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11:ビビりちらかす中の人

 ダニエルの中の人もとい悪魔は、表面上は先ほどと変わらぬ大らかな笑みを浮かべていた。

「緊張と、長旅の疲れも出ているのかもしれないな。難しいかもしれないが、あまり気負わずリラックスしてくれたまえ」


 そう、口では鷹揚おうように言っているものの、内心はかなり焦っていた。椅子に座っているので気付かれていないが、膝から下も震えっぱなしである。

 原因はもちろん、自分が招き入れたギャングもとい、養女である。


(おかしい、おかしいぞ……この国で一番、純真無垢そうな美少女を選んだのだが。貧弱な今の肉体に鞭打って、あちこちの修道院や孤児院を回ったというのに……)


 脳内で、とめどなくあふれる疑問が好き放題に駆け回る中、ちろりとヘザーを見た。

 彼女は

「オレ、テーブルマナーなんてよく分かんねぇからさ、教えてくれよ」

と、卑屈になるどころか若干開き直り、しかし素直にクライヴへ教えを乞うていた。


 陰気を擬人化させたような愚弟も、しかめっ面こそ浮かべているものの、

「別にさほどややこしくはない。外側から使って行けばいいだけだが」

「へぇ、そうなんすね」

「ちなみに、内側と外側の違いは分かるか?」

存外普通に応対していた。いや、彼女のオツムを最小レベルに見積もってはいるが。


「それぐらい分かるに決まってんだろ! ちゃんと時計も読めるからな!」

 ヘザーもさすがに赤くなって吠えた。

 そこだけ見れば、急ごしらえの家族の距離が少し縮まった、微笑ましい光景なのだろうが。


(なんというかこの娘、修道院で見かけた時よりも……人相が悪くなっているのではないか? 下手をすればワシよりおっかないぞ。これでは、猟奇殺人鬼の面構えではないか……ひょっとしてこの子、誰か殺めちゃったの?)

 ダニエルはつい、胸中でそう呟いて怖気おぞけを覚える。


 なんとか始まった、伯爵一家+ロイドの晩餐だというのに、ダニエルの手はつい震える。

 悪魔と言えども、肉体は脆弱な人間なので。

 やはり凶悪犯罪者のようなオーラを放つ、危険人物のそばにいるのは怖いのだ。おまけについさっき、そいつから体当たりで数メートル吹っ飛ばされたばかりである。


 アレは絶対わざとだ、とダニエルは確信していた。


「伯爵サマ、顔色悪いっすよ。体調悪いんすか?」

 小首をかしげて彼の顔色をうかがうヘザーは、一見すると気遣っているように見えるが、その目は完全に捕食者のそれである。

 弱っているなら、このまま息の根を止めてやろうか、という表情をしていた。


 実際、ヘザーは隙あらばぶっ殺して差し上げよう、と考えていた。

 ちょうどイイ感じの凶器もあることだし、と右手に握ったステーキ用ナイフをじっと見つめる。

 そのナイフ以上にぎらついた眼差しに、ダニエルの震えはますます酷くなった。


「こ、これでも、今夜は割と、調子のい、いい方でな、きっ、気遣いは無用だよ」

 右の口角がヒクヒクと持ち上がり、一応は笑っているような口元を作っているものの、目が恐怖で見開かれている。喋る声も、裏返っている上に口調もたどたどしい。


 ダニエルの手の震えが伝わり、フォークに刺さった分厚いステーキ肉もブルンブルンと跳ねていた。

 逐一ちくいちヘザーにテーブルマナーを教えていたクライヴも、怪訝そうにダンサブルなステーキを眺める。


「兄上。肉がまるで、息を吹き返したかのような動きを見せておりますが」

 おやおや、とロイドもつぶらな瞳を丸くする。

「なんともイキのいいお肉でございますな。伯爵様、お体は大丈夫ですか?」

 仕事は出来るが少々おせっかいが過ぎる弁護士の、心配そうな視線が余計に辛い。


「ひっ、久しぶりに、お肉食べたから、あまりの旨さに心震えてるだけだよ! ワシってばずっと、療養食だったからさぁ! 油と無縁だったんだよぉ!」

 つい、泣き声一歩手前の叫びを上げてしまう。


 今まで悪魔は、フリーリング家の歴代当主の体を乗り換えながら、人間界に居座り続けていた。

 悪魔は、人間とは比べるまでもなく長命だ。

 よって人間では太刀打ちできないような恐ろしい魔術に加え、膨大な知識も有している。


 それらを使って、伯爵家を発展させることなど造作もなかった。

 もっとも、伯爵領そのものまで発展しすぎてしまうと、より上位の権力者から恨まれたり、はたまた教会から眼を付けられる可能性もある。

 そのためお膝元は、ほどほどの、どこにでもある地方領地に留めておいた。


 本当は主都を、街全体が売春宿やカジノになっている、一大歓楽街にしたかったのだが。

 欲をかきすぎて損をする、愚かな人間を数多あまた見てきたので、悪魔は案外慎重派なのだ。


 そうして目立たぬように財を集め、憎悪や悪意という根回しによって人々が争うように誘導し、欲を満たし、悠々自適にここまで来たのだ。

 一度も、教会に気付かれることなく、ずっと。


 このように、非常にふてぶてしい存在であるため。

 ダニエルはお気に入りのデザートであるババロアを口にした時には、超ポジティブ解釈に転じていた。


(小娘は思わぬ幸運を手にしたことで、現在は疑心暗鬼になり人相も悪くなっているのだろう。うむ、そうに違いない。なにせ我が伯爵家は、とんでもなく裕福で恵まれた、理想の一族だからな!)

 そっとほくそ笑んで、ポジティブ思考を続けた。


(そしてワシの目標はこやつの心を疲弊ひへいさせて壊し、肉体を奪うこと)

 ババロアの上に乗ったイチゴの甘酸っぱさに目を細め、小さくうなずく。

(で、あれば。疑心暗鬼になり、心が少々荒んでいる現在の方が、落としやすいではないか。ふふふ。やはり、ワシの悪運は冴え渡っているな!)


 大好きなデザートの、素朴な甘さに励まされて心も癒され、この推測に自信を持つようになった。


 だが、楽天家過ぎる一連の思考が、後々あだになっていくことを、彼はまだ知らない。

 悪魔と言えども、未来は分からないのだ。


 ようやく手の震えも治まったダニエルは、初めてヘザーの顔を真正面から見つめた。

「我が家はこれでも、末端の貴族である。今まで君が過ごしてきた、修道院での生活とは色々と勝手も違うだろう。苦労もさせるだろうが、追々慣れて行ってくれたまえ。そしていずれは、本当の親子になれたらと思っているのでな」

 寛容で博愛主義と名高い伯爵様らしい嘘を、温和な笑顔でのうのうと吐く。


 言われた当のヘザーは、感極まった様子も、どぎまぎする様子もなく、ひたすら無の顔だ。感情がないというよりも、興味がないのだろう。

「うっす。めっちゃ頑張りまっす」

 実際その決意表明にも、一切やる気がない。


「あ、ああ、うん……頑張って、ね……」

 病で痩せこけているとはいえ、美貌の伯爵と名高いダニエルにとって、これはなかなか傷つく反応であった。

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