。
(ちょっとはガッカリしてくれりゃあ嬉しい、かな。まぁ、んなワケねぇと思うけど)
ほんのりと暗い表情になった彼女に、クライヴは何か言いたげな視線を寄越したものの、
「……すまない、俺も言い過ぎた。考えれば君は以前にも、養子縁組を辞退しようとしていたな」
そう言って
年下の、それも孤児である自分に、ボンボンが頭を下げるとは夢にも思わなかった。
ためにヘザーも、若干どころかドンと引く。
「お、おぉ……アンタって、結構その、素直なんだな。なんかこう、色々お貴族サマらしくないよな」
もちろん率先して薪割りを行っていることも含めて、だ。
視界の隅では、ティナも小さくうなずいていた。つまり彼女からしても、こいつの行動は枠にはまっていないらしい。
クライヴは頭を上げて、不思議そうに目をまたたく。
「そうか?」
「おお。なんてーか、貴族ってか普通。ってかまとも。すげぇ合理的」
うんうん、とティナも今度は大きくうなずく。この子、段々と遠慮がなくなっている。
「貴族が異常で、非合理の塊のような言い草だな」
一応はヘザーの発言をくさしているものの、クライヴの声にも顔にも不快感はない。いつもより険のない陰気顔だ。
「合理的なのは、軍にいたからかもな」
「マジでか! アンタ、元軍人だったんだ!」
ヘザーが、藤色の瞳を無邪気に輝かせた。
男だったら多くの者が憧れるであろう、戦いの世界で生きて来た猛者が目の前にいるのだ。興奮するよりほかない。
「あ、ああ、数年間従軍しただけだが……」
まさかここまで食いつかれると思わなかったらしく、クライヴは若干のけぞっている。
そのまま二人で薪割りをしながら、クライヴの従軍経験を掘り下げる。彼は学校を卒業後にそのまま軍に入り、異国の戦地を飛び回っていたらしい。
「従軍って、すげぇな。ってかお貴族サマでも、そういうの行くんだ?」
「本来貴族とは、そういった局面で矢面に立つべき存在だ。ノブレス・オブリージュの精神だな」
「ノブ……? 千鳥の?」
長いまつげを揺らして、ヘザーはぱちくりとまばたき。
聞き慣れない単語に、クライヴはむっつり眉を寄せた。
「何故鳥が出てくる? 財や地位を持っている者には、それ相応の義務が生じるという考え方だ」
「へぇー。つまり金貰った分、命がけで頑張ろうぜ!ってコトだよな?」
「まぁ、ざっくばらんに言えば、そうだな。君も貴族の家に入るのならば、覚えておくように」
「うっす。貴族って大変なんだな……戦場ってやっぱ、ヤバかった?」
カーン、カーン、と高々と響く音の合間に、会話が続く。
クライヴは自分の、斧を握る手をじっとにらんだ。
「そうだな、何度か死にかけたな」
「わぉ」
「だが同時に、銃の扱いや格闘術の知識に加えて、命の尊さも改めて学べた。きっと有意義でもあったのだろう」
「あと名誉な」
「え?」
にんまりほほ笑むヘザーに、クライヴは手を止めた。彼女の無邪気な笑みを、じっと見下ろす。
「男ならやっぱ名誉、大事だろ!」
ヘザーも手を休めて、こぶしを突き上げつつ天を仰ぐ。
「てめぇの力で戦って生き抜いて、ついでに金も稼げて、最高にカッケェじゃん!」
かね、とクライヴはぼんやり呟いた。
「なんだ。ロマンチストかと思ったら、君は案外即物的なんだな。元シスターのはずだが、その考えは教義に反しないのか?」
「金持ちは大っ嫌いだけど、貧乏も辛ぇだろ? 人間ほどほどに金持ってねぇと、祈ってる暇もねぇからさ。だからシスター的にも、お銭はマジ大事」
「たしかに。それは言えてるな」
ヘザーにうなずきながら、クライヴの陰気なしかめっ面が和らいだ。
お世辞にも笑顔とは呼べないものの、本来なら劇中で一度も拝めず仕舞いの、穏やかな顔だった。
不意打ちの柔らかなイケメン顔に、ヘザーはガチリ、と固まった。
急に硬直した彼女に、クライヴは首をかしげる。
「どうしたんだ?」
「いや……別に」
もごもご答えるも、頬が赤くなるのを止められなかった。視線もどんどん下を向く。
なんとも年頃の乙女らしい反応に、二人を眺めていたティナは小さく
「あらまぁ」
と感嘆をこぼして、笑うのであった。