ダニエルの中の人もとい悪魔は、表面上は先ほどと変わらぬ大らかな笑みを浮かべていた。
「緊張と、長旅の疲れも出ているのかもしれないな。難しいかもしれないが、あまり気負わずリラックスしてくれたまえ」
そう、口では
原因はもちろん、自分が招き入れたギャングもとい、養女である。
(おかしい、おかしいぞ……この国で一番、純真無垢そうな美少女を選んだのだが。貧弱な今の肉体に鞭打って、あちこちの修道院や孤児院を回ったというのに……)
脳内で、とめどなくあふれる疑問が好き放題に駆け回る中、ちろりとヘザーを見た。
彼女は
「オレ、テーブルマナーなんてよく分かんねぇからさ、教えてくれよ」
と、卑屈になるどころか若干開き直り、しかし素直にクライヴへ教えを乞うていた。
陰気を擬人化させたような愚弟も、しかめっ面こそ浮かべているものの、
「別にさほどややこしくはない。外側から使って行けばいいだけだが」
「へぇ、そうなんすね」
「ちなみに、内側と外側の違いは分かるか?」
存外普通に応対していた。いや、彼女のオツムを最小レベルに見積もってはいるが。
「それぐらい分かるに決まってんだろ! ちゃんと時計も読めるからな!」
ヘザーもさすがに赤くなって吠えた。
そこだけ見れば、急ごしらえの家族の距離が少し縮まった、微笑ましい光景なのだろうが。
(なんというかこの娘、修道院で見かけた時よりも……人相が悪くなっているのではないか? 下手をすればワシよりおっかないぞ。これでは、猟奇殺人鬼の面構えではないか……ひょっとしてこの子、誰か殺めちゃったの?)
ダニエルはつい、胸中でそう呟いて
なんとか始まった、伯爵一家+ロイドの晩餐だというのに、ダニエルの手はつい震える。
悪魔と言えども、肉体は脆弱な人間なので。
やはり凶悪犯罪者のようなオーラを放つ、危険人物のそばにいるのは怖いのだ。おまけについさっき、そいつから体当たりで数メートル吹っ飛ばされたばかりである。
アレは絶対わざとだ、とダニエルは確信していた。
「伯爵サマ、顔色悪いっすよ。体調悪いんすか?」
小首をかしげて彼の顔色をうかがうヘザーは、一見すると気遣っているように見えるが、その目は完全に捕食者のそれである。
弱っているなら、このまま息の根を止めてやろうか、という表情をしていた。
実際、ヘザーは隙あらばぶっ殺して差し上げよう、と考えていた。
ちょうどイイ感じの凶器もあることだし、と右手に握ったステーキ用ナイフをじっと見つめる。
そのナイフ以上にぎらついた眼差しに、ダニエルの震えはますます酷くなった。
「こ、これでも、今夜は割と、調子のい、いい方でな、きっ、気遣いは無用だよ」
右の口角がヒクヒクと持ち上がり、一応は笑っているような口元を作っているものの、目が恐怖で見開かれている。喋る声も、裏返っている上に口調もたどたどしい。
ダニエルの手の震えが伝わり、フォークに刺さった分厚いステーキ肉もブルンブルンと跳ねていた。
「兄上。肉がまるで、息を吹き返したかのような動きを見せておりますが」
おやおや、とロイドもつぶらな瞳を丸くする。
「なんともイキのいいお肉でございますな。伯爵様、お体は大丈夫ですか?」
仕事は出来るが少々おせっかいが過ぎる弁護士の、心配そうな視線が余計に辛い。
「ひっ、久しぶりに、お肉食べたから、あまりの旨さに心震えてるだけだよ! ワシってばずっと、療養食だったからさぁ! 油と無縁だったんだよぉ!」
つい、泣き声一歩手前の叫びを上げてしまう。
今まで悪魔は、フリーリング家の歴代当主の体を乗り換えながら、人間界に居座り続けていた。
悪魔は、人間とは比べるまでもなく長命だ。
よって人間では太刀打ちできないような恐ろしい魔術に加え、膨大な知識も有している。
それらを使って、伯爵家を発展させることなど造作もなかった。
もっとも、伯爵領そのものまで発展しすぎてしまうと、より上位の権力者から恨まれたり、はたまた教会から眼を付けられる可能性もある。
そのためお膝元は、ほどほどの、どこにでもある地方領地に留めておいた。
本当は主都を、街全体が売春宿やカジノになっている、一大歓楽街にしたかったのだが。
欲をかきすぎて損をする、愚かな人間を
そうして目立たぬように財を集め、憎悪や悪意という根回しによって人々が争うように誘導し、欲を満たし、悠々自適にここまで来たのだ。
一度も、教会に気付かれることなく、ずっと。
このように、非常にふてぶてしい存在であるため。
ダニエルはお気に入りのデザートであるババロアを口にした時には、超ポジティブ解釈に転じていた。
(小娘は思わぬ幸運を手にしたことで、現在は疑心暗鬼になり人相も悪くなっているのだろう。うむ、そうに違いない。なにせ我が伯爵家は、とんでもなく裕福で恵まれた、理想の一族だからな!)
そっとほくそ笑んで、ポジティブ思考を続けた。
(そしてワシの目標はこやつの心を
ババロアの上に乗ったイチゴの甘酸っぱさに目を細め、小さくうなずく。
(で、あれば。疑心暗鬼になり、心が少々荒んでいる現在の方が、落としやすいではないか。ふふふ。やはり、ワシの悪運は冴え渡っているな!)
大好きなデザートの、素朴な甘さに励まされて心も癒され、この推測に自信を持つようになった。
だが、楽天家過ぎる一連の思考が、後々
悪魔と言えども、未来は分からないのだ。
ようやく手の震えも治まったダニエルは、初めてヘザーの顔を真正面から見つめた。
「我が家はこれでも、末端の貴族である。今まで君が過ごしてきた、修道院での生活とは色々と勝手も違うだろう。苦労もさせるだろうが、追々慣れて行ってくれたまえ。そしていずれは、本当の親子になれたらと思っているのでな」
寛容で博愛主義と名高い伯爵様らしい嘘を、温和な笑顔でのうのうと吐く。
言われた当のヘザーは、感極まった様子も、どぎまぎする様子もなく、ひたすら無の顔だ。感情がないというよりも、興味がないのだろう。
「うっす。めっちゃ頑張りまっす」
実際その決意表明にも、一切やる気がない。
「あ、ああ、うん……頑張って、ね……」
病で痩せこけているとはいえ、美貌の伯爵と名高いダニエルにとって、これはなかなか傷つく反応であった。