表面上はそれなりに穏やかに、初めての晩餐は無事終了した。
ヘザーとしては何かアクシデントが起きてくれても、全然構わなかったのだが。
たとえば急な落雷により、停電するなど。
ミステリー作品でよく発生する、あの展開だ。
元々の質がいいのか、伯爵家の優秀な使用人による手入れのおかげか、ナイフもフォークもかなり鋭かった。
夜闇に紛れてズブリと刺せば、あのヒョロヒョロした体なら容易に暗殺可能だろう。
ただ願わくば、ヤツが人間ではないという確実な証拠を掴み、周囲に「これは殺害もやむを得ない」と納得させたうえで殺したいところではある。
ガラが悪い自覚はあるものの、これでも盗み・殺人・放火・薬物・買春とは無縁で頑張って来たのだ。
「不良同士の喧嘩はいいが、それ以上の犯罪はするな」というのが、祖母の教えだった。
おかげで死ぬまでの間、警察のご厄介になったのは数えるほどだ。ありがとう、おばあちゃん。
とはいえ、孫を連れて競馬や競艇に行くのは、さすがにどうかと思ったよ。
しかし祖母も、正当防衛ならば大賛成のはずだ。元々暴力が好きな御方であったし。なにせ趣味は、ホラー映画鑑賞と格闘技観戦だった。
なので伯爵を説得しよう、悪魔になんとか帰ってもらおう、といった平和的手段を取るつもりは特になかった。
ティナが準備してくれた、泡まみれの風呂にとっぷり浸かりつつ
「でも悪魔って、どうやって殺せばいいんだ?」
ふと、つぶやいた。
そして今まで観てきたホラー映画での、人類と悪魔の戦いの模様を思い返す。
(王道なのはたぶん、聖書読むアレだよな。『エクソシスト』にもあったし。でもどこ読めばいいんだアレ? なんか、父と子と母がどうのって言って……ってかアレで退散したトコ、観たことあったかな?)
だいたいは聖書が効かず、主人公たちはもっと荒々しい手段に打って出るのがセオリーだ。『エクソシスト』の場合は、神父自身の体に乗り移らせて、飛び降り心中している。
(ってかあんな分厚いんだから、直接殴った方が効果あるんじゃ? あ、あと聖水もなんかぶっかけるよな)
しかし教会などあるはずもないフリーリング邸で、聖水が手に入るとも思えない。もちろんヘザーも所持していない。
(いや、酒の方がいいんじゃね? だって除菌とかするし、悪魔にも絶対効くだろ)
毒霧よろしく口から噴射して、ついでに火もつければ完璧だろう。
それでも生きていれば、カラス神父リスペクトで屋根からぶん投げよう。
「ここまですりゃ、少なくとも体はダメだろ。そのままどっか行ってくれりゃ、後はもうオレも関係ねぇし」
悪魔祓いが本業ではないので、そこまでのアフターフォローは不要だろう。誰に頼まれたわけでもなく、ただ保身のために悪魔を遠ざけたいだけなのだから。
白いバスタブにもたれ、天井を見上げる。
ヘザーの自室に備え付けられた浴室は、全面に貼られたタイルも薄いピンク色だ。
金の猫足がついたバスタブといい、満天の乙女趣味である。
ヘザー個人としては、
日本酒片手に長風呂しようものなら、もう最高だ。
「あー、せめて酒飲んでから死にたかった」
「ヘザー様ぁ、お湯加減はいかがですかぁ?」
彼女のつぶやきが聞こえたのか、ドア越しにティナが話しかけてきた。
まさかティナが待機しているとは思ってもみなかったので、ヘザーはちょっと飛び上がる。あやうく、泡風呂の中で尻を滑らせるところだった。
「ティ、ティナ、まだいたのかよっ?」
「ええ、もちろん。だって、ご入浴の後のお手入れが、まだですものぉ」
湯上りの貴婦人にガウンを着せ、髪をとかしたり肌に何か塗りたくるメイド……なんとなく想像できるシーンだ。
高慢な女主人にこそ合う絵面であり、ヘザーのような孤児上がりには勿体ない贅沢だろう。
なので、ティナの気遣いをやんわり拒むことにした。バスタブの縁で頬杖をつき、彼女を説得する。
「そんなの自分で適当にやるからさ、ティナも部屋に戻って休みなよ」
「いえ、ですが……」
「だってオレ、長風呂だぜ? 待ってたらティナの美容に悪いじゃねぇか。今日はもうゆっくり休んでくれよ。オレも、元気なティナの顔見る方が、気分アガるしさ」
彼女が意固地になって待たないよう、あえておどけた調子で言ってみた。
白い扉越しに、かすかにだがティナの笑い声が聞こえた。
「ふふっ、ありがとうございます。それではドレッサーに、お体用のクリームや
「おう、ありがと」
「それからタオルとガウンは――」
「この、壁にぶら下がってるヤツだろ? 分かってるよ」
「かしこまりました。それでは、お休みなさいませぇ」
「おお、お休みー」
ティナに挨拶しつつ、浴槽でグッと体を伸ばす。
日本の、それも現代の風呂場とは色々と勝手も違うが、広々としたバスタブはありがたかった。
生前一人暮らしをしていたのは、ユニットバスのあるワンルームだった。浴槽はずいぶんと小さく、三角座りでの入浴待ったなしだった。
なのでずっとシャワー生活だったため、前言通り長風呂を決め込むことにするヘザーであった。