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10:こんにちは伯爵サマ(そして死ね)

 さすがは超ド級の儚げ美少女というべきか。

 真っ赤なドレスすらも、どこか品よく可憐に着こなしているヘザーは、ティナに案内されて食堂へ向かった。


 お貴族の晩餐シーンでよく見かける、長方形の無駄に長いテーブルが、中央に鎮座している食堂だ。壁際には、なんとも高級そうな壺や絵画、あるいは彫像もある。

 何が楽しくて、下っ腹の出たジーサンの全裸像を拝みながら、食事をせねばならぬのか。せめてマッチョであれよ。

 そちらから視線を外すと、年季ものの大きな振り子時計もあった。百年間休まずに動いているのだろうか。


 雇い主は悪魔に取り憑かれた狂人であるが、伯爵家の使用人は皆優秀らしい。

 ヘザーの部屋からここへ向かうまでの廊下も窓もピカピカで、その途中にも大変センスのよい絵画や花が飾られていた。

 こうなってくるとますます、全裸翁の彫像が浮いている気がする。


(知り合いから貰ったから、しゃーなし飾ってんのかな。オレも、好みじゃないエロ本貰った時、捨てるに捨てれなかったしなぁ……)

 下世話方面の共感を覚えて、勝手に納得することにした。


 廊下がピカピカであれば、もちろん食堂も言わずもがなである。チェス盤のように白と黒のタイルが交互に配置された、市松模様風の床も汚れ・曇りとは無縁だ。

 ここまで磨かれていると、女性の場合はパンツが映り込みそうで、少し不安になる。


 そんな高級感溢れる食堂で、一人負のオーラをまき散らしている人物がいた。

 先に長テーブルに着座していた、クライヴである。

 真ん中分けの前髪は下ろされたままだが、以前に修道院で遭遇した時より、値の張りそうなグレーのスーツを着ている。


 彼はヘザーが入って来るのを目にすると、一応礼儀として立ち上がった。

 が、陰気全開の顔のまま思い切りガンを飛ばしてくる。

 ここで本来のヘザーならば、完全に委縮してしまっていた。クライヴ以上に暗い顔になり、ただただうなだれてしまうのだ。


 しかし今のヘザーは、その眼光を無視するどころか、彼以上の圧を込めてメンチを切り返す。

 クライヴを助けることも目標の一つではあるが、それとこれとは別である。

 売られた喧嘩は、相手がたとえ年上だろうがなんだろうが、倍にして返して差し上げるのが高田の流儀であった。


 よって今も、クライヴの噛みつかんばかりの視線に対して、噛み殺さん勢いでにらみ返している。いや、歯もいているので、噛み殺す気マンマンだ。

 ちょうど服も赤いので、ある意味好都合。


「……なんすかクライヴさん? アァ? なんかご用っすか?」

「い、いや、君は相変わらずだな、と思っただけだ」

 苦労人ではあるものの、伯爵家の分家生まれ・本家育ちなお坊ちゃんでもあるクライヴは、さすがに面食らってゴニョゴニョと言い訳する羽目になった。


 生まれと育ち云々以前に、女性があんな顔で応戦して来るとは、夢にも思っていなかったのかもしれないが。

 この時代、女性の地位は現代日本よりずっと低いだろうし、男性に従うことをよしとする風潮もずっと強いはずだ。


 にもかかわらず、殺意満点のにらみを、しかも元シスターがかまして来たのだ。

 座右の銘が「汝の敵を愛せよ」であるはずの女性が、「目が合ったヤツは全員ぶっ殺す」フェイスをこしらえているのだから、ビビるのが当然であろうか。


 すっかり意気消沈したクライヴを横目で見て、ヘザーはフンと鼻を鳴らす。 

 食堂の壁際に待機していた侍従が、二人を不思議そうに見つめつつも、ヘザーのために椅子を引いた。

 短く礼を言い、彼女がそこへ座ろうとした時、再度重厚な両開きの扉が開いた。


 眼鏡をかけた細身の女性を伴って現れたのは、それ以上に細身の男性だった。

 いかにも病弱そうな、青白い顔の金髪美中年――伯爵家当主である、ダニエル・フリーリング。

 ヘザーの養父であり、敵でもある男だ。


 いかにも金のかかってそうな杖で体を支えつつ、ダニエルはヘザーの前へと歩み寄る。そして彼女の一メートルほど手前で止まった。体と同じく細い指にはまった、ゴツゴツとした指輪が少し悪目立ちしている。


 ヘザーはその間、直立不動のまま無の表情で、彼の挙動をじっと見つめている。


 ダニエルは振り子時計を背にしつつ、虚無顔の養女へ温和に微笑んだ。

「君がヘザーだね。私はダニエル・フリーリングだ。やっと会えて嬉しいよ」

 ダニエルは偶然修道院を訪れた際にヘザーを見かけ、彼女の優しい人柄を気に入って養女に迎え入れることになった――それが建前上の、養子縁組のきっかけとなっている。


 本当は人柄うんぬんでなく、憑依するのにちょうどいい美しく健康な肉体だっただけなのだろうが。

 ともかく二人が面と向かって話すのは、これが初めてだ。


「どうも、初めまして。ヘザーっす」

 ヘザーとしては、最大限丁寧な口調を返した。

 もちろん、こいつを油断させるためだ。

「自分みたいな、学のない女を引き取ってもらいまして――」

 ここでカーテシーをするかのように、膝を折る。


 が、膝を折りつつ、その双眸そうぼうはギラギラと、伯爵のド真っ赤なベストをロックオンしていた。正確には、それに覆われた腹部を。

「大変、感謝してます!」


 次いで「あざっす!」と叫ぶと同時に、ヘザーはつんのめって倒れるふりをしながら思い切り床を蹴って飛び出し、全身全霊のタックルをダニエルの痩身そうしんに浴びせた。


 病弱らしいダニエルでは、健康かつ頑丈ボディが繰り出す衝撃に、耐えられるわけもなく。

 悲鳴すら上げられずに、振り子時計まで景気よく吹っ飛んだ。そしてのけぞった頭を、時計のガラス扉で強打する。ガラスが割れなかったのが幸いか。


「あっ、兄上ぇぇーッ!」

 これには彼との関係があまり良好ではないクライヴも、思わず悲鳴を上げた。

 同時にタイミングよく、時計が八時を知らせる。

 ボーン、ボーンと時計が鳴る中、ダニエルは頭頂部を抑えてかすかに震えながら床にうずくまっていた。


 一方のヘザーも、後先考えずの捨て身タックルであったため、思い切り顔面から倒れ込んでいた。

 顔にきちんと凹凸があるタイプの美少女なため、高い鼻も床に打ち付けて痛い。鼻血が出ていないのは、不幸中の幸いか。


 ついでに、顔の下にある凸部分こと胸も、強打していた。おっぱいは打撃に弱い、と女性に転生して初めて知った事実である。エアバッグ的な要素もあると思っていたのに。


 痛さを堪えて起き上がろうとすると、眼前に手が差し出された。男性の大きくて、皮膚の厚い手だ。

「へっ?」

 思わずギョッとして視線を持ち上げると、すぐそばでクライヴが膝をついていた。手の主も彼だった。


「君も大丈夫か? 淑女にあるまじき、凄まじい勢いで転んでいたが」

 嫌味は標準装備であるものの、彼は甲斐甲斐しく彼女の手を取りつつ腰も支えて、起きて立ち上がるのを手伝った。もちろん腰に回された手が、不埒ふらちな箇所を撫でまわすこともない。


 落ちこぼれであろうとも、さすがは紳士である。

 現代っ子である高田の価値観としては、これは非常にキザな行為であり気遣いだ。


 だが、肉体に宿っている乙女の残滓ざんしが、図らずもキュンッ……とときめいていた。つい照れてしまい、ヘザーはうつむきつつ

「あ、ありがとう、ございます……」

へどもどと、礼を言った。頬も熱い。


 毒気皆無な反応と感謝の言葉に、クライヴも一瞬キョトンと目を丸くした。

 その不思議そうな視線に耐えられず、ヘザーは視線をずらす。自分が壁まで吹っ飛ばしたダニエルを、ついでに見た。


 彼のことは眼鏡の女性ことシェリーと、遅れて食堂に現れたロイドや、その他使用人たちが総出で助け起こしていた。まだ息の根はあるようだ。

「すんません、緊張で足がもつれちまいまして」

 一応用意していた言い訳を口にしつつ、ヘザーは内心で首をかしげる。


 残念ながら、悪魔を追い出すことは叶わなかった。

 ラリアットした際に、ダニエルの腹部越しに、その内側のナニカにも体当たりした感触はあったのだが。

(さすがは親玉。オレのタックル程度じゃビクともしねぇか)

 そんな仮説でつい、表情に憎しみが漏れ出てしまう。


 思い切り体当たりをかましておきながら、被害者兼養父を親の仇のように見つめる少女に、クライヴは不審の目を向けていた。

「こんな娘を引き取って、兄上は何がしたいのだろう。いじめられたいのだろうか……マゾだったのかな。やだなぁ」

と、その目が語っている。

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